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私たちは
「イヤな感情を感じることがイヤ」なもの。


だから、
したいことがあっても、
「それ絡みで感じる感情の中に“イヤな感情”がありそうな場合」には
したいこと自体を封印しそうになっちゃうんです。

と書きました^^



そう、イヤな感情を感じるのはイヤなもの。

だから、
イヤな感情を感じそうな場所には行きたくないし、
イヤな感情を感じそうな人には会いたくないのがふつう。


これは、
その場所やその相手が「ズバリそう(イヤ)なとき」だけではなく、
「これまでの経験からの推測でそう(イヤに)なりそうな場合」にも、
上のような気持ち(行きたくないとか、会いたくないとか、ね)が発動します。

前にイヤなことがあって その時のシチュエーションと似てる、とか
以前にイヤなことを言われた人と顔が似ている誰か、とか
そういう場合にもイヤだなぁ~って思っちゃう。
(ま、時として理不尽なケースもあるかも、だけどね^^;)


でも、ここ、分けないとダメだよね。


『分ける』というのは 、
「前のこととは別だから、イヤだなーと思ってはいけない」ってことではなくって、

「イヤだと思う気持ちは止められないけれども、
 でも、今の相手と以前の相手はまったくの別人なのだから
 今の相手が悪いわけではない」

って、
この2つのことに分ける。


このとき、
「相手の人は悪くないんだから、イヤだなんて思っちゃいけない」
とかついついそういう風に思ってしまいがちなんだけれども、
そんな風には思わなくっていいのでね。

っていうか、
そう思ってしまうことで
自分の感情を抑えつけてしまうほうが問題なので。

だから、分けるのです^^



なので、
2つに分けた上で、
自分の感情を見てみよう。
自分の感情だけを見てみよう。

そして、
しっかりと感じよう。
ぼたぼたの雑巾をぎゅっと絞るようにしっかりとしっかりとしっかりと。


+ + +


この「ぼたぼた」ってところはね、
あなたの感情があなたに伝えたがっていることなんです。

なんでこんなにも「ぼたぼた」になっているかというと
あなたがこれまでずっとずっと見ないフリをしてきたから。

そんな、もうあふれそうになっているあなたの想いです。


そこにはあなたへの「分かって!」がいっぱい詰まっているよ。

自分から自分に「分かって!」っていうのも
なんか変な気がするかもしれないけれども、
そのくらいに私たちは自分で自分の本心に気づいていなかったりする。

特に、
何を大切にすべきか、何を愛すべきか、に。


感情をしっかりと感じることで、
それが分かるよ。

感情というカタチを通してね、
あなたが何をこわがっているのか
あなたが何を望んでいるのか
あなたが何を大切にしているのか
それが分かるんだ。


そんなの十分に分かっているよー、って思うかもしれないけれどもね、
それが案外分かってなかったりするんだよね、私たちは。

大人になればなるほど、
そしていい人であればあるほど、
自分の気持ちを抑えがちで。

や、
それができるのって素晴らしいこと。
それって、周りの人たちへの配慮ができるってことでもあるからね。


でもね、
感情を出さないのと
感情を感じないのとは違う。


しょうじき
自分の気持ちを抑えるのって、
周りと合わせてゆく上ではいちばん楽なやり方だと思います。
だって、自分が我慢すればいいだけなんだからね。

周りの人とのあいだになんの波風も立たないし
いい人だと思われていられるし
「自分が悪ものになることもなく、誤解されることもなく、いちばん無難な状態でいられる」って意味ではいちばん楽なやり方だと思います。

(それに、たいていのいい人は我慢するのは得意なはずだしね。慣れっこっていうか)

ま、これが本当にいいかどうかは今はおいておくとして、、、


ただ、
自分自身の心の中でまで
感情を感じずにいるのはいけないよ。

その感情は
「あなたに分かってもらいたくって湧き上がっているもの」
なのだから。



だから、しっかりと感じてあげてください。
自分の感情を。

その「ぼたぼた」は
もうあふれ返りそうになっているあなた自身の「分かって!」なのだから。





そうすることで、
自分の「好き」も
自分の「やりたいこと」も見えてくるよ^^




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