【要旨】

人の心を動かすにはプラスでもマイナスでも、な

んらかの感情が必要。反応係数0だと話を聞いて

もらえない。



個性とは心にあるものではなく体にあるものであ

り、否応に「個性を伸ばせ」と言及してはならな

い。なぜなら、社会は常識を基にした共通了解の

上に成り立っており、頭一つ突き出た個性は異常

者として扱われ、社会から追放されるからだ。



元来、人間は流転するものであり、情報(環境)

は流転しないものであるという事実が唱えられて

きたが、今日の情報化社会ではその意識が希薄に

なってきた。それが近代的個人という概念に繋が

り、個性偏重時代の幕開けとなったのは自明であ

る。



意識と言語は密接に関係している。これは英語

の"a"と"the"の違い、抽象的概念(プラトンの述べ

る「イデア」)と具体的事柄の違いなどを明確に

する。また、人間は抽象的概念だけだと不安にな

るため具体的産物を生成したくなるものである。

それは人間が神仏などを創出する起因となってい

る。



現代の個々人は身体に対する意識が希薄である。

これは文武両道という慣用句の意味の誤解にも繋

がっている。一方、現代の社会は、他者を排除す

る姿勢に見られるように、共同体の崩壊を進めて

いるように思える。その原因は常識が地球規模で

の普遍的なものではなく、小さな共同体内でのも

のになっていることにある。



もちろん、脳は生物的には基本的に皆同じ形状を

しているため、賢さの優劣を付けることは難しい

。しかし天才は自分の脳内で起きる情報伝達の過

程で、1工程飛ばして反応を早めるというように

脳を操作することができる。対して、キレるとい

う現象については科学的に理解されてきている。

それは前頭葉機能の低下による抑制の無効化が主

因である。



教育者の理想体型は、俺を見習えという教師で構

成された教育機関である。



一元論は人間を極端なものの見方にし、思考停止

状態に陥れる大変危険な思想である。その思想に

人間の性質である欲の出現が加わると、壊滅的な

結果を引き起こすことは想像するに優しい。これ

はここ1、2世紀の歴史を回想すれば深く理解でき

るだろう。




【意見】

今まで個性個性といってきた自分を反省する契機

となった。私が生きてきた環境の中ではあまりに

も所属する共同体に従属することに重きが置かれ

たため、そこから一定の距離を保ち、自らを不動

のものとして確立しようと試みてきた。人間個人

が流転するものであるか否かという点において、

この集団からの逸脱という個性の考え方は筆者の 

個性のそれとは相反するだろう。だが、私はこの

考え方を曲げるつもりはない。なぜなら、そもそ

も個性に対する定義が異なることに加え、自分の

意見をもち完全に1つの集団に浸からないという

考え方は、筆者が嫌悪する一元論的な考え方と対

立するものであるからだ。



また、今後誰かと話が通じないなと感じた時は、

自らが一元論的な思想に基づいて会話をしていな

いかを疑い、広い視野を持つことを意識しようと

思う。