==わたしは戦争には反対だが、学徒と農民を
差別することにはもっと反対である。
徴兵猶予なんて、だれが考え出したのだろう。==
安野光雅さんの「私の履歴書」14回は、初恋の君に
ついてがメインの話で、そのせいか、とっても意味が
わかりにくいんだけど、そこに戦争という時代背景が
ぴったり貼りついているので、よけいに何が何だか
わからない。
最初に引用した二文の後ろに、「この公憤としての怒りの
背後に」私憤、初恋の君の影を感じる人があったら、
凄い、と書いてこの日の文章は終わっているんだけど、
うーん???
てまあ、それも気になるけど、私は、最初に出した二つの
文に引っかかってしまった。
戦争に反対、そして、学徒と農民を差別することには
もっと反対。
ようわかる。
まっとうな、でも、それは支配される側の庶民の感覚。
徴兵猶予を考え出したのは、国を動かしていこうとしている
人、国の未来に責任を負っていると自ら自認し、周囲に
よってもそう公認されている人々じゃん。いうまでもなく。
彼らの目には、農民は「コマ」。いくらでも替わりはいる。
それに比べて、当時3%だったという大学生は、「貴重品」。
死なしたら、勿体ない。
「貴重品」を使いこなしてこその、「トップ」。
「トップ」が治めて、「貴重品」がその指示に従い要所要所で
指令を出す、それを、無数の代替可能の「コマ」が支える。
地を這うように。血を吐く思いもなめながら。
で、そういう風に為政者はするわけだ。
為政者「トップ」というものは、そういうもの。
だけど、「コマ」には「数」がある。「数」のちからを活かせば、
数の少ない「トップ」や、その配下・影響下にある「貴重品」
には勝ち目がない。
「コマ」には、「コマ」の闘い方がある。
地を這うように、血を吐く思いで、生きてきたことを、もし意識して、
自らの力をコントロールできるなら、これに向かう相手に勝ち目は
ない。
或いは、敵対するのではなく、「コマ」にもいのちがあること、
そのいのちのすばらしさを見せつけることができるなら、
「コマ」こそ、国のたから、本当の国のちからなのだと、「トップ」
も考え、無数の「コマ」の一つ一つを大切に活かせるような国づくり、
すなわち戦争からは最も遠い平和の国を作ろうと思うのではない
でしょうか。
私の場合、好みは、後者だな。
非暴力で一番低いところから、しあわせなムラ、しあわせなくにを
つくっていきたい。
とまあ、そういうことを考えているわけ。
で、今日読んで、やっぱりこれでは、甘い、と思ってしまう。
書くひとならば、本当は、もう一歩踏み出さないといけない
んじゃないのかなぁ。
ここは「言外の意味」ですませていいところじゃないでしょう?
そんなに、怖い?
というわけでもないよーな気がするから、じりじり~。
ロマンチック、にしてる場合じゃないでしょう???
男だもんね、しかたないのか。
「いい人」で終わり、というのは、あまりにもったいないと思うんだけど。
(日経新聞 2011年2月15日 文化・40面
『私の履歴書』 安野光雅(画家) 14回 「花ある君」から便り
偽手紙と分かり、夢散る )