ずっと過去の話を書いてきたけど、今回は現在のことを少し。


今日は学校で年に1回の係の仕事の日だった。私は去年1年間、この係の班長をやっており、

今年度最初の仕事ということで早い時間からお手伝いに行った。


別に自分が悪いことをしたわけでもないのに、学校での行事のときには「例の団体の関係者に

は逢いませんように」と願ってしまう。係の仕事を手伝っていると、まさに逢いたくないと思ってい

た関係者に遭遇した。別に逢いたくないだけでやましいことがあるわけではないので、ニッコリと

笑って手を振ってみた。相手は・・・やけにそっけない。私がその団体をやめてから初めて逢った

のだけど、あの最低な指導者たちにはなんと思われようが一向に構わないけれど、近所に住む

お母さんたちに悪く思われるのはさすがに痛い。一瞬のことだったから、悪く思われていてそっけ

なかったのか、単なる私の被害妄想なのかはよくわからないけれど、この反応は少なくとも私を

凹ませた。


私は面と向かって知っている人に無愛想な反応をすることはできない。ついつい愛想笑をしてし

まう。無愛想な人が悪いとは言わないけど、相手が傷つくんじゃないかなと思うと無碍にはできな

いと思う。色んな人がいるからそういう人がいても仕方がないんだろうけど・・・。


はっきりと私が嫌われているとわかれば、こちらもあえて係わろうとは思わないので気が楽だ。

でも、今の状況は判断が微妙で、逢う度になんだか気まずい思いをする。その中途半端がイヤ

で、学校での行事はできるだけ避けてしまう自分がいる。全ての人に好かれようと思っても無理

なように、全ての人に嫌われようと思ってもそれは無理だ。自分のことを悪く思う人のことは放っ

ておいて、自分のことを好きだと思ってくれる人を大切にできればいいと単純に割り切れればい

いのだけど。いつまでもウジウジと悩んでしまう自分が嫌い。



私がこんなにも恨みを持っているウマ先生とシカ先生だけど、お母さんの中にはこの先生方を

崇拝している人もいた。


このお母さん、子どもが学校の先生からは見て見ぬふりをされていると話されたことがあった。

学校の先生からは見放されていて親の手に余る子ども。こういう子どもにとって、このウマ先生

とシカ先生の指導方法はピッタリ合っているのかもしれない。とりあえず怖がらせて支配してお

けば、少なくとも自分たちの前でだけはきちんとするようになるし、普段悪いと言われている子が

自分たちのおかげできちんとできるようになったと思う人がいるかもしれない。イヤ、先生のおか

げで・・・と一番思っているのはこのお母さんだ。学校では叱られたとしても、殴ったり蹴ったりさ

れることは絶対にない。学校の先生は怖くないからこの子はきちんとできないのだろう。このお母

さんからしてみれば、「よくぞ殴って言うことを聞かせてくださいました」というところか。


ウマ先生やシカ先生の前でだけきちんとできるようになっても、それは根本的な解決にはなって

いないと思う。一歩外に出たらやっぱりきちんとできないのだから。この先生方は、24時間この

子の傍にいて見張っているわけではない。一生この子の面倒を見るわけでもない。長い目で見

て、本当にこの子をきちんとした子どもにしたいと思ったら、目先の暴力で脅して言うことをきか

せるようなやり方がいかに無意味か気付くはずなのに。このお母さんも同じだ。限られた人の前

だけでもきちんとできたらそれで満足なのか?自分が子どもを叱るべき様々なことを先生に押し

付けて任せっきりにして安心しているだけじゃないのか?


この子は、お母さんに叱ってもらえないかわいそうな子どもかもしれない。



得意なものが1つでもあれば自信になる。得意なことが1つもないよりは、1つでもあった

方がいいに決まっている。


しかし、その1つのことがたとえ他人よりずば抜けて優れていたとしても、他のことが全く

ダメだったら意味がないと思う。



もしも自分の子どもが、1つだけ特別な才能を与えられる代わりに、性格がものすごく悪

くて生涯友達ができなくなると言われたら、たとえ得意なことが1つもなくても、思いやりが

あって友達に恵まれる人になってくれる方を望む。

1つのことを頑張って頑張って1番になることも大事だけど、人間にはもっと大事なものが

ある。


ウマ先生は努力して努力して1番になられたのかもしれない。それは素晴らしいことだけど、

傲慢で上からしかものが見られない、思いやりがなく他人の心の痛みがわからないような人

だ。ウマ先生は、1番になることとひきかえに何か大事なものを失ったのではないか。

ウマ先生が、どちらかというとムッツリと不機嫌な顔をして第一印象が悪いのに対して、

シカ先生の方はとても愛想がよく第一印象もよかった。おまけに3児の父親であるという

事実が私を油断させた。

入会の説明会が行われたときも、ニッコリと笑って非常に感じがよく、道具を惜しげもな

く貸してくださり、子どもたちも私もすっかりその気(入会する気)になった。入会後も私

がお客さんであるうちはよかった。それがだんだんと「アレ?この人おかしくない?」と思

い始めたのは半年が過ぎた頃だっただろうか。


傷つける言葉 (②③)や責任感 (⑤)やエピソード1 (①②③⑦)で書いたのは、ズバリこ

のシカ先生のことだ。

いくら表面的にはよい人を装っていても長い間近くで見ていたら、その人の素顔の部分

が見えてくる。見るからに愛想の悪いウマ先生よりも、一見よい人に見えるシカ先生の

方が明らかにタチが悪かった。


シカ先生は、自分の言っていることに一貫性がない。そして言い訳をするときには必ず

が歪む。この歪んだ顔を思い出すと吐き気がする。


① 自分を守るためなら平気で嘘をつくような人。

② 「子どもが怖がること=指導力があること」だと勘違いしている人。

③ 子どもの心を平気で傷つける人。

④ プライドだけは人一倍高い人。

⑤ いい加減で傲慢な人。

⑥ 気持ち悪いくらいのナルシスト。

⑦ 自分の情熱を他人に無理強いする、ただの独りよがりな人。

⑧ 嫌味っぽい人。


①~③は今までに書いてきたとおり。


⑥に関して。とにかくいつでもかつでも鏡の前にいる。そして、フォームの確認をして素

振りを始める。あるとき、子どもに自分の姿を携帯で撮らせていた。待ちうけ画面にでも

使うつもりなのか。気持ち悪いにも程がある。勘違いにも程がある。


⑦に関して。「情熱のある指導」といえば聞こえはいい。でも、それは子どもに伝わって

初めて価値があるのだ。一方的に怒鳴り散らして子どもを怖がらせるのは、ただの独り

よがりに過ぎない。ただの自己満足に過ぎない。


⑧に関して。シカ先生子どもの叱り方は非常にねちっこい。悪いことをしたら悪い子をガ

ツンと叱るようなことはしない。周りの子を褒めて褒めて褒めちぎって、その悪い子には

冷たい視線を送り精神的に追い詰める。



結局のところ、その人の言動はその人の性格を表している。同じことをしても、バシッと

叱る先生もいれば、シカ先生のように回りくどく蛇の生殺しのようにいたぶる叱り方をす

る人もいる。その嫌味っぽい叱り方には我慢ができなかった。友達とできる、できないを

比べて指導することは、子どもにとっては一番辛い仕打ちだと思う。


結婚して子どもがいても、ここまで最悪な人間もいる。奥さんや子どもは、さぞかし苦労

されていことだろう。今でも懲りずに同じような指導を繰り返しているらしい。自分では、

完璧によい人を演じ続けているつもりかもしれないけど、周りの人間は皆とっくにその本

性に気付いている

私には、まだ結婚していない友達がけっこういる。別にその友達の性格が悪いとか、何か他に

問題があるとかそんなことは全くない。みんな優しいし、面白いし、魅力のある女性ばかりだ。

あえて理由を書くならば「出会いがない」ということだと思う。結婚していないことが悪いことだと

は思わない。「結婚しない」という人生の選択肢もよい点はたくさんあると思うから。赤い糸を信

じているわけじゃないけど、そんな運命の相手に出会えるか出会えないかの差だと思う。



女性と男性ではまた違うかもしれないけど・・・前から書いてきたウマ先生。この人は明らかに

結婚できない」部類だと思う。


見た目は全くカッコよくない。典型的な中年男性で、お酒好きでデブハゲだし、頑固というより

はわがままだし、かなりエラそうだし、大人げないし・・・悪い点ならいくらでも挙げられる。もし

こんな男と結婚しようものなら、自分が大変な目に遭うということが簡単に想像できてしまう。

35を過ぎて、人を平気で無視したり、子どもをぶりまわしたりする人を、わざわざ生涯の伴侶

にと選ぶ女性がいるだろうか。いるわけがない。そういえば、良い点が1つだけあった。ウマ先

生はかなりのお金持ちだ。


私はあんまり男性の友達というのはいないのだけど、同じくらいの年齢の男性を見るときに、

まず結婚しているかどうか、そして子どもがいるかどうかを見る。もちろん、それが全てではな

いけれど、「○児の父です」と言われると安心できる。逆に「40歳独身です」と言われると「この

人は何かあるんじゃないの・・・?」と心配になったりする。思い切り私の偏見ではあるけれど。


でも、少なくともこのウマ先生には本当に「何か」あった。「結婚しない」のではなく「結婚できな

い」ような男は要注意だ。