東町の戦法を批判しつつ西町の鼻を折る | とある学生の新居浜太鼓祭り妄言録(ブログ)

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基本、川東と川西。ときどき上部。

更新はノリと気分。


何を言うとるんだ君は、などと言う正論を吐くのはやめて欲しい。こちとら聞く耳を持たない。
(最も、批判の言葉を理解できるオツムが足りていないが)

前回大いに贔屓を引き倒し、取った(取らざるを得なかった)戦法を擁護したが、今回は我が東町を批判したい。

ロープ戦法がまかり通る以上、乗っ取りを黙認する…という立場を取った私だが、アレだけは許せない!というのが一つある。


東町が行った、【結束縄チョッキン】だ。


確かに、太鼓の攻撃の要であるかき棒の無力化という面では、ロープでへし折るのと効果は変わらない。
ただ、そこに至るまでの過程が我慢ならない。

かき棒の結束は当たり前だが、前と後ろの二箇所が存在する。
前側を占拠し(この時点で乗っ取りに近い)横棒との結束ロープを切り、西町の人間を追いたてて後ろの結束ロープも切る。

なんとなく、綺麗とは言い難いですよね。
喧嘩に綺麗さって無いじゃんとか言わないで

人海戦術で相手の前の棒を占拠する…ここまでは乗っ取りと限りなく近いのだ。
しかし、乗っ取りと大きく違う事の一つにペンチやニッパーという金属道具が使われる所が問題だと思われる。

金属道具(以下、金具と略す)は、本来ならば相手に掛けられたロープを切るという自衛行為の為の道具という側面が強い。

この自衛為に使っている金具が、攻撃(結束縄チョッキン)に使われるのが美しく無い理由だと思われる。

やってる事は暴れ狂う暴徒が金具を持って、相手のかき夫を追い散らし、人力で太鼓を破壊するという事だ。
お気づきだろうか?
上に書いた【やってる事】は我々が口酸っぱく批判した、平成24年の西町の戦法と瓜二つだという事に。




平成24年に浴びた屈辱。
電柱に絡め取られ、身動きが取れなくなり、乗っ取られて、鎧を壊され、長胴を割られる。


平成30年手にした金星。
棒を振れない場所に追い詰め、身動きを奪い、乗っ取って、縄を切り、かき棒を落とした。


因果応報という言葉がある。
西町が行った悪行は6年の時を超え、巡り帰って来た。
皮肉な事に、それは悪行の被害者がその悪行を引っ提げそのまま返してきたのだ。

この東町の悪行を私は批判したい。
ロープを切るのは自衛の為に使い、攻撃に転じる道具ではないのだと。

【結束縄チョッキン】
この戦法を上記の理由から私は批判するという立場を取ろうと思う。

東町は今年悪行の限りを尽くしたが、それに対する批判は起こり得ていない。

因果応報という新居浜の共通意識に守られてしまっている。

平成24年、乗っ取り
平成26年、延長棒串刺し
平成28年、追い討ち横転

受けた仕打ちを返し、被った負債を今年で全て返済した。

もういいんじゃなかろうか。
ここらでこの二台の喧嘩の手打ちとし、平和運行に舵を切ってみてほしいと思う。