昨日のバレンタインデー、どうでしたでしょうか?

 

男と女の社会的な変化と共に

バレンタイン問題もビミョウに変化しているようですが、

経済は停滞するより動いた方が良いはずなので、

義理であろうが、本命であろうが、

経済活動には、参加する方が、

社会の一員としては良いのではないでしょうか?

 

「今年も」

私は何も購入せず、

経済活動に参加はしませんでした。

 

すいません。

 

こんな暴露ブログを書いている、

毒親がまだ生きている子供の私が、

自分の素性をさらす気は一切無い訳ですが、

嘘を書く必要もないので書きますと、

私には夫がいます。

 

日本人ではない夫は、

日本のバレンタインデーの習慣を知っているので、

「男がチョコをもらえる」と主張、

 

欧米ではバレンタインデーは男が、

バラだの何だのを女性に送る習慣を知っている私は、

「住んでる場所はどこや?」

 

世間はバレンタインデーらしい日に、

毎年、毎年、同じ会話を夫婦でして、

「お互い何もなし」で

いつもと同じ忙しい一日が過ぎるのが、

私達ケチな夫婦のバレンタインデー。

 

「賢者の贈り物」の中の

美しい思想と心のカップルではない、

夫婦共に愚者の悲しい現実。

 

私が自分の経済活動不参加の理由に

ケチと老化の二つを挙げたとしても、

恋だの愛だの恋愛に年齢は関係無く、

歳を重ねてもお盛んな方も多いので

老化の言い訳は却下され、

 

コスト削減社会で発生しているように、

ケチは老いも若きも年齢に関係なく発症するので、

理由は一つ、

ケチなだけ。

 

ケチは経済的には確かにダメなんだよね。

 

ケチの他にも

「恋せよ乙女」の

乙女の年代にもかかわらず、

意識と自意識の高い女子と、

意識の高い、女性に理解のあるフェミ男が増えると、

色々高尚な「正しい」理屈をこねくり回して、

バレンタインデー商戦への参加も、

素直に単純には出来なくなるのかもしれない。

 

バレンタイン問題から飛躍するかもしれないけれど

先進国の出生率が下がっているのは、

女性にも教育と社会参加ができるようになったのが、

一つの大きな原因であり結果。

 

日本の情報には

「日本は男社会だ!遅れてる!ダメダメ!」

という自国自虐が溢れているが、

では地上に、社会の中に、

男女の問題を抱えていない国があるのだろうか?

 

社会が変化しているのは日本だけではなく、

女性参政権が日本の1945年よりも

「遅れて」

ようやく成立した先進国は多い。

スイスに至っては女性参政権が認められたのは

1971年!

 

女性が参政権を持てるようになったのも近年なら、

高額納税者の男性のみに参政権のあった、

貧乏人男性には参政権も無かった少し前の時代を考えると、

今の時代に生きる私には、古き良き昔は、

恐ろしくおぞましい。

 

私が欧米で教えられたのは、

欧米の中には、日本以上の男性優位社会が存在していたという歴史。

日本はそんなに自虐をしなくても大丈夫。

 

当たり前のことで忘れがちな事だけれど、

人は同じ国民でも、全員が同じ人生を生きていない。

 

男や誰かに依存するしか方法のない女の人生もあり、

自立や共生の生き方を選択する女もいる。

 

それなのに今の、

日本だけではない先進国の中にある

「生き辛さ」は

平和と豊かさと情報のお陰なのかもしれない。

 

少子化も高齢化社会も、

不安を煽るのが政治やメディアの仕事かもしれないが、

それらは本当に「ダメ」な問題なのだろうか?

 

少子高齢化社会は「ダメ」だと洗脳されていないだろうか?

 

毒親ブログが何いってんだ?だが、

「将来の不安」というのは

毒親問題の原因の一つ。

 

将来の不安に洗脳されている立派な大人が、

立派な毒親になり、

毒親の子供達が同じ不安に毒されて、

違う形の毒親の子供となり、親となり、

毒親連鎖が続いている。

 

私の子供の頃、

「それはマンガの世界のハナシ」

「それはテレビの世界のハナシ」

という冷めたご意見のセリフがあったけれど、

 

私の子供の頃には無かった

SNSという情報が増えた現在、

現実と情報の境界線はどうなっているのだろうか?

 

メタバースの中に恋人や友人や家族が存在して、

メタバースの中で過ごす時間が多くなると、

現実世界の年老いた親の介護問題は一層、

遠くなってしまう。

 

毒親と毒親の子供の間、

男と女の間に、

毎年来るバレンタインデーのチョコには、

毒親の子供は自分自身の中に、

 

「そこに愛はあるんかえエ?」

 

愛って何だろう?