お墓まいり当日の朝は天気に恵まれ



コンビニでパンをかじりながら



市民墓地へ向かいます




母の23才上の兄夫婦は揃って


四月にあの世に旅立つ




伯父の一三回忌でした。



灯籠はバラバになっておりました


お墓も目地から水が入り


水琴窟の様な音がします




熊本の震災のせいでしょう





息子は修復しないのかしら
(๑•ૅㅁ•๑)



きっと、



気になったお父様が



修復するのでしょうねェ!





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ここからは祖父の話しですので


ご興味があればお読み下さいm(__)m








祖父は母が産まれたときには


お爺さん(高齢)だったので



この世ではお逢い出来ませんでした





祖父は

軍の御用達の繊維工場を


満洲(中国)でしてた為


かなり裕福な暮らしぶりだった様です

(平民の祖父に嫁は元華族の出身なので、
今で言う成金と、言うのでしょう)




占領地で戦争に負けたので



家は強盗にあい



誘拐されては身代金を要求され





首まで埋められたそうです
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身代金を子供達は出し渋ったそうで・・・
ナタを振り下ろされる寸前の所で
身代金を渡したそう・・・




財産全てを無くして命からがら日本へ戻る




嫁は先立たれ、孫ほどの乳飲み娘を抱え






天国から地獄へ・・・





新天地には地獄のある別府を選んだ




商売人としては先見の明があったのでしょう






戦後は

新婚旅行の聖地になりました






お爺さんでも出来る事は何でもやる


竹で籠を編んだりし



お土産屋に卸したりして細々と





生計を立てた様です





籠も少しのアイディアで売れ筋商品に




しかし、すぐ、人に真似されたそうです






アイディアマンの頑張った証が


今でもチョコっと残ってます






孫の手にボールを付けた人
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写真はお借りしました





温泉地のお土産と、
いえばキーホルダー



現在の物の原形を作った
紐から金具を付けたそう


蘇鉄の実に河童や猿の顔が書いてます
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この二つは当時、沢山売れた様です




しかし、



高額商品ではありませんので




昔の栄華は取り戻せません







祖父は

コツコツ稼いだお金で 勝負に出ました







相場に手を出したそうです





が、





素人なので、擦ってれテンに!





再起をかけるにはお爺さん過ぎました







NHKの朝ドラの様には行きませんね






あの時代
戦争が無ければ皆、


幸せに暮らしてたのでしょう



この平和に感謝です


最後までお読み下さりありがとうございます😊