活動を長く応援して頂いている方から新聞掲載記事がメールに添付されてきました。
ごく自然に行われているたすけあいの記事に、自らの活動を振り返り、支援のあり方を考える時間と向き合う事ができました。
紹介致します
ベトナムに息づく「自然体の助け合い文化」
オリザベトナムCEO 中安昭人
半年ほど前のことである。ホーチミンの下町にある我が家の近所で、ある店のオーナーが、店頭に置いた箱に入れたバゲットを無料で提供しはじめて、話題になった。給水器にお茶や水を入れて自由に飲めるようにする例はよく見かけるが、「無料バゲット」というのは、ちょっと珍しい。ほどなく地元のメディアが取り上げて、日本語に翻訳したウェブサイトから、いろいろなところに転載されたようだ。
これを見て、ベトナムに来た約20年前に出会った、1人のベトナム人女子大学生を思い出した。けっして裕福でなかったが、彼女は毎週、ホーチミン市内の貧しい家庭に生活必需品を届けていた。
■「できる範囲で少しずつ助け合うなら、きょうから始められる」
「あなた自身、援助をもらっても不思議じゃないくらい貧しいのに、どうしてこんなことをしているの?」と尋ねると、彼女はこう答えた。
「『お金持ちになったら貧しい人に援助をしよう』という考えでは、いつまでたっても『まだ貧乏だから』と言い訳してしまうと思う。たしかに私は貧乏だけど、私よりも貧乏な人がいる。だから、そういう人をできる範囲で助けます。きょう生活用品を届けた人たちも、自分たちだけで使っているんじゃなく、さらに貧しい人たちとシェアしているんです」
店頭に置いた箱には無料のバゲットが入っている。箱には「チャリティ。一人1本」と書いてある(ホーチミン)
さらに私は「政府に貧困者支援をするよう働きかけるとか、そういうやり方は考えないの?」と聞いてみた。すると彼女は「長期的にはそれも大切だと思いますが、彼らはきょう食べるご飯がなくて困っているんです。自分のできる範囲で、みんなが少しずつ助け合うなら、きょうからでも始められますよね」
英文科の学生だった彼女は、支援する家庭の子供たちに英語も教えていた。「お金がなくて、あまり物質的に援助できないので、代わりに英語を教えているんです」と話した。
この話をフェイスブックに投稿したら、ベトナム在住の大先輩たちから、すぐにコメントが返ってきた。「ベトナム人って、こういうところがすごいな、と思います。SNS(交流サイト)で資金やボランティアを集めて、定期的に恵まれない人たちを援助しているという話も聞きます。お金を出せる人はお金を、労力を提供できる人は時間と手間を提供する。こんなことを、当たり前のようにやっています」
「ベトナム人の妻は、恵まれない人を路上で見かけたら、必ずいくらかのお金をあげています。会社でもらったチャリティのクーポン券を全部使おうとしたら、妻から『こういうものこそ緑地整備のおばさんにあげればいいんだ』と言われました。クリスマスには、お米を60キロ買って施設に届けてきたとか、なにかしら寄付をしています」
他にも、「ウチの近所にも、無料のバゲット箱が置いてありますよ」「貧乏なお客さんには無料で靴を修理している、路上の靴磨き少年を知っている」など、けっして裕福でない人が、さらに貧しい人を援助する事例をいろいろな人に教えてもらった。
私の妻も、スーパーに買い物に行くと、調理用の油や砂糖、歯磨き粉などは、かならず3~4つ買ってくる。自宅用は1つで、残りは「近所の貧しい人に配る用」だそうだ。買い物から帰ると仕分けして、同じものが入った袋を何セットか用意する。配布する相手は決まっていて、それぞれの家庭の人が受け取りに来る。
ベトナムの助け合いに共通しているのは「自然体でやっている」という点だ。みなが「自分のできることから」始めていて、身構えたところがない。
もう一つ、例を挙げよう。ベトナム南部にベンチェーという省がある。ホーチミンシティに住む同省の出身者が集まり、「ベンチェービジネスクラブ」という友好団体を立ち上げた。県人会みたいなものだろうか。立ち上げメンバーの1人が知り合いで、私も発足準備会に招かれた。その時、「ベンチェー出身の苦学生に奨学金を出そう」という提案が出たのだ。
司会者が「援助しようという人は申し出てください」と呼びかけると、すぐに男性が手を挙げた。「よし!きょう持ってきた1億ドン(約50万円)の現金を出そう」。すると、それにつられるように「では、私も1億ドン」と次々に名乗り出た。
後に続いた人は、ほとんどが最初に言い出した人と同じ1億ドンを提供していた。集まった人の大半は会社の社長だったとはいえ、ベトナムの平均所得が月2万円程度であることを考えれば、1億ドンは大金だ。
なかには「最初の人は、サクラだったんじゃないの?」とか、「ベトナム人は見えっ張りだね」と苦笑する人もいた。だが、たとえ売名行為だったとしても、お金を出すのと出さないのとでは大きな違いがある。
■日本の企業や個人も、さまざまな支援活動
政府に奨学金制度をつくるよう働きかける、スポンサーを募って基金を立ち上げるなど、やり方はいろいろあるだろうが、どれも時間がかかる。まずは「自分ができることから始めよう」という発想がベトナムらしいなと感じる。
日本からベトナムへの援助というと、政府開発援助(ODA)など大型案件が知られているが、実は民間レベルでも、企業および個人による、さまざまな支援活動が存在している。個人では無償の医療活動を10年以上続けている眼科医の服部医師が有名だ。また、ある日系企業は奨学金制度をつくって、毎年ベトナム人学生の学費を援助している。
日本企業約800社が加盟するホーチミン日本商工会(JBAH)は、ベトナム社会への支援活動を設立直後から続けていて、これまで約20年間の寄付総額は「1億円近くに上るのではないか」(同事務局)という。日本流の「陰徳を積む」という精神からか、報道などで表にみえる活動は、ごく一部にすぎない。ベトナム大手新聞社の日本担当記者ですら、JBAHの寄付活動について知らなかった。
ベトナムで働き、生活する外国人は、ベトナム社会への感謝の気持ちを忘れてはならないと思う。たしかに「外国企業は雇用機会を創出し、新しい商品やサービスを提供して、ベトナム社会に十分貢献している」という見方もあるだろう。しかし、それとは別に何らかの支援をすることも大切ではないだろうか。なにも難しく考える必要はない。自分たちが無理せずできることは、個人でも会社単位でもたくさんあるはずだ。
日本人は、「援助」とか「慈善活動」というと、どうも身構えてしまう傾向があるようだ。私自身、寄付といえば「大企業やお金持ちのすること」というイメージを持っていた。だが、ベトナムの「自然体の助け合い文化」から、多くのことを学んだ。「情けは人のためならず」という言葉の通り、日本人が小さな善意を積み重ねれば、ベトナムにおける日本のイメージは良くなって、日本企業は事業しやすく、日本人も住みやすくなると思うのだ