❐ドイツ統一
復習
ウィーン会議→ドイツ連邦:国家としての実態なし
七月革命のあと→1833ドイツ関税同盟:プロイセンによる経済的統一
二月革命のあと→三月革命(ウィーン・ベルリン暴動)
1848フランクフルト国民議会 大ドイツ主義vs小ドイツ主義
1840年代 ドイツ産業革命進行
☆軍事企業クルップ社の製鉄技術(パリ万博で展示)
1861年 プロイセンの新しい国王即位 ※イタリア王国成立と同年
●( ヴィルヘルム1世 )
首相◎( ビスマルク )の登場
「 鉄血政策 」・・・鉄( 兵器 )と血( 兵士 )によってのみ解決される
☯ドイツ統一の障害 その1
オーストリア:ドイツ連邦の最大の国。ハンガリー・ベーメンなど他民族を抱える
ドイツ統一のためには排除したい・・・プロイセンの軍事力で勝てるか(?)
1864 デンマーク戦争
( シュレスビヒ )・( ホルシュタイン )をめぐり、ドイツ連邦とデンマークと戦争が起こる
ビスマルクはオーストリアをさそい共同出兵・・・<オーストリア軍の実態を研究>
➥ 勝てると踏んだ
1866 【 普墺戦争 】 7週間で勝利。
ビスマルクは、裏で、フランス・イタリアにも中立をとりつけていた
参謀総長モルトケは、産業革命のたまものである鉄道と電信をフルにいかし、迅速な兵力移送と指揮系統の効率化をおこなった。
実戦ではじめてつかわれた最新鋭の後装式ライフル銃も活躍した。(火縄銃)
★結果
1867 【 北ドイツ連邦 】を結成
事実上プロイセンが支配。オーストリアを排除した。
【 オーストリア=ハンガリー 帝国 】成立
南ドイツの領邦をもとりこみ、ドイツ統一を実現したい →外敵と戦争しよう!
☯ドイツ統一の障害 その2
フランス:ヨーロッパ最強の陸軍。ドイツが統一し、強国化することをもっとも恐れている
ビスマルクは、ナポレオン3世をわざと怒らせて、挑発をした
①スペイン王位継承問題:ホーエンツォエルン家をスペイン王位に推薦
②エムス電報事件
1870.7.13ナポレオン3世は、温泉地エムスにいたプロイセン国王のところにフランス大使をおくった。国王は腹をたて、申し入れを拒否した。この経過を電報で国王からの電文をうけとると、ビスマルクは、「プロイセン国王はこの非礼に腹をたて、今後いっさいフランスとは交渉しない」内容を改ざんして新聞に発表させた
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この報道で、ドイツの世論は反フランスをばねにした国民意識が一気に盛り上がる
大使が侮辱されたとみたフランス国民も猛反発した☠ビスマルクのしかけた罠・・・