也哉子は「私が結婚するまでの19年間、母と2人きりの家庭でした。そこに象徴としてのみ君臨する父が、大きな存在なのは間違いない。不在の父の存在に押しつぶされそうになった」と、両親が40年以上にわたって続けた複雑な別居婚という家庭環境に苦悩したことを吐露した。そして「なぜこういう関係を続けるのか、と聞くと、母は『お父さんには、ひとかけらの純なものがあるから』と言うのです。やはり私の中で、永遠に分かりようのないメッセージでした」と続けた。
亡くなった母の書庫で、小さなアルバムを見つけた。その中に、希林さんが「悠木千帆」を芸名として名乗っていた1974年(昭49)10月19日にロンドンから内田が送った手紙を発見した。本棚に隠されていたその手紙を読み、長年にわたった両親の複雑な関係性へのわだかまりや戸惑いが解けたと涙ながらに明かした。ページをめくると、ロンドンのホテルの色あせた便箋に目が止まった。父が母に送ったエアメールだった。
也哉子は「今まで想像すらしなかった、勝手だけれど、父から母への感謝と親密な思いの詰まった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。普段は手に負えない父の、混沌(こんとん)と苦悩と純粋さが妙にふに落ち、母が誰にも見せることなく自分の本棚にしまってあったたことに納得しました」と語った。
そして「長年、心のどこかで許せなかった、父と母のあり方へのわだかまりが、スーッと解けていったと感じたのです。こんなに簡単に、あれほど長年形成された思いが解けるはずがないと自分にあきれつつも」と複雑な心情も吐露した。
そして「長年、心のどこかで許せなかった、父と母のあり方へのわだかまりが、スーッと解けていったと感じたのです。こんなに簡単に、あれほど長年形成された思いが解けるはずがないと自分にあきれつつも」と複雑な心情も吐露した。
我が子はわかってくれるだろうか。
たくさんの手紙、たくさんの写真。
私たちの歴史を捨てずに持っていることで子供がどのように感じていくのだろうか。
捨てた方がいいのだろうか。
執着だとか、依存だとか、私にはわからないのです。
私は、あの人と共に歩み、共にあなたたちを育てていき成長を見たかったのです。
不在の父の存在に押しつぶされるような気持ちにさせてしまってごめんなさい。
本当にごめんなさい。