大阪・箕面市で日本初のピアノコンクールが開かれました。それは左手だけを使ってピアノを演奏するというものです。国内だけでなく海外からも左手ピアニストが参加したコンクールの中で、ある病気と闘いながら左手だけのピアノ演奏に挑戦した女子高生を取材しました。
「夢はピアニスト」しかし右手に異変が…
11月2日、大阪であるピアノコンクールが開かれました。参加者の全員が左手だけでピアノを演奏しています。左手だけを使うピアノのコンクールなのです。その中に、ひときわ若い参加者がいました。高校3年生の早坂眞子さん(18)です。
「ピアニストになりたい、小学校ぐらいからずっと思ってました」(早坂眞子さん)
眞子さんは幼稚園のときからピアノを習い始めました。休日は1日8時間、平日も毎日かかさず練習し、アジア大会で金賞をとるなど輝かしい成績を収めてきました。中学卒業後に地元・宮城県から上京。難関の東京音楽大学付属高校の演奏家コースに入学し、音楽漬けの毎日を送っていました。ところが、ちょうど一年前。眞子さんの右手に異変が起きました。左手は鍵盤の上を滑らかに動くのに、右手では…思うように弾けなくなったのです。
「指が上がったまま突っ張っちゃって下りてこないとか、あと指を内側に巻き込んじゃって早く動かせない。これはおかしい…みたいな感じに」(早坂眞子さん)
音楽家を襲う「局所性ジストニア」とは
練習を重ねるにつれ動かなくなる右手。医者に告げられた病名は「局所性ジストニア」でした。眞子さんを襲った局所性ジストニアとは、一体どんな病気なのでしょうか。
「脳が原因で、筋肉が異常に緊張してしまうという病態ですね」(川崎市立多摩病院・神経内科 堀内正浩部長)
脳の中には5本の指を動かす領域がそれぞれ独立して存在します。音楽家の場合、指を動かす練習を繰り返して行うため、領域がどんどん広くなります。しかし、脳の容量を超えて領域が広くなりすぎると重なりができてしまい、楽器を弾こうとすると、脳から正しい情報が伝わらなくなってしまうのです。実はこの病気、音楽家の100人に1人がかかると言われています。そしてプロにとって致命的なのが…。
「治療すると(発症前の)7割~8割は良くなる。だけど音楽家の人に聞くと、演奏っていうのは120%じゃなきゃダメだから、7割良くなってもダメなんだって」(堀内正浩部長)
突然襲い掛かった病気は、眞子さんのピアニストとしての夢を奪いかねないものでした。
「今まで(両手で)弾きたい曲がたくさんあったので、その曲が弾けなくなるかもしれないと考えると、早めに弾いときゃ良かったとか、もっと真面目にやっときゃ良かったなとか、すごくいろいろ考えました」(早坂眞子さん)
そんな時に出会ったある人物がいます。「左手のピアニスト」として活動している智内威雄さん(42)です。眞子さんは今年4月から智内さんのもとで左手ピアノを学び始めました。片手だけで弾き続けるための音の出し方や力の入れ方など細かく指導を受けます。
智内さん自身もヨーロッパでの音楽留学中に右手に局所性ジストニアを発症し、一度はピアニストの夢を断たれました。そんなとき出会ったのが「左手だけのピアノ楽曲」でした。
「これはね、100年前といえば100年前なんですけど、もうちょっと前ですね。といっても1900年初頭…」(智内威雄さん)
左手ピアノは300年の歴史があります。バッハの息子、C.P.E.バッハが練習曲を作ったのが起源といわれています。その後、第一次世界大戦で右手を負傷した人たちが、左手だけの曲を演奏して世に広まり、一時は3000以上の曲が生まれました。智内さんはいつしか埋もれてしまった左手のピアノ楽曲を発掘し、再び世に広める活動を続けてきました。
智内さんに勧められ、眞子さんはコンクールへの出場を決意。左手だけのピアノに賭けてみることにしました。しかし、両手で弾くのとは勝手が違います。88鍵の鍵盤すべてを片手だけで弾きこなすには、相当な技術と体力が必要です。眞子さんはコンクール直前まで必死に練習を重ねました。
「左手で弾けるっていうのは、本当に彼らが見つけたものすごい希望の輝きみたいなところがある。音楽の喜びであったり演奏する喜びであったり、そういうものが凝縮されるような世界」(智内威雄さん)
そして、いよいよ当日。コンクールにはプロ・アマあわせて48人が参加しました。プロフェッショナル部門の予選を突破したのは、眞子さんを含めて6人。海外からのプロもいて、みな輝かしいキャリアがある強者ぞろいです。眞子さんの出番。表舞台に立つのは、病気になってから初めてです。
本選の持ち時間は30分。左手一本で弾き続けます。問われるのは表現力と技術力。繊細ながらも気迫の演奏を続ける眞子さん。全部で5曲、大きなミスなく本番を終えることができました。そして結果は…
「3位 早坂眞子さん」
「左手一本だけだったとしても全然可能性は狭くならないとわかったので、1つの音楽として勉強できるところまで、やっていけたらいいなっていうふうに思ってます」(早坂眞子さん)

見事3位に入賞しました。コンクールで新しい世界の入口に立った眞子さん。大好きなピアノと再び人生を歩み始めます。
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