その感情は自分自身のものである | 龍体波動絵☆晃世

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宇宙に繋がる光と愛の波動のアートを描く

とても感受性の強いAさんが

 

「ある人にとてもキツイ言葉を言ってしまった。

言わなければいけない言葉だったけど

きっと傷ついていると思う。

言うべきではなかったかと考えてしまう」

 

というようなことを言われました。

 

話を聞いていると、共依存もしくは依存されている感じ。

さらっと聞いただけで深く聞かなかったので

共依存であるかどうかまではわかりません。

 

お互いの関係のために、

言う必要があった言葉。

でも、言ってよかったのだろうかと

あとから湧き上がってくる感情。

 

そんな想いを抱えた経験のある方は

多いのではないでしょうか。

 

相手に対して自分が言った言葉を

自分が言われたらどのように感じるか

ということを想像し

まるで自分が言われたかのようにとらえて

自分自身が傷ついていしまう。

 

でも、私が思うこと。

 

感受性が強いからと

その人の立場に立ってその言葉を受け止めているけど

でも、それはあなた自身の感情であって相手の感情ではない。

 

人は自分の経験、生まれ育った環境などから

その人だけのフィルターを持つ。

 

相手が感じている感情は

相手の持つフィルターを通して感じる感情。

相手はもしかしたら全く違うフィルターを持っているかもしれない。

 

同じ言葉を言われて、傷つく人、傷つかない人がいる。

相手が傷ついているかどうかは本人に聞かなければわからない。

あなたが感じているものは、もしかしたら、あなたの想像上だけのもので

相手は全く違う感情を持っているかもしれない。

 

それに、あなたが相手の人生の責任を持つ必要はない。

その言葉を聞いてどう感じどう動くかは相手の問題。

相手の問題であって、あなたの問題ではない。

 

 

感受性の強い人は

ついつい相手の気持ちを慮ってしまう。

 

でも、あなたはあなたであって

相手と同化する必要はない。

 

同化していると感じていても

実は単に自分のフィルターを通して

相手の気もしを想像しているだけかもしれない。

 

答えは相手に聞いてみないとわからない。

 

ただ、私が思うのは

例え相手がどんな感情を持ったとしても

あなたはその人ではなく

あなたが正しいと思って行った行動であるなら

その人の感情の責任をあなたが負う必要はないということ。

 

その事柄をどう感じ、どのように解釈し、行動するかは

その人の問題。

 

特に依存関係の相手を突き放す場合

このように「相手と自分は全く別な人間である」

と切り離す意識は重要だと感じます。