私がなぜ、変わりゆく美しさの一瞬を留め置きたいのか
それは永遠に同じ状態で存在するものなんてない
っていう気持ちがあるから。
最初は、大好きな小川。
私の大好きな遊び場だった。
フナやメダカ、ゲンゴロウ
夏は蛍
当たり前の遊び場だった場所が
ある日突然、「圃場整備」により一日で姿を消す。
大人の都合なんて知らない子どもの私。
そのあたり前にあった小川は
一瞬で当たり前でなくなった、
二度と遊ぶことのできない場所。
代わりにできたのはコンクリートで作られた溝。
とてもショックだった。悲しかった。
そういえば、公会堂の大きな2本の松も、
あるとき突然切り倒されて消えていた。
なぜか小さなころから大きな木に惹かれる私。
でも、この木もいつまでもここにあるわけじゃないんだ。
この好きな景色も、永遠に同じであるわけではないんだ。
そんなことが少しずつ積み重なった。
大人になって、シンボル的な大きな桜の木が消えた。
小学校にあった、大きなポプラの木が消えた。
大きな存在で、あって当たり前だと思っていたものが
あっさりと消えていく。
だから、今のこの景色を愛おしむ。
今の空の景色も、今この瞬間だけのもの。
二度とは見れない景色。
写真に撮れれば一番いいのかもしれない。
でも、写真と目で見るものとは何かが少し違う。
人の心も、今日この瞬間思った気持ちと
明日抱える気持ちは何かが違っている。
だから、私の感じるエネルギーを
絵という形で、留め置いておきたい。
どこまで表現できるのか
今の私にはわからないけど
ただ、感じるままに描き続けたいと思う。
あなたの望む未来に吸い込まれる
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