僕は小学四年生の頃、実家の裏庭で一人遊びをするのが好きでした。ある夏の日。時計が一六時を回り、辺りが薄暗くなり始めた頃。背後から「お兄ちゃん」と声を掛けられました。振り返ると、小学二年生くらいの女の子と、幼稚園年中さんくらいの小さな男の子が駆け寄って来ました。二人の背後には母親らしき女性が立っており、穏やかな表情で此方を見ていました。子供達は「一緒にボール遊びしよう」と僕の手を握りました。僕は年下の子達と遊ぶ事には慣れていたので「いいよ」と頷き、三〇分程ボール遊びをしました。子供達はとても楽しそうで、無邪気な笑顔が凄く可愛らしくて、僕にも歳の近い兄弟がいたらこんな感じなのかなと、思った事を覚えています。「そろそろ暗いですけど、帰らなくて大丈夫ですか?」と女性に声を掛けると「そろそろ帰らないとね。良ければ家にお夕飯を食べに来て」と誘われました。知らない人の家に行くのは駄目だと理解しつつも、子供達が「一緒に来て」「家に面白いゲームがあるんだよ」と僕の手を引くので、断るのは可哀想だよなと…僕は子供達と手を繋いで、女性の後をついて行きました。車通りがほとんど無い田圃道を歩き、一〇分程で家に到着しました。淡い赤色の屋根の、綺麗な一軒家でした。中へ入ると、玄関の奥には畳部屋がいくつかありました。僕はちゃぶ台とテレビがある茶の間の隣、勉強机がある子供部屋に案内されました。そこで子供達とトランプをして遊んでいると、台所の方から良い匂いがしてきました。「カレーライス出来たよ」と女性が台所からおぼんを手に出て来ました。茶の間で、子供達が僕の両隣に座り、女性が作ってくれたカレーライスを食べました。具はにんじんと鶏肉と玉ねぎ、味は子供が好きそうな甘めの味でした。「ご馳走様でした、美味しかったです」と頭を下げると、女性は嬉しそうに微笑みました。長居するのも申し訳ないと思ったので、僕はお礼を言って家を出ました。子供達は少し寂しそうな表情で、見送ってくれました。女性は「今日はありがとう、また遊んでね」と僕の姿が見えなくなるまで、玄関で手を振ってくれました。家に帰った僕は、案の定家族に怒られました。祖母に「こんな時間まで何処に行ってたの!」と聞かれたので、僕は正直に全てを話しました。すると「知らない人の家に行っちゃ駄目!…それにしてもあの辺りに赤い屋根の家なんてあったかな…」と不思議そうな様子でした。祖父に「なんて名前の人だ?」と聞かれて、僕はその時初めて、名前を聞き損ねた事に気付きました。思えば自分の名前も、名乗っていませんでした。失礼な事をしてしまった、と子供ながらに反省しました。そして、その出来事から一週間後の事です。祖父と祖母と一緒に、知人の家に行く事になり、僕は後部座席で外の景色をぼーっと見ていました。確かこの方向は、あのご家族の家がある……となれば挨拶出来るかもしれないなと、考えていた矢先。赤信号で、車が止まりました。その瞬間僕は、目を疑いました。あの日、お邪魔した筈の家が無いのです。いや、無いというよりは、廃屋の様なものがそこにあったのです。窓は割れ、ガラスの破片が散乱し。植物のつたが、壁に纏わり付く様に伸びて。庭は雑草が生い茂っていました。見覚えのある、淡い赤色の屋根。あの家で間違いない…だが明らかに、人が住んでいる気配は無い。まだ一週間しか経っていないのに、こんな状態になる訳がない!僕は頭の整理が追いつかなくなり、どうして、何で、と疑問ばかりが吐息と共に溢れるばかりでした。祖母と祖父もあの廃屋について、詳しい事は何も知らず。あの出来事は夢だったのだと、当時はそう自分を納得させましたが。ー手を握られた時の温もり、甘口のカレーライスの匂いも味も。僕は長い年月が経った今でも、はっきりと思い出せます。ここからは単なる想像ですが、僕はあのご家族が、あの家で暮らしていた頃、過去の世界に行っていたのではないかと考えています。奇妙な体験ではありましたが、不思議と恐怖心はありません。むしろその記憶を思い返すと、じんわりと心が温まるのです。湯たんぽを抱き締めて眠った時の様に、心が落ち着くのです。女性は「また遊んでね」と帰り際、僕に言いましたが。「また」はもう二度と来ない事を、僕は知っています。ただ、それでも。偶に実家に帰り、裏庭で風に当たっていると…「お兄ちゃん!」と僕を呼ぶ声が、聞こえてくる様な気がします。…気のせい、なんですけどね。
長々とした文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
