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久々の更新になります。
復活第一陣の記念すべき画像は、大型ロータリーローダーです。
画像は、パッカー車マニアで、好きが高じて自身でパッカー車を購入、独立開業を果たした友人から譲り受けたもの。出典等は不明です。
ロータリーローダーは類まれな破砕力で、登場当初は粗大ゴミ収集専用車として配備された過去が有り、一般収集用にはバケット付きの中型車、2トン小型車が存在していました。
画像を見ると、バケットがなく、6人乗りの仕様であるため、粗大ゴミ収集用を一般ゴミ収集に転用したあとの収集風景と思われます。
この頃の収集風景写真は珍しく、KUKA純正のロータリーローダーの収集風景となるとかなりのレア画像です。
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今日の画像は、森田特殊機構社製パックマスターです。
画像は世田谷区議会だより(昭和48年1月15日号)から拝借しました。
撮影はその前年、昭和47年ころと推定され、当時のパックマスターの特徴である荷箱側面のリブが山形で2本入っているところから確認できます。
車種は背後からですが、いすゞエルフ150ではないかと思われます。
 
このころのパックマスターはまだ、回転版の操作はボタン式ではなく、レバー式でした。レバー式収集車は昭和50年代前半には姿を消し、このころからボタン式が登場し始める端境期に当たります。
 
この頃はまだ後部荷箱扉には東京都のアイドルマークが入っていない車も多く、この車にも入っていません。
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 久々の更新です。
 今日の画像は東京都千歳清掃工場の昭和49年の航空写真です。画像は国土地理院の航空写真検索システムより拝借しました。
 当時の清掃工場と言えば、紅白のカラーリングが象徴的で、遠くからもよく見えるのでランドマークとしてよく利用していました。最近は昼も航空障害灯を点滅させることにより、紅白に塗らなくてもいいように配慮された煙突が主流になっていて、カラフルに彩られていたりもします。
 さて、この当時の千歳清掃工場ですが、画像を見てお分かりの通り、工場の周囲に清掃車がズラリと整列しています。
 千歳清掃工場は収集を担当する清掃事務所(砧清掃事務所)と、配車を担当する清掃事業所(千歳清掃事業所)が処理を担当する清掃工場と一体化している施設で、このような陣容となっています。
 工場の左脇の部分に緑の車が見えますが、こちらは当時併設されていたし尿中継所(廻沢中継所)です。
 通りを挟んだ敷地は東海運送の車庫になっていて、現在は規模を縮小し希望ヶ丘中継所が稼働しています。
 幼い頃は日曜日のたびにこの地を訪れ、勢揃いした清掃車を眺めながらひとときを過ごしたものです。懐かしい思い出です。
ここ2ヶ月更新ができていません。
原因は、使用しているノートパソコンが壊れてしまったこと。
 
新しいパソコンは買いましたが、なにぶん、取り込んでいた画像関係を全て失ってしまったのが痛かった。
 
再度スキャンしようにも、ちょっと最近忙しく、手が回らないのが実情です。
 
しばらく復活まで時間がかかるかと思いますが、気長にお待ちいただければ幸いです。
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今日の画像は新明和工業社製のルートパッカーです。
画像は講談社『ニューパーフェクト はたらく自動車』(1989年)より拝借しました。
シャーシは三菱キャンターです。この頃のキャンターは配置数でいえば少数派の部類でしたが、東京都清掃局では各事業所に満遍なく配置されていたといえるくらい、少数派ながら発見率は高い車種でした。
 
当初この車種はパックマスターではないかと判断し、パックマスターでアップしましたが、車種に詳しいポンコツ屋さまの調査により、新明和製のルートパッカー初期型ではないかという疑惑が浮上しました。
この頃のパックマスターは荷箱側面の補強リブが3本だったと記憶していますので、どうもルートパッカーが正解のようです。
 
清掃車両の架装はこの頃すでに出揃った感じであり、新鮮味を感じる部分といえば、車種にその関心が移りつつあった頃です。
 
この写真が撮られた1989年頃は、荷箱部分が丸みを帯びたパックマスターが登場したり、初代プレスパックが淘汰され段階的に小型特殊車(いわゆる、フジマイティーとモリタなどの回転盤式車の清掃局内での総称)が寡占状態に入った頃でもあります。
 
この一時的寡占状態の後、プレス車が登場し始め、今日の回転盤式淘汰状態へと数奇な運命をたどることになります。
 
そんなパックマスターを主力とした回転盤式のもっとも幅を利かせた一時代の記録です。
 
新明和製のルートパッカーはその後、形状に変化が生じ、現在はテールゲートが角張った形状となり容易に判別できるようになっています。