第13話 2 

今日はピアノのお稽古があるから、朝からなんとなくゆううつ。
弟の信一はウルトラマンの怪獣の人形なんかであそんでる。

いいなあ、なんで,男の子は習い事しないですむのかしら。
私はピアニストなんかより、博物学者にあこがれている。
ダーウィンみたいな発見をして、世界をあっと驚かせるの。

「のりちゃん、これ,もう捨てていいかしら?」
あれあれ?ママが何か持ってきた。

「食器棚を整理してるんだけど、こんな古いの、もういらないわよね。」
あれえ、それ、私が幼稚園のとき使っていた、お気に入りのお皿だ。
イチゴの絵がかいてあって、ママがよく、「さあ、のりちゃん、ぜんぶ食べたら、デザートのイチゴが出てくるわよ」って
なつかしいなぁ。 でも、もうさすがに使わないわね。 でも,捨てるにはもったいないし。

あっ、そうだ!! 


私って今日、すごくさえてる。(笑)



「ママー、それ、ちょうだい。」
「えっ?どうするの。」

「いいから、いいから。じゃあ、いってきまーす。」
「のりちゃん、ピアノのお稽古,まだ早いんじゃあない?」
「ちょっと寄るところがあるの」


私はピアノの楽譜が入っている手提げ袋の中にそのイチゴのお皿を入れた。
そのことを考えるだけで、わくわくしてきた。

家を出て、少し歩くと、亀が丘団地に行く坂道がある。
ピアノの先生のうちは亀が丘団地の真ん中くらいにあるから、この道はよく知っているんだ。

亀が丘団地は山を切り崩して作ったから、あちこちに山肌が出ていて,地層が良く分かるの。
あそこをシャベルでていねいに掘ったら、何か出てくるかしら?
アンモナイトの化石が出てくればいいのになあ。

さあ、やっと半分まで来たわ。
でも,目的地は頂上だから、もうちょっとね。
ああ、本当に楽しみ。

あれ? あの遠くに見える自転車に乗っている男の子たち、もしかしたら。
あっ、でも、どうでもいいわよね。

「あら、のり子さん。」
「あっ,山内先生。」この人がピアノの先生。そして、ここがそのお家。ちょうど出てきて、ばったり会っちゃった。

「私、間違えたかしら。たしか、のり子さんは。」
「先生は合ってます。私、ちょっと用事があるので,そこに寄ってからまた来ます。
「へぇー。」

ああ,おかしい。先生ったら,何で?って顔してた。
そろそろ,見えてくる頃ね。
あっ,あの家。もう,あんなに建っちゃっている。
早いなあ。もう、あれじゃあ、2階に忍び込めないわね。うふふ。

さあ,着いた。
あっ、これ、さっきの自転車。

「こんにちは。」
「はあーい。」どたどたという音の後、玄関が開いて、小柄な女性が出てきた。この人、ツチモチ君のお母さん。
「あらー。」ツチモチ君のお母さんは満面の笑みを浮かべた。
「あきらー、お客さんよ。」ちょっと待っててねとツチモチ君のお母さんは言った。

待ってたら,庭の方からツチモチ君が来た。
やせっぽちで、髪の毛はいつも寝癖で立ってる。

私はツチモチ君にこんにちはと言った。
ツチモチ君は恥ずかしそうにぴょこんと頭を下げた。
「チビちゃん、どうしてる?」
「いるよ。」
私はおかしくなった。なんで、「いるよ」なんだろ?
いるに決まってるじゃない!(笑)

「見せて。」
「いいよ。」
庭の方に行くと、ツチモチ君のお父さんと、二人の男の子がしゃがんで、犬小屋を覗き込んでいた。

「あっ、やっぱりね。」私が大きな声を出したら、男の子が振り返った。
「あっ、早乙女だ。」
「何しにきたんだよ。」

やっぱり、オギハラ君とネモト君だった、
でも、この人たちって,本当にバカみたい。
自分たちだって,チビちゃんを見に来ただけじゃあない?

「やあ、おじょうさん。いらっしゃい。」ツチモチ君のお父さんが立ち上がった。手に小皿を持って、何かぽりぽりかじっている。
「ほら、みてごらん。新築の家だよ。」

そこには真新しい犬小屋があって、その中にちびちゃんがいて、なんかガジガジかじってる。
ちょっと、太ったのかなあ。

「ちょっと、太ったみたい。」私は思った通りのことを言った。
何故か、みんな笑った。

「これ、作ったんですか?」私は犬小屋を指差した。
「ぼくとお父さんが作ったんだ。」ツチモチ君が恥ずかしそうに言った。
ふーん、私は犬小屋を注意深く見渡した。ところどころ、釘が曲がっているところがあった。
きっと、ツチモチ君が打ったんだと思ったが、だまっていた。

「のりちゃん、お母さんお元気?」ツチモチ君のお母さんが縁側から出てきた。
「はあ、元気です。一応。」

ツチモチ君のお母さんとうちのママはPTAの役員を一緒にしているらしくて、かなり、気が合うらしい。
どっちも東京から転校してきたから、田舎の学校は遅れてるわねって盛り上がってるらしい。
でも、私は小坪小学校が好き。サンペイ先生はやさしいし、海にも遊びに行けるし、クラスのみんなも好き。
男の子はみんなにたよりなくて、バカみたいだけど、まあ、かわいいとこもあるし。

私はチビちゃんの耳をつまんで、指に巻き付けてみた。ビロードのような肌触りで、あったかい。
血管が透けて見えて,どくどく言ってるみたい。

「あっ、そうだ。」私は急にここに来た理由を思い出した。
そして、手提げ袋からイチゴのお皿を取り出した。
「あのう、これ、もし良かったら使っていただけないかなと思って。」

古い、イチゴのお皿に,ここにいる人の視線がぜんぶ集まった。
全員,不思議そうな顔をした。

「チビちゃんのお皿にちょうど良いかなと思って。」
「あー。」全員がうなづいた。

「なんだよ、そのイチゴの柄の皿。」オギハラ君が笑った。
「女もんじゃねえかよ。」ネモト君がさけんだ。

「でも,大きさはちょうどいいかもしれない。」ツチモチ君が言った。

「じゃあ、せっかくだから、いただきましょう。お母さんによろしくおっしゃってね。」
ツチモチ君のお母さんが言った。
「はあ。」べつにママに持たされたんじゃあないんだけどな。


ツチモチ君のお母さんが牛乳のビンを持ってきた。
あれ、この間、うらの建設中の2階にもってきたやつだ。ふふ。

お皿にいっぱい牛乳を入れて、チビちゃんの前に置いたら、
うあー、すごいいきおいで飲んでる。

「おっ、これおもしれえぞ。牛乳でイチゴが見えないぞ。」
「全部、のんだらイチゴが出てくるんだ。」
かわいそうな、おバカさんたち。やっと気がついたのね。

それで,大人と子供がずっとチビちゃんが飲み終わるまでながめていた。
「おっ,出てくるぞ。」お皿にイチゴの赤い色が見えた。
チビちゃんはもうれつにぴちゃぴちゃなめて、ほとんどお皿に牛乳がなくなった。

そしたら。みんな期待を込めてチビちゃんをながめた。

あっ、やっぱり!! チビちゃんはイチゴの柄を何回も何回もなめてる。

みんな、手を叩いて大笑いした。
チビちゃんはなんで笑われたのかわからないって顔をした。

あー、おもしろかった。
ツチモチ君はありがとうと言った。
チビちゃんもお皿気に入ったみたい。

「じゃあ,私。これからピアノのお稽古があるので。」私があいさつすると
ツチモチ君のお母さんがちょっと待ってと言って、紙袋を持ってきた。

「これ、お母さんにわたして。」中を見たら,チェックのふきんだった。
ママじゃないのになあ、と思いながらも、ちょっとうれしくなった。
「そんなお気遣いなさらないでください。でも,ありがとうございます。」私は思い切りていねいにお礼を言った。
ツチモチ君のお母さんは声を上げて笑った。

「おれたちもそろそろ帰るよ」オギハラ君たちが自転車の方に向かった。
さて,私もピアノに行くとするか。なんか、今日は上手に弾けそうな気がする。

つづく

第13話 1
チビがうちの家族になってから、一週間がたちました。
お母さんの動物嫌いは相変わらずでしたが、それでも、なんだかんだ言って
ごはんにみそ汁をかけた物を作ったりしてくれていました。
時々、煮干しなんかが入っていたら、それはそれはごちそうなんですよ。
(未来のペットは人間より贅沢な肉のドッグフードなんですってね。)

ただし、チビをうちの中で飼うことだけは頑として反対しました。

「こんな、毛むくじゃらがうちの中をかけ回るかと思うと卒倒しそう」
そこで、お父さんとぼくはうちの前の庭に犬小屋を作ることにしました。

日曜日。ぼくとお父さんは日曜大工の店に、犬小屋を作るための板や,屋根に張るトタンを買いに行きました。
日曜大工店には、ペットコーナーがあって、すでに出来上がっている犬小屋やいろいろな種類の犬の首輪が売られてました。
お父さんが犬小屋の材料の板を見ている間に、ぼくは自分のお小遣いで水色の小さいサイズの首輪を買いました。
これには鈴がついていて、結構気に入りました。
「おーい、ぼく。」日曜大工店のおじさんが呼び止めました。
「これはすごく良いよ。」
渡してくれたのは、犬のためのガムです。両方が結び目になったゴムみたいなもんで、何となく肉みたいな匂いがしました。   


ぼくは財布を開けていくらですかと聞きました。
日曜大工のおじさんは「あ、いいよ。これはサービス。」と言って首輪が入った紙袋の中に一緒に入れてくれました。
『あっ,ありがとうございます」
ぼくは紙袋の中から、そっとそれを取り出すと犬になったつもりでちょっとかんでみました。
なんか、ゴムと肉の中間みたいな味がしていやな気分になりました。

「さてと。」帰りがけ、お父さんはいつになくうれしそうで、鼻歌なんかを歌っています。
「これで、あいつも(チビ)、一家のあるじってわけだ」
ぼくはなんとなく、お父さんが自分のことを言っているようにも思えました。(お父さんも絵が売れて念願の一軒家を建てたので。)
家に帰ると、お父さんはまず、紙に犬小屋の設計図を書きました。
お父さんはさすがに図工の先生なので、犬小屋を作る事なんてお茶の子さいさいなんです。

犬小屋は家の南側の庭に面した、小さな倉庫小屋の脇に作ることにしました。
これなら、縁側のドアをあけて、サンダルを履いていけば,チビにえさをあげることができます。

「ふうーん、ふうーん」お父さんは相変わらず鼻歌を歌いながら、ぎこぎこのこぎりで木を切っています。
鉛筆を耳に挟んで、ときどき手にぷっぷっとつばを吹き付けて、のこぎりを挽く姿はプロみたい。
「よおーっし、骨組みはできたぞ。」まるでそれは建設中の家のミニチュア版みたいで、すごくかっこいい。
「あきら、ここに板を打ち付けろ。」骨組みの横に板を打ち付けるのはなかなかけっこう大変なんですよ。
ぼくは慎重にくぎを打ちつけたつもりですが、ほとんどの釘が曲がってしまったり、板からそれて、とんでもないところから釘の先っちょが飛び出したりしました。
「あーあ。」お父さんはしかし、楽しそうに釘抜きで釘を引っこ抜いては、新しい釘を打ち付けていきました。
そんなこんなで、ようやく犬小屋の壁は出来上がりました。
次に、板を二つ組み合わせて、屋根を作り、そこにトタンを打ちつけて犬小屋はとうとう出来上がりました

「うぁー.すごいや.本当にできた。」それは日曜大工の店にあった物なんかよりずっとすてきでした。
入り口はちゃんとアーチにくりぬかれていました。そして反対側も開くようになっていました。
ここを開けて、中に毛布なんかを出し入れする時便利なんだそうです
最後にお父さんは犬小屋の前に柱を打ち込みました。ここに鎖をつけるんです。

ぼくはさっそくチビをつれてきて、まず水色の首輪をつけました。
チビはなんか変なものをつけられたみたいにその首輪をかもうとしましたが、それができずに、くるくるその場を回っていました。
回るたんびに鈴がちりんちりんと鳴って,ぼくは思わず吹き出してしまいます。
これを見たお母さんは『鈴がついているなんてネコみたいね。」とよけいなことを言いました。
つぎに鎖のはじっこを犬小屋の前の柱にしばって、もう端っこについているフックをチビクロの首輪につけました。

チビは初め何がなんだか分からなかったようですが、好きなところに行こうとしてもくさりがじゃましていることに気がつきました
猛然とダッシュしたり、鎖や柱に噛み付いたり、『うーうー」うなったりしました。
でも,結局、全部ダメで最後は「くうーん、くーん」と鳴き声をあげました。
「ごめんね。お前はここで暮らすんだよ。でも、ちゃんと家があるからね。」
そう言ってぼくはチビを犬小屋の中に入れようとしました。
でも,入れたと思ったらすぐに出てきてしまいます。
「この家、気に入らないのかな」
ぼくはしゃがみ込んで,どうしたら犬小屋の中に入ってくれるのか考えることにしました。
すると,チビが茶色の紙袋の中をくんくんと嗅ぎだしました。

「あっ、そうか」ぼくはピンときました。
紙袋の中から犬用のガムを取り出してチビの前に置くとクンクン匂いを嗅いでいたかと思ったら
突然、がうがうと噛み付き始めました。
チビは両足を使ってガムを押さえながらガジガジ噛んでいます。
ぼくがガムを取り上げようとすると「うー、うー」とうなりました。

ここで、ぼくは良い事を思いつきました。
お母さんにウインナーを持ってきてもらって,チビクロの横に置きました。
本物のえさにチビは押さえていたガムを離してウインナーに飛びつきました。
そのすきにガムをとりあげ、犬小屋の中に投げ入れました。
チビクロはウインナーを食べ終えるとガムを探し出しましたが、すぐに犬小屋の中にあることをつきとめ
自分から犬小屋の中に入って,安心してガムをガジガジ噛み始めました。
一回入ると,落ち着くことが分かったのか,チビはこの小屋が気に入ったようです。

その時、自転車のちりんちりんという音と,パフパフという音が聞こえました。
オギとねもちんが自転車に乗って、やってきたのです。
オギはこの間買ってもらったばかりのピカピカの五段変速の自転車に乗っていました。
「チビ、どうしてる?」
『今日,犬小屋を作ったんだよ」
「へえーっ、見せてよ」
オギとねもちんは慎重に自転車を止めました。
オギは念のために鍵をしました。
「丸石だぜ。」丸石というのは自転車のメーカーです。
当時、自転車メーカーはけっこうあって、この他にブリジストン、セキネなんかがありました。
どれも、変速ができるやつで、ライトは両目、荷台のところには左や右に光が走るウインカーがついていました。
かっこいいなあとぼくは思いました。ぼくもこんなすてきな自転車が欲しいと思いましたが、今は我慢しなくてはなりません。
なにしろ、チビを飼っても良い事になったばかりだからです。

「おっ、すげえ」ねもちんが犬小屋を見て声を上げました。
「おい、ちゃんと中に入ってるぜ。」オギが小屋の中をのぞき込んでいます。

「おや、君たち。いらっしゃい。」いつの間にか、お父さんが縁側の引き戸を開けて出てきました。
お父さんは小皿を持ちながら、そこに乗っっている、おしんこをぽりぽりかじっていました。
「どうだい?なかなか良くできてるだろ?」
「あっ、こんちわっす。」
「こんちわー。なかなか良いっすね。」二人は野球帽を取って、ぺこぺこていねいにあいさつしました。
ぼくは学校で会っているいつもの二人と大違いなので、おかしくなりました。
(ぼくがこんなこと言うのもなんですが、当時の子どもたちはとても礼儀正しかったと思います。)

「こいつ何かじってんな。」ねもちんも覗き込んで言いました。
相変わらず、チビは犬のガム相手に格闘していました。
「お前、知らないのか?これは犬用のガムで、こういうちびっこの犬は歯がかゆいからこうやってガジガジ噛んでるんだぞ」

へえーっそうだったんだ。さすがにオギは犬を飼っているだけあって、いろいろ詳しいです。
オギはちょっと得意そうな顔をしました。
「そうだ、今度、チビとうちの「ストレイカー」を一緒に散歩に連れて行こう。」
ぼくはあれっと思いました。たしか,この間は「スタンレー」だったんじゃあなかったっけ?
それに本当は『栄作」じゃなかったっけ?(笑)


オギはチビを小屋から引っ張りだして、抱き上げました。
「あれっ?お前.ちょっと見ない間に相当太ったんじゃあないか?」
たしかに、チビは毎日、みそ汁ごはんとミルクを飲んでいるので,一回り大きくなっているみたいです。
「これじゃあ、宇宙飛行士ごっこできないな。」とねもちんは残念そうに言いました。
「しっ、だまってろよ。」オギがにらみつけました。

でも、チビがちびっ子のまんまでも、宇宙飛行士ごっこは無理でした。なぜなら、裏の建設中の家はもう、骨組みだけでなく壁が出来上がっていたからです。
「こいつ、きっとでかくなるな。そしたら「チビ」って名前じゃだめになるぞ。」
オギはまた,新しい名前を考えているみたいです。オギはきっと名前を考えることが好きなんだとぼくは思いました。

その時,玄関の方から「こんにちは。」という声が聞こえてきました。
「はあーい。」と言って、お母さんがどたどた廊下を歩く音が聞こえました。
「あきらー、お客さんよ。」お母さんのうれしそうな声が玄関のほうから聞こえてきました。
「うーん?」ぼくは庭を横切って、玄関の前に出ました。

すると、そこに、早乙女さんが立っていました。


つづく
第12話「ちびっ子の子犬」3

「わたし、そろそろ帰らなくちゃ。」早乙女さんはそう言って腰を上げました。
そう言われてみたら、空がだんだん赤みを帯びてきました。
ちぎれた綿のような雲が西に沈もうとしている太陽の光を浴びて立体的に浮かび上がっています。

「おれも、そろそろ帰るわ。」とねもちん
「こいつ、どうする?」オギが寝ているチビのあたまをなでながら言いました。
「このまま、ここに置いて行ったら寒さで死んじゃうかもしれないぜ。」

「でも、ここの家の人の犬かもしれないじゃない。」早乙女さんが言いました。
「首輪がないぜ。」
「きっと、ここの大工さんが拾ってきたんだろ?」

「モチ、おまえんちで飼ってやれよ。」オギはまた命令しました。
「えっ?だめだよ。だって、お母さん、動物きらいなんだもん。」

たしかに、母親は動物がきらいです。
とくに、ネズミは大嫌いです。というか唯一、母親が恐れているのがネズミなんです。

前にすんでいた、江東区の家で「お絵描き教室」の時間中。
突然、どこからかネズミが現れました。
「きゃーっ、ね、ね、ネズミ!!」と言って、母親はちゃぶ台の上に駆け上がって震えていました。
「先生。おれたちがやっつけます!」
ぼくの先輩の悪ガキたちがスケッチブックや座布団でネズミをひっぱたこうとしましたが
あまりにもすばしっこくてまったく当たりません。
そのうちにネズミはどこかに行ってしまいました。

それ以来、母親は「毛の生えた生き物」(ネズミに限らず)が大きらいになったそうなんです。

「オギんちは?」ぼくは聞きました。
「うちにはスタンレーがいるからだめだ。」
ぼくはえっ?と思いました
たしかにオギの家では白い日本犬を飼っています。
でも、名前は確か「栄作」だったと思ったのですが。。
オギが「おい!栄作!おすわり!」っていうのを聞いていたからです。

「栄作じゃないの?」
「栄作なんてうちにはいない。スタンレーだ。」
ぼくはぷっと吹き出しました。
きっと、オギがまた名前を変えたに違いありません。でも、どう見たってあの犬は栄作ですよ。(笑)


「ねもちんちは?」
「うちは家族で旅行することが多いから無理だよ。」と子供にしてはもっともらしいことを言いました。

「早乙女さんちは?」
「うちはセキセイインコ飼っているから無理よ。」
セキセイインコと犬を飼うことになんの関係があるのでしょうか。

「決まりだな。」オギがぼくのほうを向いて言いました。
「モチのうちがだめなのはモチのおばさん(お母さん)が嫌いなだけだろ?」
たしかにそう言われるとうちの理由が一番、説得力がないように思います。

しかし、うちではお母さんがだめだと言ったら、どんなことより『絶対』にだめなんです。

「ぼく、犬飼いたい。」突然、浩二がそう言いました。
まったく、分かってないなあ。しかも、弟のくせに。
そりゃあ、ぼくだってこんなかわいいやつ本当は飼いたいんです。
でも、お母さんがだめだって言うに決まっているんです。

「まあ、だめで元々だろ?」
オギの言葉に少し勇気がわいてきました。
それに、こんなにかわいいんだから、もしかしたら、お母さんも気に入るかもしれません。
そんなふうに考えてたら、なんだかチビを絶対にうちで飼いたくなってきました。


「じゃあ、とりあえずうちに連れて行くよ。」ぼくは言いました。
「わたし、チビちゃんに会いにいっても良い?」早乙女さんはチビをなでながら言いました。

「いいよ。」早乙女さんだったら、本当に毎日来たって良いくらいです。
ぼくはもうすっかり有頂天になっていました。

とりあえず、水色の首輪を買ってあげよう。
それに、犬小屋も作らなくちゃね。
散歩用の革のひももいるなあ。
ぼくは早乙女さんとチビの散歩をしている光景を思い浮かべて、ぼんやりとしました。


「じゃあ、行こうぜ。」オギはまだすこし残っている牛乳瓶を持ってくれました。
浩二がお皿を持って、ぼくがチビをだっこして階段を下りました。
建設中の家は明かりがなく、だんだん暗くなってきたので、注意しないと足を踏み外しそうです。
慎重に足の位置を探りながら、ゆっくりと下りていきました。
早乙女さんはときどき、チビをなでて安心させているようでした。

やっと、1階に降り立ち、ぼくたちは全員、家の外に脱出しました。
「ふーっ、やっと地球に戻って来たって感じだよ。」
「だけど、むちゃくちゃに楽しかったね。」

そして、道路に出て、向かいのぼくの家の前にみんな集まりました。
家には明かりがついていて、お母さんが帰ってきているみたいです。
「じゃあな。」
「がんばってね。」
「がんばれよ。」
なぜか、みんな小声であいさつして、自分の家に帰っていきました。

「ただいま。」ぼくと浩二は家の中に入りました。


玄関にお母さんがすごい顔をして仁王立ちで立っていました。
「あんたたち、どこに行ってたの?」


「えっ?」とぼく。
お母さんはぼくが抱いているチビを見つけました。
「なんなの?その犬は?」
「えっと・・。」
ぼくは一瞬、言葉が出てきませんでした。

「うしろのおうちにいたんだよ。」浩二が言いました。
「うしろのおうちって?」
「おうちをたてているところだよ。」

「あんたたち、あそこの家をたてているところに入ったの?」
バカだなあ、浩二。よけいなこと言って。

「そう、そこにこの犬がいたんだよ。おなかすいてたからミルクあげたの。」
あーっ。浩二。  ぼくは泣きたくなりました。

「けっこう、かわいいでしょ?」ぼくはチビの前足をふりながら小さな声で言いました。

「戻してきなさい。」お母さんはきつい声で言いました。
「でも、この犬・・・」
「聞こえないの?戻してきなさい。」お母さんは大きな声で言いました。

こうなったら、どんなこと言ってもだめです。
ぼくは絶望的な気分になりました。
チビをだっこして、さっき遊んでいた建設中の家に向かって歩きました。
あたりはすっかり暗くなっていました。
建設中の家は照明がないので、とくに暗くて不気味でした。
さっきはあんなに楽しいところだったのに、今はもう、なんかすごく怖い感じです。

ぼくはそおーっと家の中に入りました。まっ暗でチビクロを最初に見つけたシートがどこにあるかも分かりません。
ようやく、目が慣れてくるとぼんやりと資材をくるんでいるシートを見つけました。
ぼくはシートを開けてチビクロをその中に置きました。
「くぅうーん」チビクロは悲しそうに泣きました。
「ごめんね。でも、うちじゃあ飼えないんだよ。」
そして、シートをかぶせました。
シートの中からチビクロの泣く声が聞こえてきました。
ぼくはたまらず後ろを振り返らずに走って家に帰りました。


その日の夕食。
お母さんはずっと口を聞いてくれませんでした。
それで、浩二もぼくもだまっていました。
ただひとり、赤ん坊のまりだけが訳のわからない言葉をしゃべってはきゃっきゃっはしゃいでいました。

ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴って、「ただいまー」とお父さんが帰ってきました。
「おーい、あきらー。」お父さんが玄関で呼んでいます。
「うーん?」ぼくは玄関に行きました。


「あっ!」ぼくはびっくりして心臓が止まりそうになりました。

「こいつが玄関の前にいたんだよ。」
お父さんはチビをだっこしていました。

シートの中から自分で抜け出してここまで来たのでしょうか。
「おまえ…」ぼくは涙が出てきました。

「犬を戻さなかったの?」いつのまにかお母さんも玄関にいました。
「戻してきたよ。でも自分でここに帰って来ちゃったんだよ。」
ぼくはもう、どんなことがあってもチビをあんな暗いところに戻したくないなと思いました。

ぼくはお父さんにこの犬がどんなに良い犬か、行くところがなくて困っているかわいそうな犬かを話しました。

お父さんはだまって聞いていました。
「おじいちゃんの生まれ変わりかもしれないな。」
お父さんのお父さん、つまりおじいちゃんはつい2ヶ月前に交通事故でなくなってしまっていたのでした。
お父さんは、そのことでずっと悲しんでいて、元気がなかったのです。

「ちゃんと、責任をもって飼えるか?」お父さんが言いました。
「うん。」お父さんの思いがけない言葉にぼくは飛び上がりたいくらいうれしくなりました。
「だめよ!犬なんて・・」お母さんが言いました。
「いいから。」お父さんは、お母さんの言葉をさえぎりました。
「うちで飼っても良い。でも、こいつの本当の飼い主が現れたら返す。いいな、約束だぞ。」
「うん。」今日のお父さんは大好きです。

「浩二、チビ、うちで飼っても良いって。」
「わあ!」
浩二が飛んできました。

お父さんは喜んでいるぼくに向かって容赦なく言いました。
「あきら、デッサンを描く時間だぞ。」
「いいよ!」ぼくは100枚だって、1000枚だって描いても良い気分でした。

(つづく)