またひとり日本の親父殿が永眠しました。


日本ハムファイターズの元監督で野球解説者の大沢親分です。



”がんこ親父の目に涙”と言う歌をうたっていたぐらいだから

テレビのイメージ通り、がんこでカミナリを落とす方だったかもしれないが・・・

いつも野球愛が伝わってくる方でした。


選手時代の活躍は記憶にない世代ですが

大沢監督が日本ハム時代  

川畑少年はファイターズのファンクラブに入っていたのでそのころを思い出しました。


うちの親父がリトルリーグの監督をしていたので、二人でファイターズの少年野球教室にいったものです。

多分、小学校3~4年の頃だったと思う。

場所はなぜか、グアム!!!

はじめての海外旅行

舗装道路のすぐそばに海岸がある与論とはまた違う風景にびっくり

全国から集まった野球少年たちと仲良くなったり、観光したり

もちろんメインは野球教室

富田選手・佐伯選手・柏原選手(親父の聞きました。)に教わりました。

みんなにくらべても身体が小さかった川畑少年・・・

たぶん1メートルちょっと(小学校6年で136センチだったもんな・・・)

バッティングでも守備でも特に活躍することはなかったと思う。


でもうれしかったのは富田選手に

「川畑君は、身体は小さいけど野球の基本のキャッチボールを丁寧にやってる!」

と、ほめられ、特別にキャッチボール賞をもらったのです。クラッカー

あの時は本当にうれしかった!

そしてその翌年、今度は与論島にファイターズの選手が野球教室に来てくれました。

そのこともあって特にひいきにしているプロ野球チームはありませんが、ファイターズは応援したくなりますね。


ちょっと話が、自分のことになってしましたが、


テレビでの大沢親分の発言も楽しみにしていました。

音楽で学んだこともたくさんあるし、野球でもいろんなことを学びました。

自分のこれからの人生に

”喝”を入れながら   

”天晴れ”がもらえるように

がんばります。


大沢親分 心よりご冥福をお祈りします。