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ただいま

I WANNA BE A KiLA!

絶対に見てコメントをください。

これは、昨年、学校の先生から聞いて、知った話です。

とても感動する話なので、是非、最後まで読んで下さい。

そして、みなさんの感じたことをコメントしてくださったら嬉しいです。

僕が今から語るのは"エトゥールル号遭難事件"。

この出来事が、トルコに親日感情を生んだ。

今ではトルコ人に「どの国が好きですか?」と聞くと、「日本です」という答えがほとんどの人から返ってくる。

そのことを日本人の多くは知らない。

では、何故そうなったのか。それを含め、今から説明します。

明治時代、トルコ(当時の名前はオスマン帝国)のエトゥールル号という軍艦が日本へやってきた。

明治天皇へ、挨拶をするために。

そして、明治天皇含め日本政府は、とても厚くもてなした。

しかし、トルコ船出港日当日。

日本は台風に見舞われていた。

日本は、それまで日本に泊まっていくようにと、念を押したが、「予定が遅れる」としてトルコは出港。

そして、案の定、トルコ船は暗礁に乗り上げ、沈没してしまった。

600人以上の船員が死亡し、確認できた生存者は69人だった。

そのとき、その最寄りの村の大島村では…

灯台守が船が乗り上げた音を聞いていた。

その知らせを受けた村民は、村民全員で救助と介抱にあたった。

外国人を見るのが初めてだった人々も、言葉の壁を越えて、人の命のために尽力した。

そして、台風のため、食糧危機で、ほとんどなにもなかった大島村。

しかし、自分達の食べ物をなくしてまで、トルコ人の看護にあたった。

非常時の蓄えも全て使い、衣類、米や卵や芋、そして正月のために用意していた鶏までも献身的に供出した。

明治天皇もこの話を聞くと、大いに心を痛め、可能な限り、政府として全力を尽くした。

そして、この結果、生存していた全ての69名は手厚くもてなされ、無事助かり、日本の海軍艦で、帰還した。

亡くなった人々の遺体も引き上げ、丁寧に葬った。

このことは、トルコで大々的に新聞などで伝えられ、全てのトルコ人の心に残っている。

また、このことは、トルコの教科書にも大きく載っている。

しかし、この事件に関することはこれだけではない。

この後、この事件がきっかけで、今度はトルコが日本を救うこととなる。

1985年、イラン・イラク戦争が起きた。

そして、イラクのフセイン大統領は、イランへの無差別攻撃宣言を48時間後に行うと発表。

イランには様々な国の外国人が在留していた。

そして、各国、その国の飛行機が次々とイラクへ到着し、在留していた自国の人間を救出した。

しかし、そこにまだ飛行機を送れていない国がひとつあった。日本だ。

自衛隊は、海外派遣禁止の原則により、国外への派遣が禁止されていたのだ。

また、日本航空に依頼したものの、危険すぎると反対に遭い、日本からの救出は不可能となってしまった。

そして、アメリカ・ロシア・イギリス・中国…様々な国に援助を頼んだ。

しかし、"爆撃の中へ飛び込むのは危険すぎる。他国の人間を助けている余裕はない。"

全て断られ、日本政府は為す術がなくなっていた。

ついに、日本には残った国がトルコしかなくなっていた。

そして、トルコへ救助要請の電話をかける。

すると…

「分かりました。直ちに救援の飛行機を送りましょう。トルコ人なら誰もがエトゥールル号事件の恩義を持っています。恩返しをいたしましょうとも!」

と、すぐに快諾されたのであった。

そして、救助機のパイロット、乗務員を集った際も、多くの立候補者が"日本のためなら"と集まったのだ。

そうして、宣言時刻のほんの数分前。

トルコの飛行機が到着し、そして、イラクのミサイルが飛び交う中、日本人は全員無事救出された。

という、話である。

-考察-
トルコ人は、見ず知らずの外国人に対して、小さな漁村の人々がこんなにも手厚く介護してくれたことに、心を奪われ、日本に心を広く開示しているという。
100年の歴史を超えたトルコ人の日本に対する心の持ちよう。
大島村の人々の勇敢な気持ちと優しさ。
この話に大いに感動しました。
また、ひとつ。
日本と外国の時間の流れに対する感覚は全然違うということ。
日本はおそらく100年、200年前のことには重大さを感じずに生きているだろう。
しかし、外国は違う。
現在でも、3000年前の歴史が原因で戦争が起きている地域だってある。
100年前など、昨日のことのように感じるそうだ。
しかしながら、本当にこの救出劇には、天晴れだ。
トルコに対する考え方が、これを知った日を境に全く変わっていた。