愛想笑ばかり上手くなってきて、結局何もできるようになってない。


みんなと一緒にいるのに、なんだか満たされないのはなんでだろう。
周りにこんなに気を使ってるんだけど。だけど、やっぱり何も変わらない。


一緒にいるときは笑ってるのに、終わったら疲れてるなんて事がよくあるんだ。


大学生になったら充実した日々を送ろうと思っていた。でも、現実はなかなか厳しい。


「好きなことがみつからない。やりたいことがない。」とよくあることを言ってみても何も変わらない。
本当に好きなことなんて孤独を埋めてくれるものでしかないんだよきっと。


こういった文章を書きながら僕は、ものすごい不安に陥るんだ。


それは、「そんな当たり前のことをいって、頭いいつもりか」といった声だ。


僕はまだよちよち歩きしかできやしない。


低レベルなことしかいえないかもしれない。


けれど、今まで先人たちが築いてきてくれた知を自分の足で一歩一歩すすみたいのだ。


トヨタ式だと付加価値がないものは無駄であるそうだ。


おそらくこれは正しい。ただしこの無駄に価値はないだろうか?


いやある。


この無駄をなくさねばならないという情報を与えていることに関して大きく貢献している。


会議で発言できない人間は出席する必要がないかといったらそうではない。


この付加価値を生まない人間は無駄という有益な情報を与えている。


確かに、この人間は付加価値をうまないかもしれない。無駄なものは排除されるべきなのかもしれない。


しかし、人間においての無駄は、無駄を省くべきという情報以上の価値をうむ。


それは、付加価値を生まない人間が会議などで見て聞いて感じたことに価値をみいだした場合だ。



これは大きな気づきだ。



この人間はお返しとして付加価値を与えねばと思うだろう。


会議などは付加価値を生まない人間へのプレゼントだ。



それによって相手は成長する。


プレゼントは見返りを求めてはいけない。しかし、相手には一生記憶に残るものだ。


iPhoneからの投稿
最近読書することの面白さに気付き始めた。



頭のいい人の思考に乗れるというのはとても面白いことである。いままで見たことのなかった、世界を垣間見せてくれるからだ。




僕らは読書を通して多くの疑似体験をすることができるのだ。それに気付かなかった今までの人生は多くの無駄をしてきたのかもしれない。僕は常々最高の仲間と最高の何かを作り出したい!とか世界を変えたい!みたいなことを考えている。



しかし、ずば抜けた専門性もない僕は周りから必要とされていない。そんな時に本を読もうと思った。言うまでもないが現実に起きたらそっちのほうが断然面白いに違いない。




でも、今できる最良のことって疑似体験を多く積んで、本番のときにずば抜けた結果を出すことなんではないだろうか。




成功者の多くは自分に運があることに気付かないらしい。成功するために絶対必要なのは成長せざるをえない環境なのだ。ただそんな環境にはめったに自分を置くことはできない。できたとしても一度きりだ。その時、失敗しないすべを学ぶために本を読もうと思った。



もう一つ理由がある。それは彼らの言葉への感性の素晴らしさに気付き始めたからだ。




まさに本とは名言の宝庫である。



僕は、これからその宝石をできるだけ多く見つけたいのだ。