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岩永 牧子 (まーこ)
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岩永 牧子 (まーこ)
落雷事故の原因 エイベックスが13時30分落雷の可能性があるからと長居ヤンマースタジアムとグッズ売場の2会場の全てを入場禁止として全扉を閉めて会場以外管轄外とし、落雷の被害に遭うと、三時間以上放置して見殺しにした。しかし それでも死なないから、遠い大阪国立医療センターに搬送して殺害した、恐ろしい殺人事件です。
メイン導線上の200mの南トイレ横が落雷事故現場です。
前日から並んだ方々が使用する一番近いトイレが被災場所です。
事件後、直ぐに箝口令カンコウレイを敷き、救急車到着が15時10分の一時間後で、首からしたが、黒焦げの木下晴日さんを搬送して、岩永牧子は2時間以上放置されました。(上申書が3名より大阪高等裁判所2016年9月30日付けで提出済み)しかし池田光弘裁判官により握り潰れた!!
そして、見殺しを隠すため、遠い病院に搬送して死人にくちなしされた殺人事件です。
告 訴 状
2017年8月16日
大阪地方検察庁 御中
告訴人 岩永 和子 ㊞
一、 当事者
福岡県北九州市小倉北区宇佐町二丁目4番3号
告訴人 岩永 和子
東京都港区六本木一丁目6番1号泉ガーデン30階
被告訴人 エイベックス・ライブ・クリエイティブ株式会社
代表取締役 黒岩 克己
大阪府大阪市北区中之島二丁目3番18号中之島フェスティバルタワー3階
被告訴人 株式会社ミューベンツ・ジャパン
代表取締役 佐藤 浩史
大阪府大阪市西区九条南一丁目12番54号
被告訴人 大阪市消防局 2012年8月18日 当時の大阪市 消防局長
大阪府大阪市東住吉区東田辺二丁目11番39号
被告訴人 大阪府警察 東住吉警察署 2012年8月18日当時の大阪府東住吉警察署長
大阪府大阪市中央区法円坂二丁目1番14号
被告訴人 独立行政法人国立病院機構大阪医療センター 2012年8月18日当時の独立行政法人国立病院機構大阪医療センター長
二、告訴の趣旨
告訴人は
① 被告訴人 エイベックス・ライブ・クリエイティブ株式会社及び株式会社ミューベンツ・ジャパンを「未必の故意による殺人罪」 (刑法第199条)
② 被告訴人 大阪市消防局長及び東住吉警察署長を「保護責任者遺棄等罪」(刑法第218条)
③ 被告訴人 大阪医療センター長を「殺人罪」(刑法第199条)
で告訴します。
三、 告訴の原因
(一)事実
① 告訴人は、亡岩永牧子の母である。
② 岩永牧子は、2012年8月18日、被告訴人 エイベックス・ライブ・クリエイティブ株式会社及び株式会社ミューベンツ・ジャパンが長居公園(大阪市東住吉区)で開催する音楽会に参加した。会場は13時30分に開場され、15時30分から公演が始まることになっていた。
③ ところが14時少し前から、雷が鳴り出し、雨が降り出した。すると、それまで客を指示、誘導していた被告訴人 エイベックス・ライブ・クリエイティブ株式会社及び株式会社ミューベンツ・ジャパンの係員等は、いち早く逃げ出し、誰もいなくなってしまった。
④ 猛烈な雷雨の中、約5万4000人の客は、ずぶ濡れになって逃げ惑った。長居公園には、陸上競技場以外に、これだけ多くの人々を収容できるさしたる建物も無く、人々は陸上競技場に走り、「入れてくれ!」と懇願した。しかし、係員は「ダメだ!」と扉を閉めて入れなかった。岩永牧子は、この入れてもらえなかった人々の一人である。
⑤ 公園の中の道路は、豪雨の為、川の様になっていた。猛烈な雷の中、その“川”の中を歩くこともできず、人々は悲鳴をあげながら、木立ちの中を逃げ惑った。岩永牧子は、この逃げ惑う途中14時10分から15分頃友人と共に落雷の被害に遭ったのである。
⑥ 14時25分頃、東住吉警察署から2名の警察官が自転車で来たが、水溜りの中で倒れている岩永牧子と友人に対し、何等の救急救命処置も施さず見ているだけであった。14時40分頃、東住吉警察署から更に4名の警察官が自転車で来たが、やはり被災した2人を眺めているだけであった。14時55分頃、覆面パトカーで警察官2名が来たが、やはり救命処置は一切せず、水溜りに倒れている2人をただ眺めていた。
⑦ 15時10分頃、救急車1台が来たが、真っ黒焦げになって、煙まで出ており、素人目にも即死していると分かる友人の方のみを搬送して行った。そして素人目にも気絶しているだけで生きていると分かる岩永牧子の方を放置して行ったのである。その場にいた人々は「この子(岩永牧子)の方が先だろうが!」と叫んだが、救急隊員は無言で聞き入れなかった。又、救急車はその場に10分程止まっていたが、岩永牧子に対し、何等の救命処置も施さなかった。
⑧ 岩永牧子と被災する直前迄、言葉を交わしていた人は、次の救急車が来るのをまだか、まだかと時計を見ながら、やきもきして待っていたが、自らもずぶ濡れになって震えが止まらなくなったので、後髪を引かれる思いをしながら、その場を離れた。その時、時刻は午後4時を少し過ぎており、何百人か何千人かの人々が水溜りの中で倒れている、岩永牧子の周りを取り囲んでいた。
⑨ 岩永牧子は、大阪医療センターに運ばれたがその正確な時間は不明である。救急車の中では、心肺停止の状態であったが、病院到着時には、心拍が再開し、血圧70/45mmHgであったと記録されている。又、到着時消失していた瞳孔の対光反射も確認され始め、自発呼吸も出始めてきたとの記載もある。しかし病院は、1時間に3000mlの「大量輸液」を行うとの方針を立て、2012年8月18日16時46分から同年8月19日6時48分までの約14時間に70,000ml以上の輸液をしたのである。
そして、岩永牧子は8月19日6時49分に死亡した。その時全身は、パンパンに膨れあがり、一見して誰なのかが分からない様な形相となっていた。


