以前書いた日記を観ていて思い出した。

「どうして自分を愛していないのか」が解った時に

自分自身の内側にある何かが変化したこと。



その変化を書いた日記は、
『デトックスが始まる』という記事に記載しました。
   ↓  ↓

http://ameblo.jp/akira-0324/entry-10796270148.html






*** 以下、記事から抜粋。


私だけを愛してくれる存在。


そういう人を追い求めていたことに気づきました。


実際は…


そのようなことを人に求めても、無理なものですね^^


だって、自分が自分自身を愛していなかったから。


一番愛して欲しい自分が、


自分のことを愛していないのでは、


他の誰が愛してくれていても、

それに気付けないのですから。


そして、

どうして自分を愛せないでいたのかまで解ると、

凄く気持ちが楽になります^^



その方法は、また書こうと思います。





**********


ということで、書こうと思います。

*あくまでの私の見てきたものを
ご紹介するとご理解ください。

  この世に、完璧な者も、
正解もないものなのです。





まず、「自分を愛してくれる人を求めている」 

ということは、

実感していただけるでしょうか



「愛してくれる」 という言葉に

抵抗があるようでしたら、

「自分を理解してくれる存在を求めている」 ではどうでしょうか




頑張っている自分。

成長している自分。

色々な思いを抱いている自分。

様々な出来事に遭遇しても、やり通してきた自分。

諦めそうになるけれど踏ん張っている自分。

諦めずに進んでいく自分。




どんなことがあっても、

【生きている自分がいる】ということ

そんな自分を “誰か” に認めてもらいたい

理解してもらいたいという感じ。






その【自分を認めてくれる誰か】が現れたときに、

人はどのような反応をするものでしょうか




「本当のあなたは凄いのよ」 と言ってくれる人


「あなたの役割は素晴らしいわ」 と言ってくれる人


「あなたの本当の力を発揮したらすごいことになるのよ」

 と言ってくれる人


「前世のあなたは凄い人だったのだけど、
 現世では更に凄くなるために 
苦労を重ねている最中なのだから
 これからまだまだ凄いあなたになれる!」 
と言ってくれる人


そのような人が現れると、どうでしょうか。。。



「もっと言って!」


「もっと褒めて!」


「もっと認めて!」



などなど……依存してしまいたくなるのかも。

(依存することが 良いとか悪いとかの
 ”評価”をしているのではないことをご理解ください。)





お互いに褒め合い、

認め合うことが出来る関係性が保っていられると


きっと

「ああ、自分には理解者がいる」と

安心するのではないでしょうか?






子供の頃、

親に褒めてもらって育った人や、

いつでも自分の話しを聞いてもらえて

どんな意見を認めてもらえていた人で、

自分の意思で思う通りに何でも挑戦してきた人は

【自己価値観】を 高く保てるだろうと思います。





なぜなら、ずっと親の存在に依存する時期に

衣食住も、精神的にも依存させてくれるだけじゃなく、

失敗や成功を繰り返しては進んでいく自分を

見守ってくれる存在が親だったから。





親の顔色を伺って 自分の意思を曲げることもなく、

親の顔色を伺って 嫌なことを我慢したのでもなく、

親の顔色を伺って 本当の自分を出せないでいたのでもないから。





自由に、自分の意思で進むことを

応援してくれる親の存在だったら……



親でなくても、そういう存在に見守られて育った人は、

自分の【自己価値観】は高く、

自由に自分の意思・自分の責任で

進んでいくことを選択出来るのでしょう。







でも、、、

そうではない場合は???





もしかしたら、自己価値観が低いかもしれない。


もしかしたら、自己肯定感が低いかもしれない。


もしかしたら、自分の意思で決めてこなかったかもしれない。


もしかしたら、自由な発想を打ち消してきたかもしれない。


もしかしたら、本当の自分の思いは消してきたかもしれない。


もしかしたら、自分よりも、誰かの機嫌が良くなることを

         優先してきたのかもしれない。


もしかしたら、、、、


もしかしたら。。。。







いつでも、本当の自分を見てくれる人を探しているのかも。


いつでも、褒めてもらえることを基準に何かを選んできたのかも。


いつでも、認めてくれる人がいると、
      
      その人を手放したくないと思うのかも。


いつでも、安心感を感じられる存在を求めているのかも。


いつでも、ホッとする場所を求めているのかも。


いつでも、心地よく接してくれる人の存在があった時に、
  
       本当の自分の姿を出せるのかも。




いつでも、、、、、


いつでも。。。。。





そんなことの繰り返しの中で現れてくる 【縁起】 の中で、

様々な人と出会い、別れを繰り返していく。。。。。






「本当の私を解って!!」


「本当の私を理解しようとして!!」


「私が何を言いたいのかを感じ取って!!」


「私の全てを受け止めて!!」




……という風に、


いつでも 

心で泣いているのかもしれません。。。。。。。。





このように “根底にあるもの” が見えると、

このサイクルから出られる気がします。






もしかしたら、親自身が、
同じような思いで育ってきたのかもしれない


もしかしたら、親自身も、
「誰か私を受け入れて」という思いを
抱えているのかもしれない


もしかしたら、親自身が
同じ様な環境の中で
自分を見失いながら育ってきたのかもしれない


もしかしたら、親自身は
我が子にどのように接しているのか
気づいていないのかもしれない




もしかしたら、親も、 その親も、 そのまた親も。




もしかしたら、、、、、、


もしかしたら。。。。。。





親という縁起でつながっている “関係性” について

客観的な視点で観ることが出来るといいのかも。







そこで、本題です。



「どうして自分を愛していなかったの?」ということ。

「どうして自分自身を認めていなかったの?」





自分を愛するということとか、

自分を認めるということが

どういうことなのかを 

“知らなかっただけ” なのだと思いませんか?






代々伝わる縁起により、

自分を愛している人を見れていなかったり?



様々な環境により、

自分を認めている人がどんな空気感なのかを

感じ取っていなかったり?





それとも、

自分を愛している人がたとえ周りにいても

気付けなかったのかも。




自分を認めている人が目の前にいたとしても

その空気感を感じ取れなかっただけかも。




もうお馴染みの 【スコトーマ】の原理によって

自分の 【RAS】 が開いてキャッチしていたものは、

なんだったのでしょうか?




このあたりをしっかりと見つめることができると

もしかしたら、気楽になれるかもしれません。





嫌な人に出会ったり、好きな人と過ごせたり、

好きだったのに、嫌な情動を巻き起こしたり、

信じていた人に裏切られたり、、、

様々な 【自分の情動が動く関係性】や

【相手が情動をぶつけてくる関係性】が

現れてくるということって、



実は、

全て自分自身で作り出している世界なのかもしれません。




だって、

無意識の自分は、

自分を尊重していないことをやめたいから。





誰かとの関係性によって、

それを見つめるための機会になる出来事

現実化しているのかもしれないのです。







難しいかな。。。。


文章だけで、理解してもらえるかな……


でも、 “知るタイミングにきている人の心” には

届いていると思います。



まだそのタイミングでは無い人には、

理解不能かもしれませんが、

あきらがなんか言ってたな~と、

いつか思い出してください。





**********


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