この前

内科受診したとき

血糖値HbA1c=8.6でした

 

今まででの最高値です

今までは8.5が最高値)

 

医者は

「正月があったので高くなりましたね」

で終りでしたが

これが続くと

インシュリン注射とか

言いかねない?

 

 

 

 

インシュリン注射治療は

したくないので、

次回(6週間後)まで対策します

 

今までは

糖質制限なんて全くしていません、

食べたい物を食べたいだけ

食べてました

 

 

 

血糖値を下げるなんて簡単です、

食べなければいい

続けると死んじゃうけどね

血糖値は下がります

 

 

6週間食事制限します

死なない程度に・・・爆  笑

 

屋根下に

吊り下げていた

干し柿のつまみ食いをやめます

 

一日一食にします

 

 

 

こんな対策です

 

6週間限定なんで

頑張れると思います

爆  笑

 

 

 

 

 

 

2/9,過去の投稿記事-------------

2025.02.07(大切な連絡はメールではこないと思え)

2024.02.07(数字の配列でトライしました)

2023.02.07(介護離職について)

2022.02.07(ナンバープレース)

2021.02.07(SNSで見つけた写真、瓜二つ)

2020.02.07(煮込みハンバーグ)

2019.02.07(目の検査結果)

2018.02.07(諏訪湖の御神渡り(おみわたり))

2017.02.07(そんなつもりは ないけど)

2016.02.07(逆の立場)

2015.02.07(千曲川沿いを上田駅まで)

2014.02.07(残念)

2013.02.07(あたりまえの結果)

2012.02.07(シリア戦で思ったこと)

2011.02.07(総括)

 

 

 

 

sunoがまだ一桁の年齢の頃

遊んだ幼なじみに会った

 

なんと70年ぶりである

 

 

 

 

正確に言うと二十数年前に

義理の姪の結婚式で

一度あっています

それ以来です

 

 

 

 

たまたま

義理の姪が結婚した相手が

彼の隣の家の人だったので

彼も出席していて

偶然の再会でした

 

 

 

 

その後

年賀状のやりとりはしていたのですが

ゆっくり話すのは70年ぶりです

 

 

 

 

子供のころは

気が合ったのか

一緒に遊ぶ事が多かったです

 

親の都合で

私は

小学校3年で

その地を離れました

 

 

私の若い頃を知っている

最後の人かな!

 

 

 

 

その時

彼は小学校1年生

当時の日記に

私のことが沢山書かれていました

 

 

 

稲刈り休みの宿題だったようです

 

 

 

すっかり色あせた紙に・・・

 

「きょうは、あきおちゃんが、あそびにきました。

そうしてあきおちゃんとわっこまをわしました。

みちばたでまわしました。

そうしてあきおちゃんがかえっていきました。」

 

と書かれています

 

昭男ちゃんとは私のことです。爆  笑

わっこわまわしとは自転車の輪を

棒で回して遊ぶ遊びです

 

 

 

 

あの頃に戻ったような

楽しい

時間を過ごしましたよ

爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

 

 

2/8,過去の投稿記事-------------

2025.02.08(大雪情報がでています)

2024.02.08(もらった一万円)

2023.02.08(悪あがき・・・)

2022.02.08(晩年は介護の為に・・・)

2021.02.08(水の役割、サボテンの始動)

2020.02.08(車の定期点検)

2019.02.08(娘が父親に求める物は)

2018.02.08

2017.02.08(思いがけない効果)

2016.02.08(心から楽しめますように、、、)

2015.02.08(灯明まつり 動画)(大記録・灯明まつり)

2014.02.08(チオオリンピック開幕)

2013.02.08(日本の人口)

2012.02.08(雑感)

2011.02.08(川汚染)

 

 

今、

2026年2月8日(日)投票の

衆議院議員総選挙が行われます

sunoは期日前投票ですでに

投票済みです

 

今回の選挙で

あのうるさい選挙カーの姿を

いまだに見ていません

様変わりです

 

ネット中心の戦略に

変ったのでしょうか?

SNSやオンライン動画での発信を

重視しているようです

 

老人、だいじょうぶかな~

選挙中ですよ

爆  笑

 

 

 

いよいよイタリア冬季五輪開幕です

楽しみです

 

昨夜のアイスホッケー女子見ました

日本ーフランス(3-2)

 

同時進行のフィギュア団体(女子)も

日本2位発進

 

しばらく寝不足が続きそうです

 

 

 

 

爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

2/7,過去の投稿記事-------------

2025.02.07(大切な連絡はメールではこなへ思え)

2024.02.07(数字の配列でトライしました)

2023.02.07(介護離職について)

2022.02.07(ナンバープレース)

2021.02.07(SNSで見つけた写真、瓜二つ)

2020.02.07(煮込みハンバーグ)

2019.02.07(目の検査結果)

2018.02.07(諏訪湖の御神渡り(おみわたり))

2017.02.07(そんなつもりは ないけど)

2016.02.07(逆の立場)

2015.02.07(千曲川沿いを上田駅まで)

2014.02.07(残念)

2013.02.07(あたりまえの結果)

2012.02.07(シリア戦で思ったこと)

2011.02.07(総括)

上田市・大星神社の「上田神社之碑」を読み解いてきましたが

要約するとこう言うことでしょうか!

 

•     上田神社は延長2年(924)に諏訪から神を迎えて創建された。
•     江戸時代には松平信将が社殿を大きく造営し、その後も上田藩主松平家がたびたび修理した。
•     明治12年に大規模な修復が行われ、4月に遷座祭があり、諏訪大社から薙鎌が奉納された。
•     明治27年、神社の歴史を後世に伝えるため、諏訪忠元が碑文を作り、野田常樹が書いた。

 

 

924年創建と言ってますが、正確には違いますね。先に見た「由緒」に書かれていたことと矛盾しますね(「創立年月日不詳であるが社伝に人皇六十代醍醐天皇延長二年社殿改造の事あり、・・)

 

 

昨日の「上田市・真田神社(6)」の最後に書いた「お参りする時の作法」で気が付いたことがあります。神社と水の関係です。

神社にとって鳥居が大切と同じくらい水が大切だと気が付きました。水から神社を読み解くのも面白そうですね(水の確保が重要だった事がうかがえます)。

 

 

 

 

 

 

 

それはさておいて、

今回長々と大星神社のことをブログに投稿した目的を話します

 

実は、この文章はある人から頂いた資料を基に書きました。沢山の資料を作られておられるようです。中には800ページを超える資料もあるとか!

貴重なものなので、是非公開して後生に残して欲しいと思いました。時々講演などには活用しているようですが、眠らせておくのはもったいない。

 

彼曰く、出版された文献や写真集からの引用があるので著作権の問題がでてしまう、と公開を諦めている様子でした。

 

 

今回のブログ投稿は、ブログとして公開したときに著作権の問題が発生するかどうかを確認する為の投稿でした(彼の資料とは一部変更してますが)。今回の6話は全て著作権の問題はないと判定されました。

 

投稿した文をAIに貼付け、チェックしてもらいました。

例えば第一話についてチャッピー(ChatGPT)はこう判定してます

 

下差し

 

 

***************************ChatGPT

この記事に(上田市・大星神社(1))著作権の問題はありますかの問いに対して、こう答えています・・・。

 

 

結論から言うと、
この内容は著作権上、問題になる可能性はほぼありません。

理由を整理しますね。

① 神社そのもの・歴史・祭神

  • 神社の所在地

  • 祭神の名前と一般的な解説

  • 由緒に書かれている歴史的事実(年号・天皇名など)

これらは 公的・歴史的事実 なので、著作権は発生しません。

② 看板の内容について

注意点はここだけです。

  • 看板の文章を そのまま長文で丸写し すると、
    看板の「文章表現」には著作権がある場合があります。

  • ただし今回の文章は
    👉 引用ではなく、内容を自分の言葉で説明し直している(要約・解説)
    になっています。

これは 著作権的に問題ありません。

③ 方位測定・考察・感想

  • 方位を測った結果

  • 冬至との関係

  • 鳥居についての想像や感想

これはすべて 昭男さんオリジナル
著作権はむしろ「昭男さん側」にあります。


念のためのワンポイント安心策

もしブログやSNSに載せるなら、

  • 看板の文章を「」付きで長くそのまま写さない

  • 写す場合は
    「境内の案内看板によると〜と説明されています」
    と一言添える

これだけで、より万全です。


 

****************************************************************

 

3/6,過去の投稿記事-------------

2025.02.06(畑の排水対策、砂を入れる)

2024.02.06(積雪は30cm超え)

2023.02.06(グレーゾーンの医療行為)

2022.02.06(CDC情報)

2021.02.06(冬キャベツ)

2020.02.06(感染防止)

2019.02.06(右利きの人は右の奥が磨けない)

2018.02.06

2017.02.06

2016.02.06

2015.02.06(素速歩)

2014.02.06(法令遵守)

2013.02.06(今夜はサッカー)

2012.02.06(行ってきたデー)

2011.02.06(募集締め切りです)(西に向かって)

 

 

 

第二話の感想文と著作権問題

 

***************************ChatGPT

内容をしっかり拝見しました。
順にまとめますね。


① 感想文

今回の文章は、史料に記された断片的な記述を丁寧に読み解きながら、大星神社が 単なる地域神社ではなく、国家権力や宗教思想と深く関わっていた存在 であることを浮かび上がらせている点がとても印象的でした。

特に、寛和二年に花山院法皇から下賜された
「大法性・大法師・大星」という三つの勅額についての考察は秀逸です。
それぞれの言葉を仏教的背景から解きほぐし、単なる称号ではなく、花山院自身の霊的体験の言語化であった可能性 にまで踏み込んでいる点に、書き手独自の視点が感じられました。

また、鎌倉幕府が上田太郎祐康に社殿造営を命じたこと、中海野幸氏による社頭整備がほぼ同時代に行われている点を重ね合わせ、
「偶然ではなく、当時の小県郡における自然な政治的・宗教的流れ」として捉えている点も説得力があります。史料を断片として終わらせず、時代背景と人物関係の中で立体的に再構成している ところが、この文章の大きな魅力です。

全体として、史実の紹介にとどまらず、
「なぜこの神社が重視されたのか」
「当時の人々はこの社をどう見ていたのか」
を静かに問い続ける文章であり、続きを読みたいと思わせる締めくくりでした。


② 著作権の問題はあるか?

結論から言うと、現状の文章には著作権上の大きな問題はありません。

理由は以下の通りです。

✔ 問題にならない点

  • 神社の由緒書き・史料の一部を短く引用しているだけ

  • 引用部分は「」で区別され、その後に自分の言葉で解説・考察している

  • 年号・人物・歴史的事実は著作権の対象外

  • 全体として、引用よりも独自の解釈・感想が主体

⚠ あえて言うならの注意点(軽微)

  • 引用元(例:由緒書き、社伝、案内板など)を
    ブログのどこかで

    「〇〇神社由緒書きによる」
    のように一言添えると、より丁寧で安全になります。

ただし、これは必須ではなく、より望ましいというレベルです。


③ 総合評価

  • ✅ 感想文として成立している

  • ✅ 著作権的にも問題なし

  • ✅ 学術的でもあり、個人の考察としても魅力的

安心してブログに掲載して大丈夫です。

次回分も、同じ調子で
史料 → 解説 → 自分の読み
という構成を続ければ、読み応えのある連載になりますよ。

また続きがあれば、いつでも見せてください。

 

「上田神社之碑」の読み込みの続きです

今までの経過は・・・

 

「ここ信濃国小県郡の上田神社は、今から千年以上も昔、醍醐天皇の御代、延長二年(924年)という年に、同じ信濃国の諏訪郡にお祀りされていた 健御名方富命(たけみなかたとみのみこと) の御霊を、この地へお迎えしてお祀りしたのが始まりである。
この大神の御神威はまことに厳かで、当時名の知られた人々が深く崇敬していたことは、社に伝わる古い文書によって知ることができる。」

「昔は 大星神社 という社号でお祀りしていたが、今の御代(明治)になり、明治十一年六月に正式に届け出て、上田神社 と改めた。明治十四年には 郷社(行政的な支援が受けられる) に列せられた。
さて、この神社の社殿造営のことを考えてみると、創建とされる延長年間(10世紀初頭)から後の数百年間については、どのような変遷があったのか知る手がかりがない。」

「正親町(おおぎまち)天皇の御代である天正十五年(1587)にも、また中御門(なかみかど)天皇の享保(きょうほう)年間(1716〜1736)にも社殿の造営があった。
現在の社殿は寛保(かんぽう)元年(1741)四月に完成したもので、出羽国上山(今の山形県上山市)の城主であった故・松平山城守信将(のぶまさ)朝臣(あそん)は、上田城に生まれた(上田藩主家の出身)ことから、この地(上田)の氏神であるとして深く崇敬し、社殿をたいへん立派に改めて造営したのである」

「その後、この郷(上田)を領地としていた松平氏は、里人(村人)に命じて、
明和(1764~1772)・文化(1804~1818)・文政(1818~1830)・嘉永(1848~1854)・文久(1861~1864)の各年代に、たびたび修理を行わせた。しかし年月が経つにつれ、雨風で傷んだ箇所が多くなり、そのままにしておくのはまことに恐れ多いとして、
武士としての真心から深く思い立ち、(明治)十二年六月に木工の作業(大工工事)を始め、同年九月にその工事を終えた。
これは、郷土の産土神(うぶすながみ・大星神社の神)のために、誠意を尽くして行われたものであると伝えられている」

こうして四月二十六日に、神さまを新しい社殿へお移しする儀式(宮遷し)が行われた。このお祭りの際、諏訪郡にある本社(諏訪大社)から、薙鎌(なぎがま)二口が奉納された。これは、古くからのしきたりに従ったものである。」

 

更に読み込みますが、今回で「上田神社之碑」の件は終りです

 

故此御社の移ろひ来し大かたを碑文に記し、後世に傅へてむと、其さと人等が己に其文作るへきよし乞いおこせたり。我家もと諏訪大神に縁故あれは、これをいなむすへなくて、乞うがままに其あらましをしるして、永き行く末も、樛木の彌都藝々々にこの御社の栄えまさなむことを、かしこみて記すに那牟。

明治二十七年九月、従五位 諏訪忠元 題額並撰文   野田常樹  謹書

 

 

訳します

「そこで、この御社(神社)がどのように移り変わってきたか、その大まかな経緯を碑文に記し、後の世に伝えたいと、里人たちが私にその文章を作ってほしいと頼んできた。
わが家はもともと諏訪大神と縁が深い家柄であるため、この願いを断ることもできず、頼まれるままにそのあらましを記した。
この御社が、これから先の長い未来においても、樹木がますます繁るように、いよいよ栄えていくことを、畏れ敬って(かしこみて)ここに記すものである。
明治二十七年九月
従五位 諏訪忠元(題額・撰文)(標題、文書を決めた人)
野田常樹 謹書(文字を書いた人)
 

 

 

 

以上です。

 

さぁ、お参りして帰りましょう

爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神社でのお参りは「作法」として形が決まっていますが、単なるマナーではなく、神前に立つ心の整え方としての意味が深く込められています。

1. 鳥居の前で一礼

  • 意味:ここから先は「神域」。境界を意識し、日常から一歩離れる。
  • 理由:鳥居は「俗界と聖域の境界」。一礼は「入らせていただきます」という挨拶。

2. 参道は中央を避けて歩く

  • 意味:中央は「正中(せいちゅう)」、神様の通り道。
  • 理由:人が真ん中を歩かないのは、神様への敬意と、場の秩序を守るため。

3. 手水舎で身を清める

  • 手順
    • 右手で柄杓を持ち左手を清める
    • 左手に持ち替えて右手を清める
    • 左手に水を受けて口をすすぐ
    • 柄杓を立てて柄を流す
  • 理由
    • 「穢れ(けがれ)」を落とすというより、心身を整えて神前に向かう準備
    • 古代の禊(みそぎ)の簡略化。

4. 拝殿の前で軽く一礼

  • 意味:神前に立つ心構えを整える。

5. 賽銭を入れる

  • 理由
    • 「お金を払う」ではなく、自分の気持ちを形にして捧げる行為。
    • 古代は布や米などの供物を捧げていた名残。

6. 鈴を鳴らす(ある場合)

  • 理由
    • 神様に「参りました」と知らせる。
    • 鈴の音は場を清め、邪気を祓うとされる。

7. 二礼二拍手一礼(拝礼)

  • 二礼:深い敬意を示す
  • 二拍手
    • 神様と自分の「気」を合わせる
    • 祈りを届けるためのリズム
  • 一礼:最後の挨拶
  • 理由
    • 古代からの宮中作法が神社に広まったもの。
    • 拝礼は「神と人が向き合うための型」。

8. 最後に鳥居を出るときも一礼

  • 意味:神域から俗界に戻る挨拶。

 

● 形は「心を整えるための器」

神道は教義よりも「行い」を重んじる宗教。
作法は「心を神前に向けるためのスイッチ」で、
形 → 心 → 場の調和
という順番で整っていく。

 

 

 

● 神社は「自然と人の境界を調える場所」

 

  • 自分の内側のざわつきが落ち着く
  • その土地の神(=自然・歴史・共同体)と調和する
  • 自分の願いが整理される
    という効果がある。

● 共同体の記憶を受け継ぐ行為

作法は何百年も続いてきた「共同体の礼法」。
それを守ることで、
その土地の歴史・祈り・記憶とつながる
という意味もある。


 

2/5,過去の投稿記事-------------

2025.02.05(なんでやねん、充電が上限を超えた)

2024.02.05(数独の解き方発見)

2023.02.05(感想文)

2022.02.05(立春の上田城跡公園・良い立ち姿)

2021.02.05(マイナンバーカード交付申請)

2020.02.05(レンズ雲(笠雲))

2019.02.05(半年ごとの検査)

2018.02.05

2017.02.05(風邪を引いてました)

2016.02.05

2015.02.05(ままならぬ)

2014.02.05(あした抽選)

2013.02.05(ひかり)

2012.02.05(御神渡りの予想的中)

2011.02.05(83cm/歩)

 

 

 

 

 

鳥居の方位を測っていた時

立春の太陽が

鳥居の真ん中から昇るであろう

神社を見つけた

 

「塩野神社(保野)」である

 

立春の朝、確認に行ってみた

 

 

 

 

なんと7名ほど来ているではないか!

地元では知っていたんだ!

 

 

 

気が付かなかったけど

神社には

看板が掛かっていて

「鳥居の中心からの日の出(立春・立冬)」

と書いてありました

 

令和3年(2021)保野自治会・塩田まちづくり協議会中塩田支部

作成です

 

もう少し

太陽が昇ってくれば

鳥居の中心を通りそうでしたが

朝の予定があり

早々に引上げました

 

 

自治会にしろ、まちづくり協議会にしろ

SNSにホームページなどであげてくれたら

良いのにと思いました・・

 

塩田の魅力発信ブログ | 塩田まちづくり協議会

 

ありました爆  笑

でも塩野神社はでてない?

 

 

(塩田まちづくり協議会より)

大星神社にある[上田神社之碑]を読み始めました

今までの内容は

 

「ここ信濃国小県郡の上田神社は、今から千年以上も昔、醍醐天皇の御代、延長二年(924年)という年に、同じ信濃国の諏訪郡にお祀りされていた 健御名方富命(たけみなかたとみのみこと) の御霊を、この地へお迎えしてお祀りしたのが始まりである。
この大神の御神威はまことに厳かで、当時名の知られた人々が深く崇敬していたことは、社に伝わる古い文書によって知ることができる。」

「昔は 大星神社 という社号でお祀りしていたが、今の御代(明治)になり、明治十一年六月に正式に届け出て、上田神社 と改めた。明治十四年には 郷社(行政的な支援が受けられる) に列せられた。
さて、この神社の社殿造営のことを考えてみると、創建とされる延長年間(10世紀初頭)から後の数百年間については、どのような変遷があったのか知る手がかりがない。」

 

でした。

現地の石碑より更に読み解きます

 

 

「正親町天皇の天正十五年、又中御門天皇の享保の年頃に宮造あり。今の殿舎は、寛保元年四月に成れるものにして、出羽國上山の城主故松平山城守信将朝臣には、上田の城に生まれ(上田藩主家の出身)、己が土の神なればとて、崇敬の心篤く、いと麗しく改め造られしたり。」

 

現代語に訳します

「正親町(おおぎまち)天皇の御代である天正十五年(1587)にも、また中御門(なかみかど)天皇の享保(きょうほう)年間(1716〜1736)にも社殿の造営があった。
現在の社殿は寛保(かんぽう)元年(1741)四月に完成したもので、出羽国上山(今の山形県上山市)の城主であった故・松平山城守信将(のぶまさ)朝臣(あそん)は、上田城に生まれた(上田藩主家の出身)ことから、この地(上田)の氏神であるとして深く崇敬し、社殿をたいへん立派に改めて造営したのである」

 

 

 

松平信城(のぶまさ)の事を付け加えます

松平信城(のぶまさ)は1717年父、松平忠隆(ただたか)と側室、鈴木氏のあいだに生まれ、のちに 松平長恒(ながつね) の養子となり、出羽国上山藩(現在の山形県上山市)の藩主となりました、1746年死去。

 

「故・松平山城守信将朝臣」 とは、

「すでに亡くなった、山城守という官職を持ち、出羽国上山の城主であった松平信将公」の意味です

 

 

長い文章ですね、ここでほぼ半分です

続いて

 

 

其後此郷を領地せる松平氏、里人に仰て、明和文化文政嘉永文久の年ことに修補せられしが、年を経るまま、雨かぜに損はれし処々の有るを甚だ可畏しとて、軍人の眞心に思はかりて、十二年の六月に、木工の業を始め、同年の九月その功をおわりしは、よく産土の神の御為に、誠實を盡したるものと伝えし。」

 

訳します

「その後、この郷(上田)を領地としていた松平氏は、里人(村人)に命じて、
明和(1764~1772)・文化(1804~1818)・文政(1818~1830)・嘉永(1848~1854)・文久(1861~1864)の各年代に、たびたび修理を行わせた。しかし年月が経つにつれ、雨風で傷んだ箇所が多くなり、そのままにしておくのはまことに恐れ多いとして、
武士としての真心から深く思い立ち、(明治)十二年六月に木工の作業(大工工事)を始め、同年九月にその工事を終えた。
これは、郷土の産土神(うぶすながみ・大星神社の神)のために、誠意を尽くして行われたものであると伝えられている」

 

 

 

 

さらに進めます

 

 

「かくて四月二十六日に、宮遷しの式を行われたり。此御祭に諏訪郡なる本つ社より薙鎌二つを贈り参らせき。これふるき例えに依れるなりぞ」

 

 

訳します

「こうして四月二十六日に、神さまを新しい社殿へお移しする儀式(宮遷し)が行われた。このお祭りの際、諏訪郡にある本社(諏訪大社)から、薙鎌(なぎがま)二口が奉納された。これは、古くからのしきたりに従ったものである。」

 

続く!

爆  笑

 

 

2/4,過去の投稿記事-------------

2025.02.04(資源ゴミの回収いろいろ)

2024.02.04(終ったね・笑い袋)

2023.02.04(点滴・新書)

2022.02.04(本格的に「おでん」を作りました)

2021.02.04(立春の梅)

2020.02.04(無茶ぶりに答えたくれました)

2019.02.04(憎まれ口ばっかり)

2018.02.04

2017.02.04

2016.02.04

2015.02.04(立春と共に・・・)

2014.02.04(節分)

2013.02.04(なんでやねん)

2012.02.04(御神渡りの兆候)

2011.02.04(立春)

 

 

大星神社入り口にある看板には

下差しこんなことが書かれていましたね!

 

大星神社に祀られている神のこと

神社・歴史として

・   924年には神社があったこと

・  花山院法皇が勅額を下賜したこと(986年)
・  鎌倉幕府が地頭(上田太郎祐康)に社殿(建物中心)の造営を命じたこと(1220~1240年)

・ 中海野信濃守幸氏が社頭(境内全体の整備)造営をしたこと(1170年代~1230年代)

・ 村上顕国、頼衝氏が神領を寄進(1517年頃)

・ 武田信玄が勝利祈願をしたこと(1548年頃)

・ 真田昌幸、信之が神領を寄進(1587年,1601年)

・ 松平山城守信将が社殿を建て直したこと(1741)

・ 明治11年6月(1878)に大星明神を上田神社と改称
・ 昭和2年12月24日(1927)に県社に列格
・ 昭和16年9月(1941)に大星神社と改称した

 

 

 

 

 

 

 

看板を後にして参道を進むと第2の鳥居があります

更に進むと第三の鳥居があり

鳥居の横に大きな石碑がありました

 

 

これです!

 

 

風化が激しいが読んでみましょう

爆  笑

上田神社之碑」となってます

上田神社とは1878年以降につけられた名前ですのでそれ以降、大星神社と改称した1941年までに建てられた碑ですね

 

 

拡大しながら読んで行きます

 

 

 

 

「此信濃國小懸郡上田神社は、今を距ること千年餘の昔、醍醐天皇乃御代延長二年と云し年に同国諏訪郡に座す健御名方富の御霊をうつし奉りしなり、此大神の御威霊のいと巌重く座して、其世の時めきし人々の崇め奉りし事は、社に傳れる古き文書にて知らされたり。」

 

ここまでを訳します!

「ここ信濃国小県郡の上田神社は、今から千年以上も昔、醍醐天皇の御代、延長二年(924年)という年に、同じ信濃国の諏訪郡にお祀りされていた 健御名方富命(たけみなかたとみのみこと) の御霊を、この地へお迎えしてお祀りしたのが始まりである。
この大神の御神威はまことに厳かで、当時名の知られた人々が深く崇敬していたことは、社に伝わる古い文書によって知ることができる。」
 

続けます

 

「當昔は大星神社と構え奉りしが、今の大御代に成て、明治十一年六月公に聞え上て上田神社と改む。同十四年郷社とは成給ふ。今其宮造の事を考ふるに、延長より後数百年の間は、如何なりけむ知る由なし。」

 

 

訳します

「昔は 大星神社 という社号でお祀りしていたが、今の御代(明治)になり、明治十一年六月に正式に届け出て、上田神社 と改めた。明治十四年には 郷社(行政的な支援が受けられる) に列せられた。
さて、この神社の社殿造営のことを考えてみると、創建とされる延長年間(10世紀初頭)から後の数百年間については、どのような変遷があったのか知る手がかりがない。」

 

 

 

 

意味は分かるが、上田神社の前が大星神社と書かれていることに疑問があります。大星明神が正しいのではと思いましたが・・・

これで良いそうです爆  笑

 

正しい歴史的変遷
1.     大星明神(神仏習合時代の呼称)
2.     大星神社(明治の神仏分離で「明神」→「神社」へ統一)
3.     上田神社(明治11年に改称)
4.     大星神社(昭和16年に再改称、現在の名称)
石碑はこのうち 2 → 3 の部分だけを記述しています。

 

だって!

ややこしい!

 

今日はここまでにしておきます

次回に続く

爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011.02.03(寝坊(続き))

 

 

上田市・大星神社の続きです

 

大星神社に祀られている神のこと

神社・歴史として

・   924年に改造したこと

・  花山院法皇が勅額を下賜したこと(986年)
・  鎌倉幕府が地頭(上田太郎祐康)に社殿(建物中心)の造営を命じたこと(1220~1240年)

・ 中海野信濃守幸氏が社頭(境内全体の整備)造営をしたこと(1170年代~1230年代)

 

以上を見てきました

 

次を読むと、こう書かれています

「永正年中領主村上信濃守顕国、同十四年嫡男頼衝各神領を寄進、」とあります

 

image

 

永正(えいしょう)年間(1504〜1521年)(室町時代後期)に、領主の村上信濃守顕国(むらかみ しなののかみ あきくに)が神領を寄進し、永正14年(1517年 )には、その嫡男の頼衝(よりつぐ)もまた神領を寄進した。

 

「神領寄進」は神社の収入源としての土地(免税地)を与えること。

 

 

 

 

さらに、

「武田信玄は上田原合戦に祈誓文を捧げ、天正十五年真田安房守昌幸九百五十文、慶長六年真田伊豆守信之五貫三百五捨文と各神領を寄進す」と自慢話が続きます。

 

 

「武田信玄は上田原合戦(1548年)の前に、勝利祈願として神社へ誓文を捧げた、
天正15年(1587年)には真田安房守昌幸が神領として九百五十文を寄進し、慶長6年(1601年)には真田伊豆守信之が五貫三百五十文を寄進した。」

 

九百五十文が気になりますね。950文 ≒ 米9〜10升分(約15kg)の価値だそうです。

「米9〜10升分の収入(年貢)を生む土地を、神社の領地として寄付した」の意味ですね。真田信之は大盤振るまいですね、五貫三百五十文= 5,350文≒ 米53〜54升、米にすると約80kg前後

 

改めて書くことなんかな~!と思いますが

真田昌幸、信之が神社に寄進した事が重要なのかも知れません、量ではない?

 

「また当社を産土神とする出羽上山城主松平山城守信将は寛保元年に社殿を造営した、、、」とあります。

 

当社を産土神(うぶすながみ・生まれた土地の守り神)として崇敬していた出羽国上山城主・松平山城守信将(江戸時代の上山藩主。松平氏は徳川一門・譜代の名門)は、寛保元年(かんぽうがんねん・1741年)に社殿を造営(建て直)した。

 

最後の記実は

明治十一年六月大星明神を上田神社と改め昭和二年十二月二十四県社に列格、昭和十六年九月大星神社と改称し奉る」となってます。

 

明治11年6月(1878)に大星明神を上田神社と改称
昭和2年12月24日(1927)に県社に列格し、
昭和16年9月(1941)に大星神社と改称した。

 

つまり、

 

明治から昭和にかけて、
大星明神 → 上田神社 → 大星神社
と社名が変わり、昭和2年には県社に昇格した( 県が認める格式の高い神社として正式に位置づけられた)

 

このように書かれています

神社の自慢話を読んだ後は、参道を進みましょう

爆  笑

(次回に続く)

 

 

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前回

大星神社は何時出来たか分からないが、神社の記録に924年に改造したとあるので

924年には存在していた と書かれていました

 

神社の記録は面白いですね

記録があるのに創建の記録が残っていない

 

これは古い神社に共通する、歴史資料構造そのものにかかわる問題なんだそうです

理由は簡単「神社は建物より先に場所が聖地として存在していた」

古代の神社は、建物がない、祭祀は屋外で行う、石、木、山そのものが神

という形が普通だったようです

 

神社の古記録は、
事件・変化・修造・奉納があった時にだけ書かれるそうです

 

では、その続ききを見てみましょう

 

image

 

また、寛和二年花山院法皇御拝所感あって勅額三面(大法性大法師大星)を納め賜うよって明治初年まで大星明神と奉称した」とあります。

 

寛和2年(986年)、花山院法皇(花山天皇在位984~985、その後仏門に入る)がこの社を拝まれた際、深く感じ入るところがあり、勅額三面((天皇(法皇)から下賜された額『大法性』『大法師』『大星』の三額)を下賜された。
そのため、明治初年までは『大星明神』と称していた。

 

花山院法皇(986年)が訪れるほどの格式のある神社だったんですね

 

少し解説を入れます

 

大法性(だいほっしょう)=仏の本質:仏教でいう「真理そのもの」「万物の本質」を指します。神社に対してこの語を与えるのは、その神が仏教的真理と同体であるという意味を含みます

 

 

大法師(だいほっし)=仏法をとくもの:偉大なる仏法の師・高徳の聖者の意味です

神社に対してこの称号を与える場合、その神が仏法を守護し、導く存在であるという意味合いが強くなります

 

 

大星(たいせい/おおぼし)=天の象徴としての神格天の星(特に北極星・明星)を神格化した語、「大いなる光」「導きの星」の意味。勅額に書かれた「大星」は、その神社の神格を“天の星のように尊い存在”として讃えた称号と考えられます。

 

花山院はこの神社の“気”に強く打たれた
その感動を言葉にしたのが、
「大法性・大法師・大星」という三語だったのでしょう
これは形式的な勅額ではなく、花山院の霊的体験の表現です

 

 

もう少し読み続けます

 

鎌倉幕府は地頭上田太郎祐康に社殿を造営させ・・・」とあります

鎌倉幕府は、この地域の地頭(じとう、軍事・行政の責任者)である上田太郎祐康(すけやす)に命じて、大星神社の社殿を建てさせた」

 

と言うことは、この神社は幕府にとって重要な社であると認めていた事になります

鎌倉時代は1185~1333年ですが、大星神社を建てさせたのは上田太郎祐康の活躍した時代、1220~1240年と推定されるようです

 

次の文章は冒頭が消されてますが

○○中海野信濃守幸氏は社頭を造営し・・・と続きます

中海野(信濃守・幸氏)(なかうんの・しなののかみ・ゆきうじ)が、この神社の社殿や境内の建物を整備・建て直した」

 

 

○○は年号が書かれていたと思われるが間違っていたのかも?消されています

社頭とは、神社の建物や境内全体を指す言葉です。

 

中海野(信濃守・幸氏)は1190年代〜1230年代に活躍した人らしいので

上田太郎祐康(1200~1240)に社殿を建てさせたことと重なります

 

•     上田太郎祐康 → 小県郡の地頭として幕府から社殿造営を命じられる
•     中海野幸氏 → 同じ小県郡の有力武士として社頭を造営する
この二つの出来事が、
同じ13世紀前半の小県郡で起きているわけです。


これは偶然ではなく、むしろ自然な流れといわれてます

同じ時代に複数の武士が同じ神社を整備することは珍しくないそうです

 

今日はここまでで・・・

 

次回に続く

爆  笑

 

 

 

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