兄が出て行った。

ある意味出て行くように誘導したとも言える。


私の兄は現在 無職のうつけです。

何を言っても普通には通じない、まるで宇宙人と会話してるようです。


幼い頃は 兄と私はいつも一緒で、共に遊んでいるというよりは忙しい母が二人ワンセットにして放置してる方が何かと都合が良かったのだろうと思う。


私がブランコから落ちて結構な傷を負った事がある。

兄はちり紙にオロナインを塗ってセロテープで留めてくれた。

優しさからかどうかは分からない。

そのあと傷は膿み何回もかさぶたが剥がれた。

膝の骨は今も少し変形している。傷跡も治らなかった。

そんな大ケガにも気付かない親の下で私達は育った。


兄は小学生の頃は優等生でスポーツも万能。

健康優良児の称号を貰い学級委員になり野球チームではピッチャーでキャプテン。

よくやれたものだとも思う。

対して私はただのダメな子だった。

小学生とは、言われたことがきちんとこなせればいい子でいられる。

兄は額面通りのことはやれるようだ。

ただ応用は利かない



兄が4年私が3年生の終わり、母の都合で引っ越した。

兄だけはあと少しだからと越境通学した。

卒業後、中学からは地元の学校に通う。

でも新しい同級生に彼の功績を知るものはいない。

彼はそこでも勉強では大体トップだった。

生徒会でも委員の何だかになった。

そして徐々に小学校から築いた地位や経歴がえらそうで鼻に付く横柄な態度を生んだ。


ある運動会の日 彼は長距離の選手に。

とんでもなく足が早いのは周知のことだった。

スタートすると彼はわざとゆっくり走り始めた。

あえて皆に抜かさせて最後にごぼう抜きする…つもりだったのだろう。

結局最後の一人が抜けず 敗退した。

見ていた私は恥ずかしく思った。

どこか考え方がずれている。


お次は野球部で部長になれずいじけてやめる。

バスケ部に入るもうまくいかず退部。

友達も離れていった。


受験は最高峰の公立高校に受かるも 別のそこそこの私立校に決める。

これについて 私は生徒会書記の◯◯さんがその高校に決めたからと思っている。

彼女は容姿端麗 才色兼備。 身の程知らずめ。


野球部に入るも有力校の故、当然レギュラーにもなれず先輩との折り合いも悪く又々挫折。

成績も落ち始め 附属の大学も入りたい学部に入れず 転入の努力もせず 中退。

もうこうなったら転落の一途。ダメなヤツだなっと私は思っていた。


今日はこの辺で…