誰がそれを決めているのか?
「誰がそれを決めているのか?」という言葉が、散歩をしているときに浮かんだ。自分が「できない」と思ったとき、それは「エゴが言っているだけ」ということがあるだろう。誰かが言ったとしても、その人が言っただけのこと。自分の本当の声は何か?それが大事だ。---エゴというのは「左脳的知性、小我、(過去の失敗などからの)悲観的な記憶」などと私は理解している。過去の苦い経験を2度と経験したくないため、そういう記憶に近い経験を予感(連想)すると、それを「しない」方向へと導く言葉が出てくる(想起される)。私はこのエゴの声が「エゴの声だ」とようやく認識できるようになってきた。自分が「やるぞ!」とポジティブなエネルギーを出そうとしているのに、水を差すときがある。巧妙に、そのポジティブなときから少し後に出してくることもよくある。それにもやっと気づけるようになってきた。でも、まだ「エゴの声だ」と気付けないときもある。きょうの「誰がそれを決めているのか?」という言葉はそんなエゴに対して疑い、真実を問う言葉だ。以上のようなエゴのことを思うとき、私は「人は記憶というものを使いこなしていないのだなぁ」と思う。少なくとも、私は使いこなせていない。人は、人、人間というものをわからないで生きているのかもしれない。さらに、今日の「誰がそれを決めているのか?」は、上述のエゴのそれ以上に、「何かの限界はあるのか?」、、、、、いいや、無いだろう!?、、 、、、という気持ちもあったように思う。