文学部の友達に勧められて、ソビエト映画「ASSA」を観た。

 

こんなに陰鬱な映画は久しぶりに観た。

単に陰鬱なだけではなく、終始画面が美しかった。

 

1986・87年に上映された二部作。

ペレストロイカが始まったころの話。

 

絶大な力をもつソビエト体制派(保守派)と、それに無力ながらも抵抗する若者たちの話。

当時ソビエトでブームを巻き起こした「ソビエトロック」がひとつの題材になっている。

 

「俺はなんでもできるのだ」と豪語する中年の権力者にむかって、

非現実≒芸術の世界に逃避しながら無言の抵抗を続ける若いロックミュージシャン。

 

彼と恋人の会話が痛ましかった。

「俺は人生を生きていないんだ。言葉で作った虚構の世界に住んで、時々窓から人生を眺めているだけだよ」

「その窓からなにが見えるの?」

「うん、たいしたものはない。なにか嫌なものばかりだ。」

 

物語中では革命が示唆され続けるものの、革命は起こらずに若者は殺され、恋人は人生に敗れる。

ほとんどの登場人物が死んで、最後にソビエトロックの王様「ヴィクトル・ツォイ」本人が舞台に上がって、「Перемен 変革」の歌をうたう。

 

手法としてのリアリズムとは、悲観することではなく静観することだが、後期ソビエトの社会を静観するとこれほど悲観的になるものかと、改めて驚かされた。

 

ロシアで物凄い大変革が起こる時とは、このような切羽詰まった、息も詰まるような重苦しい雰囲気が大衆社会のなかに立ち込めているときなのかもしれない。

 

今のロシアでは、政治体制由来の重苦しい空気は、先進国風の生ぬるい生活によって充分に薄められている。

 

映画の最後で歌われた「変革」の歌は、いまロシアでは演奏を禁止されているのだということをきいた。

「変革」の歌がなくとも、今のロシアの若者にはポップミュージックがある、KーPOPがある。

でも僕には何か物足りない気がする。

映画を観て、そんなことを考えた。

いい映画だった。