教師だった頃、
 
本業とは別に

「人のために何かしたい」

そう

思っていました。

教師をするのは

生活のため。

でも、

本当は

カウンセラーとか

セラピストが

できないかな...

そう

思っていました。

その頃の私は

大切なことを

忘れていました。


教師になりたかった

本当の想いを...。





ただ

子ども達の


笑顔のために

日々を

共に

過ごしたかったことを...。



私は

学校現場で

対教師関係や

組織のあり方で

諦めや

自分自身を守ることを

感じるように

なっていきました。



「子ども達は

 可愛いんだけど、

 そのほかのことが

 キツいんだよね」

この言葉は、

かなりの教師から

聞いた言葉でした。




当時の私が

カウンセラーや

セラピストに

なりたかったのは...



カウンセリングや

セラピーを通して

クライアントからの

「お陰様で楽になりました」


笑顔を見たり、

感謝されることで

自分自身の中にある

欠乏感を

満たしたかったからでした。



しかし、

当時の私には

自分自身の中に

欠乏感があるなんて

気付きもしていませんでした。



つまり、

自分自身の内側に

自分自身を嫌っていたり、

周りの評価を気にしたり、

幼少期のトラウマを抱えていたり、と

様々なネガティブ感情を

抑圧しているにも関わらず、

それに

気付かず

苦しみの原因は

“学校に勤務しているからだ”


周りに責任転嫁している

勘違いにさえ

気付いていませんでした。


クライアントから

癒やされたり

幸せにしてもらったり

することを

無意識に

求めていたのです。




一体

どちらが

カウンセラー

あるいは

セラピスト

なのでしょうか。



今なら

分かります。

カウンセラーや

セラピストや

ヒーラーこそ、

自分自身のことを

しっかりと

見つめて

あらゆる自分自身の感情を受け止め、

その上で

自分自身のことを

あるがまま好きでいることが

どれだけ

大切なことかを...。

自分自身のことを

あるがままに

受け止めきれない人に

カウンセラーや

セラピストや

ヒーラーに

なろうなんて、

クライアントに対して

失礼です。



自分自身を知るとは、

時に

苦痛を伴います。

だからこそ、

無意識に

感情や記憶を

抑圧してしまっているのです。




そういう意味では、

私は

教師をしていた方が

楽でした。

教師の仮面を付けていたら

自分自身の体裁を

保つことができていたから、です。




カウンセラーや

セラピストや

ヒーラーは、

あるがままの自分自身を

さらけ出す必要があります。

それを

心理学用語では

“自己開示”

と言います。

自分は

どんなことを

大切にしていて

どんなことが

苦手で

どんなことが

許せなくて...など

素直に

正直に

表現できる人を

私は

信用します。

そんな人と

仕事を

したいと

思います。

そして、
 
そんな人と

仕事をすると

必ず

うまくいきます。


うまくいくとは、
 
そこに

人の笑顔が

花開くという意味です。



“汝自身を知れ”

ソクラテスは

名言を残しています。

この言葉が

名言として

残ると言うことは

それくらい

“自分自身を知る”とは

奥が深いということでも

あるのでしょう。

人間が

生きている間に

自分自身の全てを知ることは

もしかしたら

不可能なのかもしれません。

しかし、

この肉体が

亡くなるまで

日々学び

日々成長と

捉えて生きていけることこそ

幸せなことなのだと

私は

捉えています。




あなたが
 
今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE