鬼滅の刃、観てよかったです。






 

炭治郎も 煉獄さんも

 

 

 

それぞれの

個性によって

表現されてる、

 

 

心の純粋性が

美しくて

 

 

 

 

 

 

ああ、やっぱり

謙虚で純粋な人は

 

 

醜い心が蔓延している世界にも

光を貫いて 通していく、

 

 

そしてそこで

光を拡げていくのだな、

 

 

 

と、

 

春馬くんを重ねたりしつつ。






↑冒頭の LISAさんの歌う主題歌の歌詞もね。。

 

 

 

 



 

心の純粋性ありきの作品なので

 

 

いろんなシーンで春馬くんを

重ねずにはいられませんでした。。

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても・・・

アニメーションの映像が

とても綺麗で驚きました。

 

(以下多少のネタバレあり)

 

 

 

 

 

特に、、炭治郎の

無意識領域の景色が


 

とても美しくて

印象に残っています。

 

 

 

 

 

 

エゴの目的で

そこに訪れた、

 

鬼に操られてしまった人の心が


その場の純粋性に

浄化されていく・・・

 

 

 

・・・そんなシーンが印象的で・・。

 

 

 

 

 

 

春馬くんも、

いったいどれだけの人に・・

 

まさに、そういう事を

してきた人生だったのだろうね。。。

 

 

 

 

 


 

 

 純粋性はもちろん、


 

炭治郎の

強い想いとか、

誠実さとか、

 

 

 

煉獄さんが、鬼にいくら

仲間になれ、それが

お前にとって最善だと、


 

魂を売る事を勧められても

1ミリも動じなかった事とか、

 

 

 

 

 

そんな 二人に

春馬くんを重ねてしまって

仕方なかった。。

 

 

 

 

 

 

 

もう、、いろんなシーンで

春馬くんを重ねつつ

 

鑑賞させていただきました。

 

 

 

 

それはつまり、

”純粋性” という事、

その美しさに

 

 


何度もはっとして、

心が震えた・・・

という事で。。

 

 

 

 

 

やっぱり、

私たちは誰もが

心の奥底には

魂の美しさを内包しているからこそ、

 

 

 

 

ふと、

そこに届く様な

作品に触れると


心が震えるんだと・・

涙が流れるのだと、思う。

 

 

 


 

そんな心を持たない

まさに鬼の様な人達が

現実にいる事もまた

 

春馬くんの事で

思い知らされてるけれど。。。

 

 

 

 

その人達の心が鬼になったのは、

鬼滅の刃に登場する鬼たちの様に


憎しみ、怒りの奥深くに

「恐れ」があって、

 

 

 

でもそれは絶対に見たくないし

認めたくないから



・・というより

そもそもそれに気付いてないから



ターゲットを見つけ

攻撃する事で


責任転嫁して

正当化してる、

 

 

 

という事なんだろうか。





おそらく、そういう人達の

恐れの対象は

ターゲットの中に見る

「純粋性」だろう。


 

 

 


 

だとしたら自らの魂に

ものすごく大きなカルマを

課し続けている事に、


一刻も早く気づいた方が

良いのではないかな・・。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

鬼滅の刃のコミックの裏表紙が

 

どれもきれいで 好き。

思わず見入ってしまいます。

 

image

映画の前後あたりの巻。

 

 

 

 

コミックスの表表紙のそでの、

作者さんのお人柄が伝わってくる

コメントも好きです。

 

 

この方もすごく純粋な心を

お持ちの方だと思う。

 

こんなにもたくさんの人の心を

震えさせる作品を創る方だものね。

 

 

 

 

 

また月が変わり、11月に。

 

いつのまにこんなに季節が進んだのだろう。。

 

 

 

 

素晴らしい 秋晴れだなー

image

 

今年は、例年にも増して

時間の経過に対して

 

 

自分の意識がゆがんでる、というか、

追いついていないというか。

 

 

 

 

 

 

意識を向けるべき事とか

 

意識を向けておきたい事、

 

ふと意識を向けてしまう事が

常に何かしらあって、

 

 

 

 

その事に

自分のパワーを使い過ぎてるかもしれない、

あまり良くない意味で。

 

 

 

 

 

 

前ほどブログを書きたいとは

思わなくなった今、

 

それでもこうしてふと

つらつらと書きたくなるのは

 

 

 

文章を書く事で

心の使い方をリセットしたいという

衝動なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

最近よく思う、

 

 

 

”自分の想いや意識を

ないがしろにしてはいけない”

 

 

って。

 

 

 

 

 

想いや意識は

そのまま、パワーになるから。

 

 

エネルギーとして、

空間に生まれてるものだから。

 

 

 

その瞬間、 

”影響力”を持つから。

 

 

 

(精神領域→物質世界に

影響が及ぶまでには

タイムラグがあるけど。)

 

 

 

 

 

 

だから、ある意味、意識とは、

とても責任をもって取り扱わなければ

いけない種のものなんだ

という意味で、

 

 

”ないがしろにしてはいけない”

と、思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

私の中に生まれる

どんな想いも、

 

ちゃんと拾って、感じて、

行動してあげないとなって。

 

 

 


 

ただふと

ブログを書きたくなったから、書く。

 

そんなささいな行動だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春馬くんへの想いも、もちろん。

 

 

 

3か月半前とは全然違う意味で

とてもじゃないけど、心を着地させる事は

出来ない状況だけど。

 

 

 

 

彼や、彼の状況に対して

生まれる想いは

自分の中でちゃんと

拾い、感じていかないと

いけないと思ってる。

 

 

 


本当に、、

この世界はどうしようもない世界だ

としか思えない、それを再認識した様な

時期もあったけど

 

 

 

 

 

それでも、

そのどうしようもない世界に

生きてる自分を

自覚しないと何も始まらないし、

 

 

 

 

知る事から逃げちゃだめって事は

もうずっと思い知らされてる事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、

 

自分が素晴らしい世界に

存在してるという真実も在るという事。

 

 

そこからも逃げちゃいけなくて。

 

 

 

 

 

エゴの視点からすると

 

双方はとても

矛盾している事なのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

「知るという事。その力。」

 

 

それは春馬くんが生と死をもって

 

遺してくれた大きなメッセージの

一つだって思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。今日は

 

家族で鬼滅の刃を観に行きます。

 

大阪都構想の住民投票の日でもあります。

 

 

 

 

鬼滅の刃は娘に借りて

コミックスを1度読んだだけ、

少しアニメを観ただけの

予備知識だけど

 

 

 

映画になってる部分がコミックスで

とても印象に残ったエピソードの

部分だったので、娘に誘われた時、

観に行こうと思いました。

 

 



「意識」とか「無意識」とか。

けっこう深い、そんな事が

テーマだったような。

 

 

 

 

 

 

 

 

日常はこうやって、

 

 

自分の中に

いろんな風を吹き込みながら

 

 

渦をまきながら

淡々と進んでいく。

 

 

 

 

 

その中での

「意識」の在り方、使い方が

私の日々のテーマだし、

 

 



そうやって日々を過ごしていく事が



生きるっていう事

なのかもしれないとも思う。

 

 

 

 

 

 

 

image

 

「ラストシンデレラ」→「僕のいた時間」

の変化がすごすぎて。。(驚)

 

全くの別人。。

 

短期間に ここまで 

醸し出す雰囲気までも  

変えられるものなのか・・・

 

image

 

それほどまでに、、

演じた役の人数分の人生を

1人1人、魂を込めて 

生きてきたんだね。。

 

image

 

 

 

 

春馬くんの魂、、

先日、四十九日を迎えました。。

 

 

 

でもこの区切りは、

 

地上の私たちが 

心に区切りをつける為のもの

 

だという意味合いの方が

 大きい様に 私は感じていて。

 

 

 

彼の崇高な魂は

とっくに、

自分の状況を理解し、

 

 

今生の生から死における

魂の目的を思い出し、

 

 

今生の全貌を観て、

 

 

その上でこれからやるべき事を見据えて

すでに動き始めてる様に思えてなりません。。。

 

 

 

 

 

地球のちょっと上の・・というか微細な

波動領域には

(幽界と呼んだりする所)

 

 

 

いつまでも地上の次元での囚われに

こだわって、執着して、

その重たさ故に 上に上がれない、

 

 

そんな人たち(魂たち)が

 

 

四十九日を過ぎたとか関係なく

たくさん暮らしているそうですが

 

 

 

 

 

春馬くんはいつまでも

そんな領域に居座りつづける様な

魂じゃないと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

三浦春馬さん。心の整理②

 

の最後で、

 

 

 

春馬くんの

生 と 死、 

存在から・・・

 

 

 

・・・つまり、 

 

 

 

三浦春馬くんという、 

稀有な 愛 と 清らかさ 

を備えた魂の 

人生のすべてから

 

 

 

私たちは 何かを受け取り、

 

 

この世界に 

生かしていかないといけない、

 

 

そんな感覚だという事を書きました。

 

 

 

 

 

それは、今も変わってないし、

 

 

 

 

私の気持ちや想いを そんな風にさせる、

 

それこそが、

 

神さまの意図の様な気がします。。

 

 

 

 

私たちの生きる世界は それほどまでに、

 

 

(春馬くんという天使をこの世界に

 遣わせてもらったのに、

 

 大変な人生を歩ませ、

 苦しませ、その挙句に

 早々に天に還してしまうほどに)

 

 

愚かな、どうしようもない世界である、

 

という事。 

 

 

 

 

さらに 

 

それを自覚すらしてなかった、 

 

という事。

 

 

 

 

 

 

 

人は、、

 

大切なものや 人や 状況を失って

 

初めて

 

気づき、 思い知る事がある。

 

 

 

 

逆にいえば、 

「よっぽどの事」 でも無いと

 

 

自分にとって良い事は 

感謝も無くなるほどに

当たり前の様に享受し、

 

 

 

自分にとって嫌な事は

心の中外で拒絶したり攻撃したり

してしまっている事が

 

 

たくさんあると

言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

その、「自分にとっての良い」

 

は、

 

本当に「良い」ものなのか?

 

 

 

逆もまた然りで。

 

 

 

 

 

 

そんな疑問すら抱かずに。

 

 

 

意識を向けたり、

 

気づきもせずに。

 

 

 

 

 

 

 

私たちは 今、 

 

 

「失って初めて 思い知るべき事」

 

 

があって

 

 

 

 

春馬くんは いろんな面で 

 

私たちに、 それに気づかせる為に

 

天から 遣わされたのかな、

 

 

そう思ったりしています。。

 

 

 

 

 

 

実際、 昇天されてから 尚も、

それどころか 更に

 

多くの人の心に 影響を与え続けてる。。

 

 

 

 

それは  三浦春馬くん  

だからこそ 成し得る事。

 

 

 

容姿の完全完璧な美しさはもちろん、

 

アーティストとしての

天性の才能や、

 

それを努力によって磨き

開花させる意思の強さとパワー、

 

 

 

併せてこの世界の人とは

思えない程の

 

心や魂の純粋さ、透明感、、、

 

 

 

 

彼の生前の生き様のエピソードが

昇天後に、どれだけたくさんの人に 

明らかにされても

 

 

 

そのどれもが驚くほどに

清らかで美しく、温かく、誠実で、

 

汚れのない生き様で・・・

 

 

 

 

 

だからこそ、 昇天後に

「三浦春馬ってどんな人だったんだろう」

 

と興味を持って検索する人の心を

 

 

 

驚きと 感嘆と、

浄化される様な感覚で

 

 

今も 掴み、

魅了させ続けているのだと思う。。

 

 

たぶん、これから先も、ずっと。。

 

 

 

 

 

 

この世界で そんな事を成し得るのは

 

ほんと、春馬くんしかいない。。

 

 

 

 

だから、春馬くんが選ばれたのかな、

 

神さまによるキャスティングで。

 

 

 

 

”昇天してから更に

人々の意識を向け続け、その後の未来に渡って

魅了させ続ける人が必要。

 

そんなこと、

あなたにしか、出来ない事だから

 

 

昇天後に そういう現象を起こせる様に、

30年間、地上でしっかり役割を

果たしてきてくださいね” 

 

って。

 

 

 

 

春馬くんの魂は、

それに見事に応えたのかな。

 

(肉体の中にいる時は無意識に、、

だっただろうけれど)

 

 

 

 

魂の故郷に還ってからこそ、

たくさんの人に

意識を向けてもらえる様な軌跡を

 

 

地上で肉体を持っている間に

たくさん残しておこうと、

 

 

 

懸命に、

その日その日を、

その一瞬一瞬を、

 

 

生き続けてきたんじゃないかな・・・ 

 

 

 

 

 

まるで33歳で磔にされ昇天した

イエス・キリスト・・にも重なる様な・・。。

 

 

 

 

 

 

そんな   

彼の 生 と 死 

から

 

 

 

私たちが 

”思い知り、 

受け取るべきメッセージ性” は

 

 

春馬くんが肉体を持っていた頃の願いや祈りであり、

 

 

普遍的な メッセージでもあり、

 

 

社会的なメッセージでもあり・・・

 

 

 

 

春馬くんを想う、1人1人によって違う

個人的なものでもある様に思います。

 

 

 

それにしっかり気づく。

 

受け取っていく。

 

 

 

そして、彼に

学ばせてもらったり

気づかせてもらった

大切な事を 

 

 

 

 

自分が日々生きる事で 

発して、 

 

この世界の中に溶かしていく事で

 

 

 

 

この先もずっと 彼をこの世界に

 

生かしていく だけでなく

 

 

 

そうやって 生きる、暮らす、

という行為そのものが

 

 

 

 

現在の 春馬くんの魂に

 

祈りと 感謝の想いを 

 

送る事になる様に

 

感じます。

 

 

言葉にしなくとも。

 

 

 

 

 

もちろん、現実世界で行動したい事があって

実行できる人は

 

自分の心のままに行動したら良いし、

 

 

 

 

それが無理な人は無理に行動しなくても

心の行動だけでも十分に

 

この世界に影響を与えます。

 

 

 

 

 

 

魂はすでに波動を発する発信機であり

 

受信機でもあるから、  

 

 

生きるだけで発してるし、 受信してる。

 

(肉体があろうが無かろうが)

 

 

 

 

 

 

だから、どういう想いで生きるか

 

どういう想いで日々暮らすかって事が

 

大事で。

 

 

 

 

私は言葉で祈り、感謝を送る事も

 

その言葉や行為の波動を送る事が出来るから

 

習慣の様にやってるけど

 

(心穏やかになるし、そういう波動を発していたいから)

 

 

 

 

義務の様になるならやらない方がいい。

 

 

 

「ねばならない」の苦しみの波動を

 

春馬くんに送ってしまう事になるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

1人でもたくさんの人が

 

一日の中で 一瞬でも 春馬くんを想い、 

 

意識を向けて (=自分の波動を春馬君に送る)

 

 

 

 

彼のこれまで と これからの

 

人(魂)生への 感謝と

 

 

 

今この瞬間の彼の魂が

 

平安の中に在る事を

 

 

祈ったり、 意識しながら  生きる事で

 

 

 

 

 

たくさんの人の純粋な波動が届く事で

 

春馬くんの 魂を さらに輝かせ、 引き上げ、

 

彼のあちらでの仕事を よりやりやすく

 

助ける事になると思うので

 

 

(おそらく彼はあちらでも優しく誠実なままに、、

他の魂を救う仕事に就くと思うのですよね、、

あちらは人手不足みたいですし)

 

 

 

 

 

私も微力ながら

 

その一端になりたいと思うのです。。

 

 

 

 

 

春馬くんは自死じゃないのかもしれない。

 
 
 


そうすると、
無念だっただろうな、、
というものすごく苦しみが生まれるのだけれど。。。
 
  

年末のミュージカル、すごく
やりたかったんじゃないかな、
とか。
 
 
せかほしも
もっともっとやりたかったんじゃないかな、
とか。。
 
 
 
 
 
 
 
これだけたくさんの人が
三浦春馬は
過労や鬱による自死確定だと
信じてるからこそ、
 
 
 
「自死だと思わされてる」
気がしてくる。
 
 
そう思う様に誘導されてるというか。
 
 
 
 
 
 
 
例えば
このブログのタイトルにも入れてる
「ホメオパシー」 は
 
 
聞いた事ない人、
知らない人が多いと思う。
 
 
なぜなら日本では
「放送禁止用語」 に
指定されてるから。
 
 
 
つまり この国では
テレビ、ラジオ等で
この言葉を聞く機会は無い。
 
 
 
だから突然聞いたら
は? 何それ、怪しい
・・・となると思う。
 
 
 
 
ホメオパシーはヨーロッパでは
東洋の漢方のようにメジャーで、
 
英国ではドラッグストアにも置いてる 
身近な自然療法。
 
(↑春馬くんも目にしたことあるかも、、
もしかしたら知っているかもしれない)
 
 
 
 
西洋医学よりも前に ドイツで発祥。

 

現在はEU諸国やスイス、インド周辺諸国を始め
中南米、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、米国、カナダにも協会があり、
 
世界で推定15~20億人が親しんでいる
ポピュラーな健康法の一つ。
 
 
 
そんな、特に怪しくもない、
世界では逆にメジャーなものを、 
 
(逆に世界からすると、えっ!日本人、、ホメオパシー知らないの?!状態・・)
 
 
 
日本では
隠されてるから
 
知らない、 聞いた事ないからという事で、
「怪しいもの」 になってる。。(悲)
 
 
 
何か症状が出た時の選択肢として
 
病院に行く、
薬を飲む、
漢方を選択する、
 
等に加えて、
 
ホメオパシーのレメディーを摂ってみる、
という選択肢も並べてみて、
 
 
その上で、
今自分がどれが必要かを選ぶ、


・・という選択の自由は 
与えられてないも同然な国。
 
 
 
 
ホメオパシーに限らず
何でもそうだけど、
 
 
より多くの事を 知ってたら、

よりたくさんの選択肢を 
並べた上で
選択できるのに
 
 
 
知らないって頃は、そもそも、
 
「無い」 って事なんだ。
 

 

 

選択肢に上がる以前の問題。
 
だって、 「無い」 のだから。
 
 
 
 
 
 
その、選択肢を増やす為の情報が
何かの勢力によって
コントロールされてるとしたら??
 
 
 
聞こえてくる、流れてくる情報を
受動的に受け取っているだけでは

 

 

「無い」 ばかりが増えていく。

 

 

 
コントロールしてる勢力が

民衆をコントロールしたいと意図してる、

そのままに
私たちは 出来上がってしまう。
 
 
 
 
 
私たちは
 
「そう思わされてる世界」 に生きてる。
 
 
 
 
 
 
春馬くんの事についても
同じような事が当てはまる様な気がしてる。
 
 
 
何かが隠されて、
ある勢力にとって都合の良い事だけ
聞かされてる?
 

 
あまりにもたくさんの人が
 ”そう思い込んでる”って事が起こると、
私は逆に怪しく思う癖がついてる。
 
 

 
コロナにしてもそうだし、
 
 
いつも、 
またそれか・・・
となるのだけれど、、
 
 
 
当たり前だけど春馬くんの事は、
またそれか、では済まされない、
憤りと悲しみを感じる。。
 
 

 
この世界で生きるのが
ほんと、イヤになる。
 
 
 
でも生きていくしかないから、、
 
 
 
日々、なんとか
心の落としどころを模索しながら
 
生きていく。
 
 
 
でも春馬くんの事は・・・
自分でも不思議なくらい、
心の落としどころを見つける作業が完結しなくて
苦しいんだけど。。
 
 




 
ここ数日は気持ちが↑こんな感じなので
ハーブティーを多飲してる、、。

 

 ミントのフレッシュハーブティー。



やっぱりドライハーブより
フレッシュの方が
植物の生命力みたいなものを
より受け取らせてもらえる。






春馬君もハーブティーを愛飲されていた様で、

 
本当に・・植物とか自然とかと
共鳴されてた方なんだなって
感激する。。

見たままだけど。。



 
 
きっと彼は
自然とか植物のエネルギーを感受して、

それを無意識だけでなく
意識的にも受け取れる人
だったんじゃないかなと思う。。


 
 
 
 

 

 

 

 

先日、ふと
立ち寄った書店に
5冊ほど置いてあって
 
 

この本が店頭に在るという
その光景に驚き
思わず二度見して、 
 
 

吸い込まれる様に
1冊手に取り、
レジに直行しました。
 
 
 
ずっと在庫切れだったのに、
タイミング良かったのかな。
 
 
 
写真集付きの方をAmazonで
予約してるのが来月届くけど、
そちらは保存版にしよう。
 
 




それにしても、
この本から溢れ出るエネルギーの
清らかな事!



この本に込められた、


春馬くんを始め
この本に携わった方々の
想いの深遠さも
もちろんだけど
  


特にこの表紙の
春馬くんのお写真から
それは たくさん
あふれ出てる様な気がする。
 
 
 
この本を眺めてるだけで
心が清められていく様。。
 
 





 
春馬くんの死については
いろいろ思う事があるけれど

 
私としては
自死じゃなかったんじゃないかな、
という気持ちが今は強いです。。
 


 
でも本当の真実は
生きてる内は
分からないから

自分が肉体を離れてから
知ればよいと思ってる。



 
アカシックレコードには
春馬くんの その時の
気持ちから 感情から
状況から

全部記録されているのだから。



肉体を離れた時に、
それを見せてもらえる事を
許される位にまで


今の人生を生きている間に
自分の意識や魂を
高めていけていれば

きっと見せてもらえると思うから。


その時まで
地上で精進しよう。。







今の真実は、
春馬君はもうこの世界には居ない
ということ。



ならば、


肉体を脱いだ上で
魂を高めていくプロセスに入っている
春馬くんに


地上から 
それをサポートする為に
やってあげられる事を
やるのみ。
 




 
 
春馬くん、
地球に肉体を持って
生まれてきてくれて
ありがとう。

 


こんな生きづらい所で
30年間
美しく、清らかに
賢明に
生き抜いてくれて
ありがとう。

 

今も、魂として
あなたが在る事、居てくれる事に
ありがとう。

 

三浦春馬という存在に、
心から敬意を送ります。
 

感謝を送ります。

 
尊敬を送ります。

 
どうかどうか、
 
そちらの世界では
伸び伸びと
 
平安の中で 喜びの中で
自由に生きてください。


 
そちらでのあなたの仕事、
役割を
思う存分
果たしてくださいね。
 
 
 
 
感謝と祈りをささげる事が
日課になっています。。