ハワイ島は今、毎年恒例のフラダンスフェスティバル、メリモナークでとっても賑わっています。
世界中からダンサーや観光客が、この時期のハワイ島を盛り上げてくれています。

素敵な笑顔、
優雅な手の動き、
軽快で、美しい音楽。
ハワイの花で作られたレイの香り。

でも、今年はこの楽しいイベント以外に、ハワイの人達にとって「聖地」であるマウナケア山に建設されているTMT望遠鏡建設への抗議運動が大きくなり、別の盛り上がりを見せています。今週はついに、1週間の建設停止になりました。

ハワイの友人とつながっているフェイスブックでも、たくさんの友人が反対しています。

個人的な事ですが、ほんの少しハワイでフラダンスを習って他で経験したことのない温かなアロハスピリットに触れることができました。その温かいアロハの精神に包まれながら、天文学者の旦那さんと出会い、ハワイの文化も、宇宙という未知の世界への探求心を持ち続ける研究者の方々の想いも、どちらにも感銘し、両方とも大好きです。

そんな大好きな両者が、今「聖地であるマウナケア山」を守る側と「人類の探求を進めるための望遠鏡建設」を推進する側として反対し合っています。

これは、マウナケアには現在13基の望遠鏡がありますが、それぞれが建設された時も反対運動はあったそうで、日本のすばる望遠鏡が建設された時も、それはあったといいます。今に始まった事ではないんですよね。

建設する側にも、反対する側にも、どちらにも正当な理由があり、一人ひとり共感する方々がそれぞれの想いを持って立ち上がっています。

人が信じるものはそれぞれ違い、その信じるものによって判断も大きく異なっていくと思います。その中で、それぞれが、勇気を出して声を出していく。

その行為そのものは、賞賛すべき行為だと思います。

ハワイの人達の素晴らしいところは、どんなに反対でも、暴力で表現することを嫌うところだと思います。(もちろん全員ではないでしょうが)

あるグループはダンスで、
ある人は歌で、
ある女性は文章にし、
ある男性は旗を笑顔で掲げて。

そうして、断固、反対を叫ぶ。

どんな物事に対しても、反対側と賛成側と両方に分かれると思いますし、意見をぶつけ合って表現し合う事は避けられない。でもその流れ自体が、実は両者にとって必要な事のような気がします。お互いにぶつけ合って、より大きな経験を積んだり、より深い人間の心を知ったり。その結果、人間は経験から人間らしい心を取り戻す流れを作る気がします。

もちろん、反対するのに暴力に発展してしまったり、人としての尊敬を忘れてしまうようになってしまえば、それはどんなに正当な理由があっても絶対に許されない事になっていくと思います。それは宗教的な理由であれ、化学のための理由であれ、その行為そのものが悪だと思います。

が、

不思議にもハワイの心を守ろうとする人達は勇気一つ持って、踊りや歌で表現しています。

世界中で、宗教同士の争いが絶えない、思想が混乱する時代の中で、今回大きくなっている反対運動の流れに人間が平和を築いていかれる可能性があるような気もしてくるんです。

ただ一つ、個人的に私が思う事は、
「聖地」とする山は、本来人の心の中に存在するもので消えることのない存在なのではないのか、ということです。「聖地」をどこか外に決めてしまうことで、人はその「聖地」を奪い取り合う争いをやめない。本当は、私たち心の中にこそ、「聖地」があって、守るべき秩序を見つけ出すことができるのではないでしょうか。

アルバートアインシュタインの言葉に、今日は心惹かれるものがありました。
以下、抜粋

Albert Einstein Quotes on Philosophy of Religion, Theology, God The religion of the future will be a cosmic religion. It should transcend personal God and avoid dogma and theology. Covering both the natural and the spiritual, it should be based on a religious sense arising from the experience of all things natural and spiritual as a meaningful unity. Buddhism answers this description. If there is any religion that could cope with modern scientific needs it would be Buddhism. (Albert Einstein)

「未来の宗教は宇宙の宗教でしょう。それは個人的な神を超越し、教義と神学を避けるべきである。自然と精神的な両方カバーして、自然と精神的な意味の統一などの全ての物事の経験から生じる宗教的な感覚に基づいている必要があります。仏教がこの説明に答えています。もし現代科学のニーズに対応することができる宗教があるとしたら、それは仏教でしょう。」
(アルバート、アインシュタイン)