こんばんは!
@Rico です。
奈良〜東大阪巡礼シリーズ✨の続編
廣瀬大社さん✨の続きです^^
失礼する手前には
手水舎💦
拝殿向かって右には
神馬舎✨
🙏🙏🙏
正面には、拝殿〜本殿✨
清々しさと共に凛とした空気✨✨✨
古来より、常世の菓物として珍重された
橘がありますね✨
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古代、黄泉の国(死者の国)や不老不死の国(蓬莱山、仙郷)として信じられていた常世の国には、時を選ばずいつまでも香り続ける果実、
「非時香果(ときじくのかぐのこのみ)」という不老長寿の霊薬がありました。それが「橘」✨✨✨
して。
いよいよ、ご挨拶です^^
御祭神
主神 若宇加能売命わかうかのめのみこと✨
→別名、豊宇気比売大神・宇加之御魂神・廣瀬大忌神
とも呼ばれます🙏
龍田風神(龍田大社さん)と深い御縁があり、
今回は、もちろんこの流れで参拝したい❗️と
思って予定を組んだのです
ざっくりと↑こちらの流れを記すと、、、
✅ 天武天皇が風水を治めれば天下が安泰するとして、龍田風神と一対の社としてお祀りを始められた。
✅ 龍田大社では風鎮めの祀りである風神祭を行い、廣瀬は水の神として大忌祭(おおいみのまつり)が、今も砂かけ祭として行われている。
✅ 山や谷から下ってくる荒々しい水を廣瀬の神様は穏やかな水にして流し受け、良い水として大和平野に配る、そして人々の暮らしを守ってくださる。
それが廣瀬の水神信仰✨
(詳しくはこちらを↓)
また、相殿 御祭神は
櫛玉命✨
→社伝では、饒速日命とも
穂雷命✨
→水穂雷神とも。さらには「水穂雷神」は
「天明玉の分霊」「坎火(あなひ)神」ともされます
※いわゆる、火の神さまなんやろね
なんと😲❗️
こちらで、またもやの饒速日命✨
(社家の樋口氏は饒速日命を祖神とする
物部氏の末裔とされるようです🙏)
やはり、葛城の地✨
真っ先に遠征した流れはあったのやね☝️
と、振り返ってみます^^
→葛城シリーズは、17記事✨
ありがたくお参りいたします🙏
ちろっと脇から本殿をチラ見👀
ふわぁっと優しい風がやってきます^^
さらに、
境内には厄割石🪨✨
で。
ゆっくりとしていると、、、
おや🤔
なんやら気になるエリア発見💡
こちらが
水足明神✨
(後から調べて判明。)
めっちゃこの場所こそが
水と風が交差する場所✨って
感じまして、、、
しばし、この場所があまりに心地よくて
お唱えしながら手を合わせます🙏
こちらに見える池の雰囲気と
この場所に立って風が流れてくるのを感じると
まさに、風水✨のイメージが湧いてきて、
昔むかしからの原点が思い出されてきます🙏
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あとから調べてみたら
一夜にして、陸地と化した水足池✨の跡地
という伝承もあるようです‼️
→水足池は、竜王がすんでいたらしい
ざっくりと伝説を説明すると、、、
🔳 昔、河合に藤時(ふじとき)という里長がいた。
ある日の夕方、家の外に神様が人の姿(美しい若者)で現れた。
「お前の家の北に池があろう。あれは水足池で、底は深く、竜王がすんでいる。そこで、その池の上にご殿を造ることにしよう。承知するか」と。
🔳藤時は困った。「池の上はいつも波が高いので、わたしら人間は、とても泳いでご殿は建てられません」
すると若者は言った。「おまえたちは水に溺れることを恐れているようだ。もし、池の水をなくして平地にすると、ご殿を造ることを承知するか。そのしるしは、翌朝見られたい」と言って姿を消した。
🔳翌朝、驚いたことに、水足池は、水のない平らな地に変わっていた。そこで、藤時は、大工を呼んでご殿を建てた。これを水足明神という。
🔳このことを、急いで朝廷に伝えると、天皇の使いである勅使がきて、厳かにお祭りをされたという。
(詳しい伝説はこちら↓奈良県HPを^^)
廣瀬大社さんの創建にまつわる話に
通じるものがあるのです✨✨✨
やはり、
境内の気になる場所は
後から掘ってみると、気づきがありますね^^
てなワケで
まだまだ続きます。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために