これが私に渡された我が家のアルバムのあるページだ。
写っているのはほとんどが知的障がい者で2010年1月に肺炎の発見が遅れ40歳で亡くなった兄だ。
 
これを目に焼き付けてほしい。

私に子供がいたら必死で写真の保存を試みただろう。
 
しかし私は敢えてこのままにして9年。
 
それでも見つけてくれた方々が出来るだけ綺麗に保存してくれたものだ。
 
あの新宿東口で、近くで働いていた「まだ一度も直接会ったことのない」あいさんのブログをリブログさせていただきました。
 
同じ「技術者」ということ、南三陸出身でいらっしゃる方とは当時ほぼブログとか、mixiでの出会いだった。

何度も震災の画像を出してきた。
こちらは初めてか。

父と母と、当時は知的障がい者だとは判らなかった兄。
そして私。後ろには資生堂さんのマークや「MG5」の文字。
 
母に抱かれている私は赤ん坊なので察するに昭和47年(1972年)だろう。
 
家族と一緒に居るこ時間とは人によってなんて短いのだろう。
 
「お前は4年もいたら帰って来ないだろう。」とだけ言い私を都会に送り出した父親。
 
 
そうだ。「愛が呼ぶほうへ」
という曲を聴いてみてほしい。
 
償う人の背に降り続く雨
綺麗な水をあげよう 望むまま
戸惑う人の目に吹きつける風
見えぬなら閉じればいい手をとってあげよう
 
僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけれど
My name is love  ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 遠くから近くから君のこと見ている
 
幼い恋の瀬に一緒に泣いてくれた
友の隣で微笑んでた
旅立つ君をただ黙って送った 父の背中の涙を受け止めていた
君は知っているだろうか喜びも悲しみも
My name is love  僕が持つたくさんの名前のひとつだから
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ

 

花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように

いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ

(作詞:新藤 晴一  作曲:ak.homma   編曲:ak.homma,ポルノグラフィティ )

 

 

 

あの日私はこの
アメブロさん主催のパーティーにいく準備をしていた。
かなり早い時間だったので外出していなかった。
 
亡き母に贈って化粧品店にかざっていた絵画が落ちた。
 
当然硝子のケースは割れた。
 
後日
たまにここで話題に出す夜中のマックで働く親友は私にこう言った。
 
お父様にも卒業式でお会いしたね。
それでも
あこが向こうにいて巻き込まれなくて良かった。
 
と。
 
 
 
けっこう色々なものにお助けいただいた。
それでも暫く時間も日にちも経過してからだったと思う。
 
ここまで立ち直れた色んな方、もの、とにかく様々なものに感謝します。
本当にありがとうございます。
そしていつも意外と近くにいるであろう存在。
 
本当にいつもいつもありがとう。
 

ご都合主義のタダ活さんたちよ。
一度訊いてみたい。

自宅がないとか、想像してみたことがありますか。