発売より数日前にフラゲできたルージュミニ。
その時はイオンモールのカウンターだし、
お試しとか出来ずに第一印象で「小さいし観賞用かも~」な気持ちで下矢印中央のカシスフラッペを選びました。

(インスタに投稿した写真より。)

ポーチの色がまさにこれかなと。
鮮やかですね。

このときはHAKUのファンデと


エリクシールホワイトも買ったので、


1本でもこちらのポーチとつや玉コットンを頂きました。

コットン愛用者としてはラッキーラブラブでした。直塗りあと馴染ませた感じです下矢印
その後数日。
 
 定期的に行く病院病院の帰りにいつもイオンモールに寄ります。
 
数ヵ月すれ違いしていた与野イオンモールのセクションのBCさんに遭遇。
 
(※彼女は私がお世話になった多くのBCさんの先輩であり、首都圏支社にいた凄腕)
 
月曜の真っ昼間ということもあり、少し長めにお話しできました。
丸レッドこの数ヵ月であったこと、
丸レッド辛い仕事を経験したけどその売り場はやはりどおぉ~~しても悪評高く会社の同僚さんも「あのデパートだけは嫌」とみなさん嫌がるそう。
 
やっぱり。(左矢印慰めてもらった感じとそこに一定期間いたという事実を改めて振り返りました)
そして、「まだ結構残っているんだな~」とルージュミニを見ていたら・・・RD 606という数字が目に入った。
 
くちびるキスインザダークくちびる
RD600番台というのはあまりない色味なので珍しいなと思っていたらかなり好みの色でしたラブ
この感じ・・・80年代のマットともまた違う、懐かしい色味。スティック自体を横から見ると分かる。
そして塗ったときに思った。
 (たぶん)私が行くカウンターの赤リップにはないこの色。マットは山ほどあるのに・・・特にシャネルとか・・・。
 
私にはとても懐かしいけれど、十数年化粧品コスメフリーク口紅をしていると「なつかしさ」も何周かしてますね。
ふと20代を思い出した。
 
こちらのベテランBCさんは私の手のひらパー首の色を見て
「あっ、ブルーベースと思いきやイエローの要素もある」と指摘。
 黒目の色が茶色いことも指摘されました。うーん。さすが!

!!確かにそうで、!!デパートに入店する資生堂さんのトップメーキャップクリエイター(TMC)にファンデの色をどうするか尋ねたことがあるが
赤みだと女性らしく血色感よく「お化粧しています」という感じにしあがり、
ベージュオークルでも違和感はない、
仕上がりの好みもある。ということで納得できた。

 

 
結局翌々日デパートに行った際。

天候が雨雨なので
「今日なら何でもお試しできる!!」と、頑張ってイケセイへ。

まずはディオールのステラ―シャイン口紅。いくつかに絞っていたので実際に
試して、1色だけ購入。

早い時間でもあったので、ネットで観た色と実際は結構違っており無駄な買い物をしなくて済んだ。
販売員あるあるだが、相手(接客する側)を考えると、正直さっさと立ち去りたい。が

 

本当に欲しいものがあるときはじっくり見たいのも本音・・・お願い

 

正直若い方と違って口紅やファンデ用用具1個では立ち去れない見栄っ張り。左矢印中途半端な都会に毒された自分

 
友人とも話したが
「お母さんと一緒にお買い物」の経験がない商売屋の娘は母子でのお買い物風景に嫉妬ハートブレイクする。

年末年始、新宿の売り場に立っている時。
とりわけクリスマス後や成人式前は実にそう思った。

私は母に化粧品アイシャドウ口紅化粧品をもらってばかりだったのだから別にいいのかな・・・???
 
 
彼女も自宅は自営業だったしお子さんは男の子なのでどちらかというとご主人と息子さんの好みに応じた休日だという。
 
 
これ、上矢印使いきれるかも。(ホントか??

そして3~4月は晴れると本当に紫外線が強いので
 
このへんはこまめに買っておきました。
 
日焼け止めって毎年本当に進化しますね。
主だったものを見るとアネッサにまけないぞ、うちはもう少しお安くてこんなにスゴいぞ!という、ビジュアルやアイキャッチ含め
 
イメージで焼けそうにないもの、
インスタ映えするパッケージなど
かなり充実し、外パッケージも簡易で直ぐに使え
使用感の良さときたら。
昔のものは本当にギシギシしてました。敏感肌でもとなれば、
紫外線散乱材使用のため、
かなりの被膜感。
 
そして現代っ子はアトピーだけではく皮膚疾患も多いので日本人でも本当に日焼けを心配する親御さんが多いようだ。
私も思い出す
5月の岩手。
運動会。
夜にお風呂に入る時の太ももの痛さ~~~~えーんえーんえーん
あれを機に日に焼けるという恐怖を身をもって体験する。
カーマインローションを母がつけてくれた。ペタペタという音と、真っ赤になった太もも・・・。
 
あれは貴重な体験だった・・・。
母がいなくなって来月でもう20年。
「母の日が辛い」なんて思っていたらあっという間に20年。
 
今も改めて母からの色んなものを引き継いでいる自分であった。
 
 
本日もお読みいただきありがとうございました。
akiko