こちらですね、今から23年ほど前にSANYOから発売された、
私は栗山さんと池山さんが大好きで、
2枚買いました。
まだ棄てずに残ってるんです(笑)。
当時、これだけの人気選手が・・・!
ほら、こちらはモテモテだった現・西武監督の渡辺さんです。
栗山さんは、メニエール病などをもっていたこともあり、
早い引退となりました。が、
ドラフト外入団、東京学芸大学出身という、当時は異色中の異色の存在。
(入団して最初の数年は「早く俺をクビにしてくれ」と思う毎日だったそうです)
30代後半以降の方ならご存知だと思いますが、
当時 立教大学から入団した長島一茂選手で注目を浴びたヤクルト。
その大騒ぎの様子が他の若手選手たちを発奮させ、
当時23歳だった池山選手や、広沢選手の闘志にも火をつけた。
「長島選手の存在そのもの」が発奮材料になって、数年のうちに
野村監督の手腕もあり 万年Bクラスが定番だったヤクルトの
輝かしい時代が始まりました。
私は16歳、高校2年生になる春休みに田老の実家から、3泊くらいで
南浦和のおじ(今回亡くなった父のすぐ下の弟)のところに泊まらせてもらい、
千葉の球場までオープン戦を観に行ったんです。
そのとき、バックネット裏から「ゴロ」を見て、
ゴロでもこんなに早いんだ~、と感激したのを覚えています。
(ちなみに私、テニス部でしたがソフトボールやらせてももすごい高打率でした)
・・・・行方不明の弟も、言ってましたっけ。
「プロと高校野球の一番の違いは、守備だ」って。
野球好き一家だったもので、どうしても野球部だった弟や
大の巨人ファンの父の思い出がよぎります。
栗山さんは、実際著書に「スポーツ医学」や「練習方法」など、
引退直後からスポーツキッズたちに読みやすい著書を書いていました。
私も買いました(そんなに理解していたわけではいないのですが)。
そして、20数年経ち、このタイミングで監督を引き受ける。
キャスターとして長年テレビの世界、取材する世界にいて、
この年齢で大きなチャレンジだと思います。
私、思ったんですね。
チャレンジ。
これは、保証のない世界、常に求められ、前向きな気持ちでないと
できない、と。
守りに入ると、(守りに入っていい時期もあると思うけれど)
いざ 何か新しいことに手を出すことになった際、腰が重くなってしまう。
立ち上がりがなんか、上手くいかない。
私は今日、なんとか喪中ハガキを書き上げ、ポストに投函しました。
苦しかったですよ・・・。でも、やらなきゃどうしようもない。
相変わらずメソメソすることも、正直あるけれど、
お客さんに癒してもらっています。
そんなわけで、周囲の反響がやたら厳しくてうるさい昨今だけれど・・・
監督としてより、いち個人として栗山新監督を応援していこうと思います。