公式サイトにも、このブログにも、毎日のようにアクセスをいただいています。

 

見えない誰かへの感謝を、いつでも忘れない。

 

更新頻度は落ちています。

 

ただ、存在を忘れたことはありません。

 

見守っていてくださいね。

 

まだまだ、これから。

この暑い季節になると<創作の原点>を思い返す。

 

1996年札幌。

 

あの頃の情熱。

 

何のための創作なのか。

 

誰のための創作なのか。

 

自分のためなのか、誰かのためなのか。

 

 

「書いていることは、生きていること」

 

 

生きている意味はきっとここにあると確信している。

 

まだ、やれること、やろう。

自分が大学生だった頃、卒業したら東京へ行く。

起業するか、ある東京企業に就職するかはともかく、

とにかく東京に出る事が目標だった。

 

ある転機で、大学中退のUターン。

その時は若さがあったから、

なんとか人生は楽しめた。

 

その中でも東京への憧れは消えてはいなかった。

時折、東京に行っていたし、

その「憧れ」は無くなったわけでもない。

 

やがて憧れは、現実への調和と変わったのだろうか。

高校の時、担任の先生が教えてくれて

今でも大切にしてる言葉。

 

「一期一会」

 

次があると思うな。

全力で真剣に、誠実に向き合う姿勢。

後悔をしないよう・・・。

 

そう「明日やろうはバカやろう」

自身の創作において、

 

大きなキーワードとなっているのが「手紙」

 

自分のウェブサイトでもその重要さが確認できる。

 

読者層だとか、ターゲッティングなんてのは

 

あまり意識していないつもりだけれど、

 

「手紙を書く相手」を考えることで

 

創作作品の輪郭が浮かびあがったりする。

今年はいろんなことがあった、

 

忙しくて充実していたけれど、進めていない。

 

そもそも進むこととはなんなのか?

 

・ ・ ・

安倍麻美「理由」

あなたは 生きているだけで

もう十分自分らしく生きている

http://j-lyric.net/artist/a008d09/l001db5.html

・ ・ ・

 

というあるお気に入りの歌詞がある。

 

たしかに「生きているそのこと自体が生きている意味なのだ」、

 

というような「実存主義」的な考え方。

 

それならば、生きているだけでいいのだけれど、

 

生きているからには欲求がつきまとう。

 

 

その欲求を満たすには何ができるかが問題になる。

手に入れた喜びよりも、失った悲しみの方が大きい。

もちろん、手に入れたものも、失ったものも同じだとして。

 

出会った時の「自分」と別れる時の「自分」は違う。

おそらく鍵になってるのは「時間軸」

思い出とかそういうもの。

 

きっとそれは、忘れることが「できる」もの。

だから「時間が解決する」とかっていう

言葉になるんだと思う。

最近、また周囲からの「すごい」という評価をいただく。

なんでこんな文章を書けるの?

この経験は学生時代からのもので

自分には慣れっこになってるフシもある。

 

 

「やっぱりものを書く能力がある人は強い」と言ってくれた彼に、

「そんなことはないですよ」と言いながら僕の自己承認欲求は満たされた感があった。

 

 

ある人にはこう言われた

「あなたにはあなたにしか書けない文章があるから」

僕はまだまだそんな期待に添えていない。

 

 

どこか、いつかやれる。

やれることを残しておく。

そんな考え方に陥ったんだ。

このブログ前の旧ブログには、
「一行心情」というカテゴリをメインに綴っていた。
「毎日、一行は必ず書く」
「1日を一行で表現する」
そんな想いがあった。

そこの部分では
ブログよりむしろツイッターの方が合っていると
このブログと同時期に創作専用アカウントを開設。
現在はほとんどそちらがメインになっています。
そちらも併せて宜しくお願い申し上げます。

twitter: @ay_pub
もう20年か、、、。
1996年・夏。北海道札幌市。
暑い夏だった。学生服の自分。

今の自分がいるのは、この夏があったから。

あの時の青空を、もう一度思い出してみて。
簡単に思い出せる、20年前の青空。

いろんなものを手にした。
いろんなものを失った。

Akihiro Yamauchiの人生を、
創作なしで語る事はできない。
アイデンティティーであり、存在する理由であり、
創作だけではないけれど、人生のエッセンスは、
全てここに集約されるわけだから。

書いている事は、生きている事
というのはあくまで前提であって、
しっかり生きる=しっかり書く事なのだ。