今日は,長女の中学校生活最後の体育祭(スポーツフェスティバル)。

大縄跳びやムカデ競走で1位になるなど,

成績も素晴らしかったが,

何よりチームワークの良さが際立ち,

みんな自分たちのクラスが「最高!」だと誇りに思っているところが,

とても素晴らしいと思った。

ちょっとうらやましくなった。

 

長女のクラスメートの中には,

私がかつて「相撲」や「合気道」などを教えた子どもたちもいて,

不思議な縁を感じている。

彼らが卒業したら,

私が関わった子どもたちは義務教育にはいなくなる。

2019年は,文字通り節目の年だと実感する。

 

とても嬉しいことがあった。

妻がある方から声をかけられたとのことで,

詳しく聞いてみると,その方が言うには,

「親族の子どもが私にお世話になった」ということらしい。

そして,私の「命の授業」に感動した経験があると,

その子が語っていたとのことだった。

 

【私の授業を記憶している子どもがいる】

それを聞いて,教員として生きてきてよかったと,

心から思えた。

 

30代半ば頃から私は,

4月の授業参観では,自分の勝負授業である「詩の授業」を行い,

2学期末の授業参観では,「道徳」を行うことが多くなっていた。

そして「多様なものの見方・考え方」「プラス思考」「命」などの大切さをよく扱ってきた。

その中のどれか一つがヒットしたのだろう。

 

思い出した。

その年は,私の児童詩教育18年の集大成として学級づくりを行っていた。

そしてその実践をまとめ,

「想像力を養う詩の創作指導に関する研究」で教育学修士を取得した。

だから,その子どもの名前,顔,交わした言葉,行動,思い等をはっきりと覚えている。

もちろん,その子どもが書いた「詩」も鮮明に記憶に残っている。

その時の子どもたちが書いた詩と出会っていなければ,

「生活思想詩」の創案・提言はできなかった。

 

2019年は,改めて節目の年だと実感する。

「生活思想詩の授業」の研究を継承・発展してくれる人間を,

いつか探さなければならない。

それは自分自身かもしれないし,

あるいは後進に道を譲る必要があるのかもしれない。