今日は1月17日。
※一部リアルな表現があったので訂正しています
毎年朝の5:46に起きて、テレビの追悼式を流しながら黙祷してます。
阪神淡路大震災を経験した私。
この日の前後は子供に色々話したり、思い出したりしてやっぱりこの日は辛い。
それでも今年は命日前に親友のお墓参りに行けたし、落ち着いた気持ちでこの日を迎えれた気がする。
今年の1月17日は震災二日後に大阪まで受験に行った日の事を思い出しました。
大阪に行く高速道路は、ご存知の方も多いとは思いますが根本から倒れてたので、山側のドライブウェイに入りましたが、途中崖崩れで道がなくなっていた。命懸けで兄の運転でなんとか西宮まで辿り着いた時のこと。
落ちたらアカンからと、私と父は車を降りて僅かに残ってる道路の端っこを歩き向こう岸へ。
兄はその僅かに残ってる道を車で一気に渡りました。
今思うとあり得ない光景。
イメージはこんな感じ。
で、端に車一台がギリギリ通れるぐらいの道が残ってました。
ほんとあの時誰もが異常な心理状態だったんだろうなぁ。
有り得ないよね。
お兄ちゃん、無事で良かった。本当に。
無事に大阪の親戚の家に着き、翌日の受験の為に泊めさせてもらいました。
枕の下には二日前に突然私の前からいなくなった親友の写真を入れて寝ました。泣いたなぁ。
寂しくて辛くて悲しくて。
足を怪我していたので、次の日は足を引きずりながら受験しました。
面接の時に学校生活で一番思い出に残ってる事は?と聞かれた時、は?どっから来てるか願書見てないん?と思って
『地震で親友が亡くなった事です』って素で言っちゃった(汗)
面接官、黙っちゃいました。ごめんなさい。
大阪は普通の日常でした。カルチャーショックを受けたことを覚えています。
試験が終わり兄と父とまた車で帰る時、焼けた一帯の横を通りました。
戦争の後の焼け野原みたいだった。
自衛隊の人が焼けて亡くなった方の遺骨を持って私達の横を通りました。
今見たらきっと悲鳴あげてる。
けど、あの時は言葉が出なかった。ただ
『あれ、骨やな』とボソッと兄と話したぐらい。
こうゆう話をいつの時代までも語り継がなければ風化しちゃうのでリアルな話しちゃいました。
ごめんなさい。
今の職場のほとんどの若い子も震災を経験していない。風化は絶対しちゃだめだ。
おーい!
こっちはえらい時代になってるで!
ほんま毎日色々不安な事ばかり。
考えたらきりがないけど、今は乗り越えるしかないから見守っててよ!
こんな辛い時、いてくれたら絶対いっぱいいっぱい他の人には話せないこと相談してたと思う。
おーい!今日は夢に出てきてよ!
いっぱい話聞いて欲しい(*T^T)
会いたいな。
大好き。


































