ウチの母 | Last will

Last will

こんにちは。ヨモリコウです。日記のつもりで書いているので、読んで楽しいものではないと思います。
自己満足を垂れ流ししているかも知れません。
でも、もし、共感していただけることがあれば幸いです。

ウクライナの話を書こうと思っていたら、大好きな仲人さんのブログを見て、机からカチカチのパンが出てきたくだりで我が事のことを思いだしたので、こっちに変えます。


なんとなくザックリなノリのままで行くで。


私は物心ついた時には実親がおりませんでした。

って言うか、なんで親がおらんのかもわからん。

そして、諸々あって→これはそのうち書けたら書く。3歳の時に養父母にもらわれました。

もらわれる?これ、変やな。

3歳から養父母に育ててもらいました。やな。


その養父母は子どもがおらず、本当の子どもとして育てたいと思っていたのですが、施設育ちのワタクシはやっぱり普通ではなかったんです。

思ったようなカワイイ良い子ではなかったので、母は感情をコントロールできず、今なら通報されそうな感じで毎日のように怒られておりました。


今思うと…

これしたら『怒られる』という概念が抜けませんでしたね。だからと言って、良い子でもいられませんでした。

顔色を見て、母好みの良い子を演じていれば、もっと可愛がってもらえたのかも知れませんが、親の前ではめちゃくちゃ良い子ほど学校ではいじめる側が多いのを大人になってから目の当たりにしているので、アレで良かったんやろなと1人で納得しています。


脱線したけど、『怒られる』から隠す、嘘をつく。そして、また怒られるのループでしたね。

両親とも几帳面で綺麗好きでしたね。昭和3年生まれの父と11年生まれの母。

母は専業主婦で友達らしい人はいませんでした。買い物以外、家にいた。

保護者会や運動会なども小学生は来ていましたが、中学は入学式以外は来なくなった。

私のことでいろいろ言われるのはイヤだったらしい。


だから、何となく私は他の子どもよりダメな子だと思っていましたが、自分の子どもを見て、私普通じゃん?それよか、立派だったじゃん?と最近思うようになりました。


三日坊主や有言不実行当たり前。

コソコソ布団で深夜ラジオ、やってみたいじゃん?

親の財布からくすねる。やったらあかんけど、お小遣いないし、友達と買い食いしたいやん。

朝の犬の散歩サボる。これは、マミ(犬の名前)ごめん。朝早く起きるのがめんどくさくて、わからんやろうとサボった。でも、母は私が学校行ってから起きてくるんやで。低血圧やからって。たぶん私の顔を見たくなかったと思ってる。

近所の万引きもしたことある。食べ物や文具。お店に見つかって頼み込んで許してもらいました。

それ以来はしていない。だから、母も知らない。

そして、よく嘘はついたな。怒られると思って、すぐに嘘をついた。結局、バレてもっと怒られるんだけど。

給食のお残しも罪の意識があるから隠して、カチカチのパンにしてみたり。


そして、怒られたら、何時間も説教されたり、殴られたり、家を出されたり、長い時は祖父母の家で暮らしたりしていました。


話すともっと長くなるのでそろそろ切り上げるけれど、私自身が親になって思うことは、自分のしてきたコトはそれほどひどいことではなかったなと。

さすがに娘達は万引きはしない子ですが、チビは私の財布からお金を取ってましたし、嘘もよくつく子でした。因果応報ってヤツ?

でも、友達の次男くんも同じことするって聞いた。そして、しなくなるよ!って聞いてホッとした。そして、チビはしなくなったし、ウソもつかないようにしているのがわかる。

ウソをついた事を怒るのではなく、信用できなくなることをずっと話をし続けたのだけど。


ウチの母は、自分を基準に考えた時(自称 親孝行な娘)に私のやる事が想定外過ぎて、それが自分の子どもじゃないからそうなんだと許せなかったんだろうなと思います。

カチカチのパンが見つかった時はやっぱりめちゃくちゃ怒られました。はい、いつもの説教でした。

私やったら、は?なにこれ?きったねー。早よ捨てな❗️って感じになるかと思います。今の給食は持ち帰りできませんが。


でも、結局、母とは合わなくて絶縁しました。

親孝行できればと何度かやり直しを試みましたが、自分の生活を変えてまで母に合わせることはできませんでした。やっぱり私は母の思ったとおりに動けません。

それでも、母のことは嫌いではありません。

何よりも赤の他人の私約17年間育ててくれました。学校も行かせてもらいました。

私なら言うこともきかない、かわいくもない他人のために多額のお金を使うなんてできません。ある意味、ドブに捨てたみたいな感じだと思います。そういう意味では感謝でしかないです。

お父さんにも私を育てていなかったら、母と気の合う良い子だったら、もっと穏やかな日常を送れていたし、趣味にもっとお金を使えたんだろうと思うと、申し訳ない気持ちです。

それでも、今の自分の生活を守るためにあえて連絡はしません。ただ、お父さんとお母さんが穏やかで幸せな日々を送っていますように祈っています。