時代の流れ | 鉄母の 子育て鈍行列車 

鉄母の 子育て鈍行列車 

鉄道関係のことが好きな母親を勝手に「鉄母」としました。
旅行や鉄道関係から、英語、教育、発達障害と、鈍行のおかげでネタの中身が寄り道いっぱいです。

その昔、現在勤めている職場のある

名古屋大学には地下鉄がなく、最寄は

本山駅(もとやま)だったと言ったら

現役の学生や院生の子達に驚かれた

事を書いたかと思いますが、娘は今

(昨日今日と)中間試験で早帰りして

いるため、昔私も、早く登校したけど

テストの時は早く下校出来るので

嬉しかったことを思い出しました。


中一の時にはまだ現在の最寄は開通して

おらず、中二に上がる3日前に出来た

為に、中一の一年間は朝も6時半前の

バスにバス乗って、地下鉄のあとに

もう少しだけ市バス(母校前のバス停は

道の真ん中。基幹バスといって、半ば

路面電車の電停に似ています。)に

乗っていたのです。乗り換えが多かった

なぁ。


1年生のうちは何でも初体験ですから

とにかく大変だった印象がありました。

生徒手帳の時刻表メモのページにも、

記録がバスと地下鉄と両方されてました。


それが、中二に上がると地下鉄の最寄駅が

自転車自転車で行けるようになったので、

地下鉄の時刻表も6時はなくて、7時の

メモしかありません。楽になったなぁ。


そんなことを話していたら、息子は

「家の近くに地下鉄がなかったの?」

と真面目に聞くから、本当だったし、

金山(かなやま)だって1ヵ所に集まったの

たかだか30年で、覚えてるよとか、

神宮前まで家の近所から名鉄バスが

たくさん走ってた(鳴海駅に行くバスの

路線が一番多かったのですが、神宮前は

特急が停まるため、それなりに需要は

あったんですよ)とか、何なら鳴海駅が

自動改札機を入れる前に係員さんが

ハサミを握って素早くはかしていた事も

覚えていると話したら、たまげていました。


自動改札機や地下鉄の延伸、バスの

改編や路線廃止等、両親に比べたら

格段に違いますが、それでも結構

昔の事を覚えているもんです。


バスで全部行けた方が上がり下がりが

少なくて済むから廃止はない方が

いいのですが…名古屋は電車の相手は

車(マイカー)車ですから、悩ましいですね。


名古屋大学に行くのにバスの路線も

たくさんあったのですが、それも今は

随分減らされてます。


いいのか悪いのか、難しいですね。