こわい事はやりたい事とか
めんどくさい事をやると現実が変わるとか言うじゃん(知らんがな笑)
でも無意識に「こわい事」「めんどくさい事」のカテゴリーからザザザーって外してる事、
あるよね(勝手に決めつけんな)
私にとって、よくよく考えたらめんどい(本当はやりたいけど)のカテゴリーに入るやん!って事は
今までだったら主に仕事に関する事が真っ先に出てきた。
でもほんとはそれよりも深く、パーソナルな部分や生活ベースでの事とか、身体を快適にするための行動の方が本当のわたしにとっては大事だったのだ。
〈よくよく考えたらやりたかった事〉
・おしゃれに関する事(服を買うことほど無駄な事はない、という概念で生きてきた)
ほんとはヘアアイロン欲しい、ピアス開けたい、脱毛ちゃんと終わらせたい、冬のコートクリーニングに出したい、ネイル行きたい、ほんとは前髪つくりたい、セオリーの服着たい……
・捨て方がわからんから見て見ぬふりして部屋に置きっぱのパソコンとか、デジカメとか、
貰ったけどぜって〜着ない服を捨てる事とか、もう早く捨てたい!!!!!!
その一つ一つの蓄積が、自分を欺いているという怒りとか罪悪感とか、余計な荷物となって更に動きを鈍らせていく。
対人関係では
「とっさに思ったことを発する事ができない。」(大した話題でなくても)
それが積み重なると、人とのコミュニケーション自体が「自分を苦痛たらしめるもの」に感じるので
無意識に人との関わりを避けるようになる。わたしの人格形成の上での「がん」となる部分はここにあるのだけど、
「思った事を発する」
これが、、、、、、、
こわいっしょ。
怖くね???
一対一ならまだいい。
3人でいて、2人に注目されるだけでもう恐怖。
声が震えてるのが自分でもわかる。
他人から見たら理解できないくらい普通にできる事でも
私にとっては世界中に裸を見られるくらい(例えがこれしか浮かばんかった)
あり得ないし恥ずいし死ぬし100%心臓ぶっ壊れるくらいの事なわけ。
だからそのまじ死ぬ位の「めんどい事」に向き合わない限り、
本当の現実創造は始まらないってわけ。
燃費のわるーい、今までと同じ中途半端な人生しか体験できないのよ。
誰も私の人生の責任は取ってくれません。
どんだけ他人の顔色伺って期待して過ごしても誰も何も持ってきてくれません。
震えながらでも恐怖におののきながらでも
「わたし」から湧いてくる「言葉」を、表現していきたい。
そんで、負のループから抜け出したい。
「創造のプロセス」を、体験したい