四国遍路徒然 ときどき神社と御朱印も -2ページ目

令和元年7/15 四国遍路~金剛福寺から中村へ

今年のお遍路は今週土曜日に前泊の為に松山に向かいますがお天気やらコロナやら色々心配ではあります。とにかく四国の方に迷惑を掛けないようにマスク、手洗い、消毒はしっかりやります。

さてこちらの備忘録はようやく金剛福寺に到着。。まだ六時半ながら境内には人の姿も見えます。




金剛福寺と言えばお大師様と亀でしょうか?その昔、お大師様が足摺岬で亀に乗って修行されたとか。。。



亀を撫でるとご利益があるらしいですよ。私は撫でるの忘れました(笑)




早速、本堂と大師堂でお参り。大師堂では地元の方がお掃除されていました。きっと毎日欠かさずお掃除されているんでしょうね。お参りが終わったら暫し美しいお庭を散策します。


7時前でしたが納経所の方がどうぞと声を掛けてくれました。一番に納経を受けこれにて金剛福寺は終了。またこれから中村まで二時間掛けて戻るのです。バス停は金剛福寺を出てすぐ横にあります。ちょっとだけ時間があるのですぐ側にあるこちらの方にもご挨拶。坂本龍馬かと思ったらジョン万次郎でした(笑) 


発車時刻ギリギリにやってきたバスはもちろんノンステップバス。。またこれを二時間乗るのかと思うと気が滅入る。やる事もないので寝ながら行きますか。。

令和元年7/15 金剛福寺へ

いよいよ今年のお遍路出発まであと一週間。なのにこちらの備忘録は未だに金剛福寺に着く前。もう追い付くのは諦めましたよ(笑) 

でもとにかく前に進みます。六時前には宿を出発し三キロちょっと先の金剛福寺まで歩いていく。この時の四国はまだ梅雨明け前だったが朝から晴れ間も見えて嬉しくなる。


時折こんな雄大な景色を見ながら歩いていく。暫く歩くと道が二手に別れた。はて?どちらに進もうかと悩んでいると前から地元の方が「こっちこっち!」と手を振って呼んでいる。分岐を直進すると近道で楽だよと教えてくれる。お礼を申し上げて歩き出す。また暫く歩くと急に賑やかな雰囲気になった。ホテル等も並び観光地らしくなる。左手に白山神社を見るともう金剛福寺だ。


宿から40分で第三十八番札所金剛福寺に到着。北海道の某水曜な番組のO泉さんが真っ暗な中撮影したのはここかと一人ニヤニヤしながら入口を見る。さすが高知を代表する観光地。こんな早朝でも参詣客が来ている。彼等に混ざって私もお参りをさせていただく。


令和元年7/14 四国遍路~足摺岬 7/15 金剛福寺へ


中村からのバスは約一時間で土佐清水市に入った。海辺にある街だがなかなかの規模だ。ここから更に50分程バスに乗り続ける。バスは横道に入って小さな集落を巡っていく。小さなバスでもやっとな狭い道を通って行くのでちょっとハラハラする。そろそろ足摺岬が近くなってきたかなと思っているとバスはまたまたとんでもない狭い道を走る。右は崖 左は山みたいな所で何故こんな道をわざわざ通るのか?と疑問に思うがバスはそんな事関係ないと言わんばかりにスイスイ走っていく。ベテランのドライバーさんには通い慣れた道だ。時折右手に雄大な太平洋が見え疲れた身体を癒してくれる。日の長い7月の四国なのでまだ太陽は高い。もういい加減お尻が痛くなって限界という所でバスは宿の前に着いた。

中村から約二時間。さすがに乗り疲れた。早々にチェックインし温泉に身を委ねる。宿は素泊まりなので窪川で買ってきてパンとビールで夕食。侘しい夕食だが冷えたビールがおいしかった。夏遍路初日は23キロの歩きだった。バスやら鉄道に何回も乗った割には歩いたのではないだろうか。九時には寝る。明日も早い。


明けて7/15も五時起床。とにかくこの時の四国はまだ梅雨明けしていなかったが宿から見える空は明るい。予報も雨は降らないとのことで安心する。

六時前に宿を出発し三キロちょっと先の金剛福寺に歩いていく。今日は愛媛の宇和島泊でなかなかの長丁場だが初日に続き乗り物移動が主なので歩ける所はしっかりと歩いていきたい。

令和元年7/14 四国遍路~足摺岬に向かう

岩本寺を後に本日の宿を取ってある足摺岬に向かう。窪川からは土佐くろしお鉄道の特急で中村まで行き更にバスで二時間の距離だ。北海道の某水曜の番組ではないが余りの遠さにうんざりしてくる。合成で行ったふりも出来ないので頑張って行くしかないが(笑)

そういえば今日はここまで水分と塩飴以外口にしていなかった。岩本寺の近くに大きいドラッグストアがあるのでそこでお昼と夕飯、更に明日の朝のパンを大量に買い込む。今日の宿は素泊まりだが足摺岬にコンビニは無いのは知っていた。飢えないようにしないと。窪川の駅に戻り待合室でパンを食べて列車を待つ。


ようやくお腹が充たされのんびりしていると特急の乗客はホームに入って良いと言う。隣のホームには予土線のトロッコ列車が止まっていたので皆、一斉にカメラを向けてプチ撮影会になる。私も一枚。このトロッコに乗りながら一杯やるのもいいですね。さあ列車も来るかなと待っていると放送で特急は三分遅れでやって来るときた。おいおいちょっと待ってくれ。実は中村から足摺岬へのバスは五分の乗り換えなのだ。まさか乗り遅れる事はないと思うが不安になってくる。

高知からの特急は放送の通り三分遅れでやってきた。そしてこの特急は二両編成である。東京では考えられないが二両の特急でも十分に需要を満たしてしまうのが寂しい。窪川を出るとすぐに車掌さんが車内改札にやってきた。この車掌さんがそれはまあ純朴そうな女の子だった。土佐美人とでも言うのであろうか とても可愛い。その車掌さんに中村で足摺岬行きのバスは列車が遅れていても接続するか聞いてみるとそれは分からないと言う。それなら中村駅は改札まで遠いかと聞くと特急が着くホームは改札が目の前だと。なるほどそれが分かれば安心だ。仮にこのまま遅れを回復出来なくても二分あれば間に合うだろうと安心する。

特急は遅れは回復する事なく中村に着いた。いそいそと改札を抜けバス乗り場に向かうと目の前に足摺岬行きのバスが止まっていた。覚悟はしていたがやはりノンステップバスだ。皆さん想像してほしい。自分の街を走るノンステップバスに二時間も乗る事を。二時間乗るならせめて観光バスタイプだと思うがバリアフリーがそれを許さない。深いため息をつきながらバスに乗り込む。

バスは私の気持ちなど知る由もなく走り始める。この薄っぺらい椅子に二時間かあ。。といささか絶望的になるが今さらどうしようもない。中村の市街を抜けすっかり長閑な田舎道をバスはひたすら走り続ける。うとうとしていると急に大きな街が広がってきた。土佐清水市だ。しかし足摺岬はまだ遠い。。


令和元年7/14 四国遍路~岩本寺

伊野から土讃線に揺られる事90分。岩本寺最寄りの窪川駅に着いた。駅から寺までは歩いて10分ほど。天気も薄日が差してきた。日が出ると暑い。。



第37番札所岩本寺もこれまた小ぢんまりとしたお寺だ。連休中なのでそれなりに人はいる。



岩本寺の仁王さまは全体を柵に覆われていないのではっきりとお顔が拝見出来るのは嬉しい。素敵です。


鐘を突きます。鐘の澄んだ音を聞くとどんなに疲労困憊でも身がピリッと引き締まるのは何故なのか。。

鐘の隣にはお大師様。よろしくお願いしますとご挨拶。


先ずは本堂にお参り。お遍路さんではなく観光客が多かった記憶。人並みはなかなか途切れません。

大師堂ももちろんお参り。こちらは人がいないので静かに般若心経を唱える事が出来た。どこのお寺でも観光客の多が大師堂はスルーしてる印象なんだけど何故なのか?もったいない。最後に納経を済ませて岩本寺を後にします。そういえばこの日は岩本寺で法事が行われていました。小学生中学生ぐらいの子達が法事が終わった後に当たり前の様に本堂に行き手を合わせていたのを感心しながら見ていました。四国では普通の事なのか。


チャリお遍路も中途半端に番組が終わっちゃいましたね。スポンサーが付かなかったとか聞きましたが。伊予鉄辺りがつけば良いのにって思いましたよ。。

令和元年7/14 四国遍路~岩本寺に向けて

青龍寺を打ったらお次は岩本寺に急ぎ向かう。急ぐと言っても急いで行ける距離ではないんだがとにかく急ぐ(笑) 青龍寺を出た所に確かあった鳥居に心惹かれるが撮影だけして失礼する。

何故、こんなにも急いでいるかと言うと初日のこの日は遠く遠く離れた足摺岬に宿を取っている為に少しでも予定を前倒しにして先に進みたいと言う自分勝手な理由(笑) この青龍寺には前日に予約しておいたタクシーを待たせてある。先ずはJR土讃線の伊野駅に向かう。出来たら伊野駅12時22分発に乗りたいのだが果たしてタクシーのドライバーさんからは「今からでは無理ですわー」と一言。あーやっぱりね。なら諦めてその後の列車を乗り継いで岩本寺最寄りの窪川に向かう事にする。

タクシーは田舎道を渋滞もなく走っていく。少し街っぽくなったなと思った所が伊野の街だった。するとタクシーのドライバーさんから「これ間に合うかも知れんよ」と驚きの一言が。しかしJRの線路に平行した道に入ると踏切が鳴り始めた。駄目でしたね。。と私。「あれは高知行きの踏切だ。窪川は間に合ったよ」と。あれよあれよとタクシーは伊野駅の構内に入りなんと発車三分前に着く事が出来たのである。支払いをしても余裕だ。ドライバーさんから「良いお遍路を」の声を背中に受けてホームに立つとピッタリ窪川行きがやって来たのであった。あの時のドライバーさんありがとうございました!

二両編成のディーゼルカーはこれまた冷凍庫かと言うぐらいに冷房が効いていた。まだびしょびしょの白衣を脱ぎ少しでも乾かしておく。一本前の列車に乗れてホッとしたら急に眠気が襲ってきた。窪川までは90分。うとうとしながら列車に揺られていた。。

令和元年7/14 四国遍路~青龍寺にて

次のお遍路まで一ヶ月を切ってしまった。急ぎ足で去年の夏遍路の備忘録を上げないと。。さて青龍寺です。連休中と言う事もあり決して広くはない境内は大混雑でした。今なら密と言われちゃうぐらいに。


一瞬の人の切れ間にパッと撮影。先ずは本堂にお参り。邪魔にならないように隅で般若心経を唱えます。


お次は大師堂。真横にあるので楽チン。人の切れ間を待っているとキリがないのでお遍路さんを入れた構図で一枚。大師堂でも隅で般若心経を唱えます。さてこの青龍寺では小学校4~5年生ぐらいでしょうか。お母さんと熱心に般若心経を唱えている女の子が印象に残りました。端から見て決して嫌々そうにお参りしているようには見えませんでした。一所懸命でした。今回、他の札所でも親子でお遍路をしている小さい子を見掛けましたがどんな気持ちでお遍路をしているのか一度聞いてみたいと思いました。次は岩本寺に向かいます。

次回のお遍路は7月に決定

まだまだコロナ禍の中、油断大敵ですがとりあえず次のお遍路は7月に決定しました。今回は四泊五日と過去最長になります。愛媛を終えていよいよ香川に入ります。ひとまず進めるだけ進んでおこうという算段です。まさか前回から一年も間が空くとは思ってもいませんでしたがどうしよもないですね。

去年7月の夏遍路はまだ梅雨が明けない中でしたが雨に降られたのは一時間だけという奇跡でしたが果たして今年はどうか。当然暑い中を歩いたりする訳ですが青い空 沸き立つ雲 蝉の声を聴きながらのお遍路は最高でした。もちろん熱中症対策は万全にしてです。出発は7月18日に羽田から松山まで夕方の便で飛びます。今回は松山に前泊してのパターンです。その前に前回の記録も終わらせないといけませんね。。

令和元年7/14 四国遍路~青龍寺

バス停から15分程で第36番札所 青龍寺に着いた。この青龍寺は大相撲の横綱、朝青龍の四股名の由来になった事でも有名だったりする。朝青龍が高校時代にこの青龍寺の石段を使いトレーニングしていた話はよく聞きました。個人的に朝青龍は好きだったので楽しみにしていたお寺でした。


連休中なので結構な人出です。人が居ない隙に撮影を。

山門をくぐり急な階段を上がって行きます。


雨は上がったものの木々の間から水滴が落ちてきます。階段は水に濡れてツルツル状態。手摺を掴まりながら一歩一歩上がります。前を歩くご婦人達はすいすい登っていきますが私はゆっくりゆっくり。


まだ上に着きません。ちょっと休憩。


息も絶え絶えに青龍寺に着きました。

令和元年7/14 四国遍路~青龍寺に向けて

去年の9月にストップしたままになっている令和元年 夏遍路の備忘録を写真中心にして再開いたします。せっかく写真を撮って来たのにこのままじゃあ勿体ない。一年近く前で記憶が若干怪しい部分もあるので写真を中心に組み立てます。。次の遍路を一応7月に予定しているのでそこまでには終わらせたい所。

前回は三十五番清瀧寺からどしゃ降りの中を歩き、青龍寺最寄りの龍まで行くバスを待っていました。時刻通りにやってきたとさでん交通のコミュニティバスに乗り込む。車内は冷凍庫かと言うぐらいに冷房が効いている。雨にしたたかに濡れた身には辛かった。このバスに一時間も乗って行く。寒さで震えるお遍路には気にも止めずバスは淡々と走っていく。もう寒さで限界って所でようやく青龍寺近くのバス停に着いたのであった。

バス停から青龍寺までは一キロ程だったか。青龍寺は右の看板を右に曲がれば一本道なので迷いようがない。連休中という事もあり寺側から車が何台も出てくる。どうやら参詣客は多い様だ。雨は上がり晴れ間も見えてきた。