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1995年(平成7年)1月17日(火)の事は30年経った今でも忘れられません
当時の自分は、大阪の実家を離れ大分にある日本文理大学の4年生でして
本当1月9日(月)に卒論を提出しないといけなかったのですが
(卒論提出していたら大阪で地震を経験していました)、
どうしても結論部分が上手にまとめられず(仕上げていなかったと思います…)、
1月31日(火)迄に提出する事を条件に卒論仕上げの為下宿先にいました。
親も知らない事を告白しますが、当時お付き合いしていた方が
大阪で医療系のお仕事をされていて僕の旅費や宿泊費も出すからと、
彼女が大分に遊びに来てそのまま大阪に行きました(1月15日~1月16日)
震災が起こる前日に関西にいたのです…
17日はお仕事が夜勤だから17日に大分に戻ればって言われたのだけど、
卒論の事があったので、16日夕方の飛行機で大分に戻りました…
震災が起こった日は5時50分頃に揺れを感じました…が、
大分にいる4年間で地震慣れしていたのと下宿先の横の道は大型ダンプカーが
行き来する道だったのでよく揺れていてそれもあり地震かダンプ通ったのか位の
気持ちでまた眠ってしまいました
次に目が覚めたのは9時前だったと思いますが、テレビをつけると倒壊した
阪神高速道路の神戸線のあの光景でした
だけど寝ぼけた自分は「ゴジラの撮影、めっちゃリアルやなぁ」って…
でもそれが現実と知った時に家族は大丈夫かと…
当時は携帯電話やスマートフォンなんて普及していない時代で
下宿先前にある公衆電話で電話をしようと外に出たところで下宿先の大家さんに
会い、「関西大変なことになっちょるけん、ウチ電話つこていいけん実家に電話
せんと」言っていただき、実家に電話しました…
「おかけなった電話は現在お繋ぎできません」とアナウンス…
大家さんに繋がらない旨伝えると「とりあえず大阪に帰らんと」との事で、
大分空港のANA事務所に電話すると飛行機は飛んでいるが大阪国際空港は
連絡とれず全便欠航ですが、関西国際空港は全便飛んでますとの事だったので
「じゃあ、一番早く大阪に帰れる飛行機予約したいです」と伝えたところ、
「空港から先のアクセスが全て止まっていていつ動くか分かりません」との
回答で「それじゃ意味ないやん…」となり大分に止まる事になりました。
その後、もう一度実家に連絡するとなんとか電話が繋がり家族の無事を確認し
帰省の旨伝えるも邪魔になるから大分に止まれと言われそれに従いました
その後、先輩(ちょっと遊んでいて自分の後に卒業することになりました)の
下宿先に出向き、先に卒業された兵庫に住む先輩に連絡とる事になりました。
その先輩は武庫川に住んでいて午前から電話するも全く繋がりませんでした
下宿先の先輩とずっとテレビを観ていたのですが、「ご飯食べた?」と
聞かれたので、朝からずっと連絡とったり情報収集していたので、
「食べてないです」と話したところ、食べに行くかとなり先輩が運転する車で
大分駅前まで出かけ(下宿先から約30分)、ステーキ専門店でステーキランチを
食べたの記憶しています
その後、なぜかパチンコ屋さんに行ってパチンコする事になったのですが、
下宿先に戻ろうとなり戻ってからずっとテレビに釘付けでした
下宿先に戻ってから兵庫の先輩に連絡していたのですが繋がらず、
19時頃にやっと連絡がとれましたが、その先輩は地震で倒れてきたタンスに
挟まれしばらく気を失いしばらくして意識を取り戻したそうです…
先輩曰くなんとか向け出さないとと格闘してやっと出ることできたのとの事で、
状況がどうなっているか分からないとの事だったので、阪神高速道路の倒壊や
阪神・阪急・JRの各線が脱線や駅舎の倒壊で運行されていない事、
各地で火災が発生してる事を伝えました。
先輩も外を見て「夜やのにめっちゃ明るいわ」と話されるので
「火災ですので避難してください」と伝えるも何も食べてないしと…
ただ、家周辺とてもガス臭がすると話されるので「すぐ避難して」と
お伝えしたあたりで電話が切れてしまいました
(おそらく強制的に遮断されたのだと思います)
先輩の安否確認がとれたので先輩の下宿先近くにある中華料理店に出向き
夕食を食べた後、自分の下宿先までおくってもらいました。
で、大阪に住む彼女は夜勤と聞いていたので17日は連絡する事なく
モヤモヤしたまま夜を過ごしました。
18日(水)お昼12時頃に公衆電話より電話をかけて彼女の無事も確認できました
でもその中でびっくりしたのが、めっちゃ揺れたけどそのまま眠れたとの事で…
大分のテレビは新しくできたOAB朝日放送含め民放が3局しかなく
しかも途中でCMが入るし、東京からの中継で大阪や兵庫が映る感じだったので
NHKにするもNHKも東京からの放送で中継で大阪や兵庫を映すといった感じ
だったのでなんか意味ないと感じました
しかも17日の夜からは通常の放送(ドラマやバラエティ)していました
実家に帰ってから関西はCM無しでずっと震災情報やっていたと聞いて
温度差感じました…
卒論はその後1月20日(金)に提出しました
その際に、担当教官も心配して下さっていたので家族の無事を伝えました
2月1日(水)に大阪に帰省する事になったのですが、飛行機からみた
兵庫の光景も今でも忘れられません…
自分が座った側が淡路島を真下にみる席だったので、震源近くの北淡町の山肌が
崩れていて無残な光景と着陸前で飛行機外の映像をモニタで映していたのですが、
神戸周辺が何もない様に見えたのはとても胸が痛くなり涙出ました
大阪で就職が決まっていたので家族総出が引越の荷物を引取に大分に
向かうのですが神戸六甲の港が壊滅状態でダイヤモンドフェリーが使えず
大阪南港からの特別便で西大分港へ向かうのですが、
船内から見る大阪は明かりがあり綺麗な夜景でしたが、兵庫が見えてくると
突然目の前が真っ暗で…あの明かりがない光景も忘れられません…
書きたい事ずらずらと書いちゃいましたがどうしても書き留めたくて
書きました