ずっと観たかった映画。
忘れないうちに、自分なりの感想を残しておこう。
これ、観た人によっていろんな感じ方になるのがすごいなあと思う。




☆頭大仏
3回登場する。この頭大仏がすごく印象的。
オープニングでは、ユェンユェン独りで訪れているシーンとなっている。
2回目は、富哉と一緒に訪れる。
これは、夢の中。
「見えないけれど、ある」
富哉が言った言葉が後々も私の心に残った。
私には、過去の二人の思い出や深い愛情、堕胎によってなくなった命、本当は妊娠に気付いていたのではないかという義母への罪悪感、出産よりも夢を選んで突き進んできたユェンユェンの思い、別れてからもずっと酒造りに力を注ぎ完成させた富哉の酒「心」への想い、その富哉の動画を見てはあふれる複雑な想いなど、目に見えないが確かにあったいろんなものが湧き出るような場所に思えた。
そして、何よりも、20年前に嘘をつき堕ろしてしまった子どもの魂があるならと、願望や想像をふくらませてしまったのではないだろうか。前半で倒れてしまうシーンがあるが、ユェンユェンは、かなり心を病んでいたのでは。デザイナーとしては成功したが、実母の死と友人の出産から、自分の過去にとらわれた思いがさらに湧き出て苦しんでいたのかもしれない。
3回目は、富哉が走らせていたトラックを停めてはたと見つめるのが、あの頭大仏。富哉の魂が、見えないはずのユェンユェンの心の叫びに気づいて助けに行ったのではないか。
あの頭大仏は、参拝したり罪をあがなったりする意味もあるかもしれないが、「見えないことによって想像力をかき立てる」というものの象徴のように描かれている気がした。

☆恵子について
生まれてくることのなかった目に見えない存在。
「捨て子のようなもので、目に見えないところで大きくなっている」という会話があったが、いつの間にか心の中で恵子が存在していたのだろう。
だから、恵子が出てくる場面は夢か想像、そして、恵子に関わる言葉や場所も存在しない。つまり、恵子の話をする富哉や義母も夢か想像というふうに私は感じた。
もしあの時産んでいたら、もし子どもを連れて独りで育てていたら、もしあの家に残して帰国していたら…。いろんな「もしも」の想像が、恵子の存在を生み出したのかもしれない。または、死んだ実母の魂が恵子の魂に会い、ユェンユェンに会わせてくれたのかもしれない。
でも、楽しく過ごす場面ばかりではなく、恵子はたびたび冷たい言葉や鋭い視線も浴びせてくる。きっと、自分自身がずっと背負い続けてきた罪悪感と後悔と、仕方がなかったという自己弁護との葛藤から、あのような辛い場面もあったのではという気がする。

☆再会について
ユェンユェンは、北海道には独りで行ったのではないか。産んでいたら成人式を迎えるはずだった娘を想像し、実際に増毛を訪れたのだと思う。
ただし、富哉にも義母にも会ってはいない。それは、心の中でのこと。
入水自殺をしたいほど心の中でもがき苦しんでいたが、富哉や恵子の魂に救われた。
ただ、映画でも描かれていたように富哉は酒造りに没頭するだけでなくもっと自分にできることがあったと感じながらずっとユェンユェンだけを想い、「心」の酒を造ったのだろうし、義母も自分のせいで辛い思いをさせたことが心にずっとあるのだろうと思う。それは、ユェンユェンが勝手に抱いた願望から見た夢ではなく、実母が天国から富哉や義母を見つめて会わせてくれた夢なのではないかという気がする。

☆電車について
中絶の衝撃場面に向かう描写が強烈。夢を選択する決断をした20年前の自分が、20年後の富哉、義母、恵子、現在の自分に見つめられながら車内を歩いていく。実母の死後に届いたメールから始まった旅。辛い過去や自分の心と向き合い、ついに告白と懺悔の想いを放出したように感じた。この時の音楽や映像から感じたショックがあまりにも強烈だった。この後急に場面が変わり、富哉に謝罪するユェンユェン、聞かされた富哉が激怒する場面になる。これも、心の中でのことだと感じた。

☆ラストシーンについて
富哉との会話で、「唯一の願いは、忘れ去られないこと」と言ったユェンユェン。きっと、これからも、自分が愛した富哉と、二人が結ばれてできた命である恵子のことは、ずっとずっと気にかけ忘れることのない大切な存在であり続ける。「逢いたいけれど逢えない、でも忘れ去ることはない」そんな想いで、電車の中から恵子を見つめ、名前を呼んだ。いつもユェンユェンの背中に向かって「どこへ行くの?」と問い、鶴になって追いかけたがった恵子が、ユェンユェンの想いを知り、鶴になって天国に翔び立つ。見つめるユェンユェンの、いろんな苦しい想いも背負いつつ、これから生きていこうという決意が感じられた表情が印象的だった。