脳と意識を探求するオカン・ネドじゅんさん主催の
三脳バランス研究所の瞑想室長、まっすーさんこと枡田智さんの書籍が出版されましたので、さっそく拝読しました
(わたしは現在、三脳研の研究員であります。)
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まっすーさんの、森についてのお話を初めて読んだ時、
自分が小学生の頃を思い出しました。
当時(当時も、と言うべきか)、学校初日から辛かったわたしは、
(えっ、こんなのをこれから6年以上も毎日通うの…?と絶望していました 笑)
なんとか回復方法を見つけたくて休み時間にうろうろ彷徨い、
辿り着いたのが学校の裏庭でした。
裏庭には梅の木やらが何本も植わっていて、丸太のベンチが置いてあり、
地面にはふさふさの草が生えていました。
そして何故かそこは人気が無かったので、大抵は一人で静かに過ごせました。
そこで丸太に座って靴下を脱ぎ、足でふわふわの草の感触を味わいます。
そうすると足が楽しいし、地面からの元気をよりたくさん受け取れる感じがしたのです。
木たちからは特有の雰囲気があって、それを感じるのがとても好きでした。
頭の上に木の枝葉があると、ぎゅっと固まったような頭の感触がほどけて、それを吸い取ってくれるような感じがしました。
今から思うと、意識を木に合わせるような感じで居ました。
そんなふうに、裏庭でほぁーーーーっと過ごすのが、わたしの小学校での回復方法でした。
(雨の日や、毛虫の時期はこの回復方法が使えないので辛かったですねえ。)
それが、まっすーさんの書いている森での瞑想と似ているなあと思ったのです。
小学生のわたし、瞑想してたんか…?笑
また、感覚の感じ方についても書籍に書かれているのですが、
それを読んだ時、「あ、わたし作品を鑑賞する時にこれをやっている。」と思いました。
美術館等で、絵やら作品を鑑賞する時、わたしはいつも自分の身体を感じていたのです。
無意識にそうしていたので、今よりずっと薄い感じ方でしたが…。
わたし、こんなことをしていたんだ…と思いました。
普段から、公園など木の多いところでさんぽしたり、
ぼーっとすることが好きだったのですが、
それが何故なのかが言語化されていて、なるほど…!となりました。
あと、自分の部屋に植物が無いと死にたい気持ちになったり(比喩です)、
オフィス空間に居ると、これまた死にたい気持ちになるのは、わたしだけじゃないんだなあとも思いました。
感覚として、そりゃそうだ、な反応だったんだ。
わたしがおかしいわけじゃなかったんだ、と。
そういった、なんとも説明しがたい「感覚」にまつわる方法を、
まっすーさんは超!わかりやすく言葉にしてくださるのです。
(ありがてえ…!)
とにかく、すごーくわかりやすい…!
そして文章が静かで確かなので、
読んでいて、まるで森に居るかのような気持ちになります。
まっすーさんは元々バリバリの理系だったそうなのですが、
なんというか…「翻訳」してくれているような感じがするのですよね。
感覚を、言葉に細かく翻訳しているような感じ。
だからきっと、頭脳派・理論派のひとも「なるほど!」となるし、
感覚派のひとにも合わせて翻訳して書いてくださるのでこっちも「なるほど!」となる。
わたしは、パート3の「右脳モードを日常に活かす方法」のところが特に好きです