ありのままの私で愛される
そんな時代になったって言われるけど
正直、
人間ってそんなシンプルじゃないよね。
私たち人間という生き物には
いつだってなんかしらの役割が
ついてまわる。
役職とか
肩書きとか
家族の中での立ち位置とか
(むしろそれが欲しい時もあるくらい)
かく言う私も
ママとしての私
(一言で表したけどこの中に
無限にやることある気がするよね)
学校や子ども会地域での役割
仕事での役割
気づいたら
いくつもの仮面や鎧を
当たり前みたいに
身につけていた
私たち母という生き物は
同時にいくつもの役割を持つから
いろんな自分を
無意識に使い分けるようになるのも
ある意味、
自然な防衛反応だったのかもしれない。
仮面や鎧をつけていると
やっぱり、しんどい。
家に帰ると
どっと疲れが押し寄せてきて
体が重くて動かない。
体は動かないのに
頭の中だけは元気(?)で、
情けない
そのくらいやらなきゃ
私しかいない
もっと強くならなきゃ
ちゃんと
やらなきゃ
って
ずっと責める声が鳴り止まなかった
そんな私の状態で
子どもたちが安心できるわけないんだよね
体調を崩して
いろんな予定が
一度リセットされた時
私はちょっと
ホッとしてる自分に気づいた。
休んでいい理由があることで
ようやく力が抜けてた。
その時、思った。
あぁ、私
また自分の声を無視してた
無理してたんだなぁって
ここで一つ
腑に落ちたことがある。
あの時の私は
別に間違ってた訳じゃなかった
役割を持つことも
ちゃんとやることも
そういった
生産性のある私でいることも、
その時の私にとっては
そのフェーズにいた時の私には
いちばん心が
ラクになる選択だったんだよね。
役割のある私が
あの時の私を
ちゃんと支えてくれてた。
ただ、
ずっと同じ形で
生き続けられる訳じゃなかっただけ
少しずつ
自分のことを
認められるようになってきたら
必要な安心の形が
変わってきただけだった!
そして
生産性をおろした私の方が
子どもたちは
よりよく話してくれるようになった。
長女は
今まで話なしたがらなかったことを
たくさん話してくれるようになったし
反抗期の息子と
束の間のカフェ時間を二人で愉しんだり
末っ子は
ちょっと心と体のバランスを
崩していたけれど
それもきっと
安心できる場所で
やっと出せたもの
なんだと思ってる。
生産性のない私がいいって
話じゃない。
生産性のある私も
生産性を降ろした私も
どっちも
その時その時の私にとって
必要だった姿。
私は
いつか見ないふりしようと
抑え込んだ感情を
迎えに行った。
自分の中に迎え入れた。
そしたら
安心感になって
いろんな自分を
少しずつ許せるようになった。
正しさより
理想より
今の私に合う
【ラク】さを選ぶ。
それが
私の自己回帰。
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