久しぶりに書きます。



今、女子大生にセクハラをしたとの疑惑で柔道のオリンピック金メダリストが訴えられている。



私からしてみれば、訴えられた通りであれ、合意の上であれ、(火のないところでも)煙りがたった時点でアウトである。



私を含め世間一般の人たちは、ある分野で頂点を極めた人には、人格者としても一流であることを求めている。



試合に強いだけ、歌が上手いだけ、頭が良いだけ、美しいだけ、演技が上手いだけ、では本当の一流とは言えない。



ただそれだけの彼らを、周りの取り巻きが、マスコミが、「超一流」、「××様」などとチヤホヤ持ち上げるから、本人も勘違いする。



かつて、美空ひばりさんは、晩年の1988年の真夏に広島でコンサートを開いている。



このコンサートに向け、ある日のリハーサルの時、現場の空調が故障したか何かのため、暑くてどうしようもない中、ひばりさんが一言、



原爆にあわれた方々は、もっとひどい熱さで苦しんだのよね。


というようなことを、おっしゃり、リハーサルを続けたと聞いている。



それ以後、一緒にいたスタッフ、楽団、関係者の誰一人として、暑いことに不満を口にすることはなかったと。



晩年の病をおしての一言である。



彼女が、女王と言われる意味がここにある。




昨日は、敬愛して止まない、ジョン・レノンの命日だった。


当時、亡くなられた翌日か、あるいはその週末に、



あるFM放送で追悼番組があり、その最後に流れたのが、今日のブログのタイトルの、


オノ・ヨーコの
「今宵、彼に安らぎを」
である。



基本的に、彼女は歌が上手い方ではない。



が、この歌に限っていえば、それが良い効果を生んで、名曲といってもよい仕上がりになっている。



上手くないからこそ、かえって、彼に対する愛情、尊敬の念が、直接、私の胸に切なく伝わってくる。



高校生の当時、涙を流しながら、この曲を聴き、彼の死を悼んだものである。



命日になると、今でも、まず自宅に帰って流す曲は、この曲。




前回その4では、考えられる親子の対応を検討してみた。



これで検討終了。結論が出てスッキリ!!
良かった。良かった。



、とはいかない。



親子をバカ扱いし、無責任な提案をしていった通行人たちへの「けり」がついていない。



「通り過ぎていった人たちは、言わばその他大勢。そのような彼らに、どうやって注意やクレームが出来るのか?」



普通に考えれば無理。



彼らを、イチイチ呼び止めて、注意・非難するなんて不可能だ。



ちょっと待てよ。



だから、イソップは、この話を物語にして、世に広めたのではないか。



つまり、この物語の登場人物の親子や通行人は、我々読者のことを言っているのでは。



我々は、時に、ロバの親子のような立場に置かれることもあれば、通行人の立場にいることもある。



この物語の焦点は、ややもすると、何も考えない親子だけに当てられがちだけれど、



自分の、何気ない無責任な発言が、他人を傷つけ、他人の運命を左右することもある。



イソップは、通行人を通して、そのことも伝えたかった気がする。



以上、ロバと親子シリーズは、今回で終了。



長い間、ご静読?ありがとうございました。