おはようございます。

 

最近は朝5時前に起きることを実践してきて続いている今日この頃。

ちょっと早めに起きて何をしているか。

 

自分のための時間にしています。

 

読書

考え事

 

勉強

歌を歌う

絵を描く

 

仕事

日程の確認などなど

 

そして今回トピックにもしているリンパトレナージュと言って

自分のむくんだ脚のケアをしています。

 

朝なのにむくむ?

と感じたかたも多いのではないのでしょうか。

 

むくんでいます。

 

脚は寝ている間ずっと横になっていたのですから

同じ姿勢はむくむ原因の一つです。

 

正直、朝、脚がボケーっとしている感覚もありますよね。

 

これがむくんでいる、ということです。

 

 

そのため朝のゆっくりできる時間を使って

心身落ち着きながらセルフケアをするようにしました。

 

(私の夜は疲れきっているから、全然落ち着いて時間を過ごせないという理由もあります。)

 

 

これを始めて何が起きたか。。。

 

自分のことがもっと好きになりました!

どんだけ自分のこと好きなのだろうか。

 

顔だけでなく全身がシャキっと、スラッと、スーーーってなるんです。

朝のリンパトレナージュをしてから街を歩くと。

いや、最初こそは気持ちだけの問題でした。

自己満足です。

でも本当に脚は細くまっすぐになってきて

外に溢れる全身鏡。。。

 

最近のお手洗いは全身鏡はありますし、

建物のエントランスも全面ガラス張りですし、

電車の先頭で待っていると着いた電車にも全身が映るし。

 

 

と、自分の全身を見る機会が多くて

スマートになった自分をその度に見ることができる。

(最初は恥ずかしくて見れなかったのですが。)

 

社会の中で不自然にならないように、前を向いている時に

さりげなくチェックするわけです。

 

そうして朝のリンパトレナージュも習慣化することができました。

 

 

 

 

 

 

 

実は感じていませんか?



オリンピックってどういうもの?


今も昔も一緒かな。


2020年に東京オリンピックにおいては盛り上げなきゃ、盛り上がらなきゃ


っていう正直な印象。



とは言っても、開発は進んで街は色めき、建物もキラキラしている。

外国の人たちも多くみえてきた。


活性化はしている。

確かに。


だけども、ふと、思う違和感があって、


『乗り遅れないようにしなくちゃ』っていう不安感。


以前よりも選手に対して純粋な興味がなくなっているし、今回は誰が出るんだろ?誰があがってくるんだろ??というワクワクかん。


経済に経営戦略の方ありきでやられてしまいそう。
我が子が小学生になって最近思う。

皆が勉強出来るということに。
そこそこ出来ている。算数、国語は私が子供の時に感じていた出来る子と出来ない子の格差も少なくて、ある程度皆が学校のお勉強を出来ている。

親の教育意識が変わったのだろうか。
チャレンジや、公文、家庭の中で独自に、小学校の早い段階で塾など。

子供は勝手に育つもんだ、なんて感覚でいたから危なかった。そんな中で我が子が育てば『自分は出来なくて当たり前』ということに慣れてしまう。

出来なくても良いから、子供にはいつか、やっぱりある程度の標準レベルは必要なんだな、とか、これなら好きだし、詳しい!知ってる!!とか、今でも私は子供に望む。

子供自身でいつか気づいてほしい。今のままだと敷かれたものを歩んでいけばなんとかなる。

なんとかなるだけである。

勉強が出来ると、本当に学びたいものを見つけたときに受け皿が多いのも事実である。

それも勿論、大事なことである。

夏の暑さを抜いたとしても最近、外で子供を見ることが少なくなったと思うのは、日中は働いているせいなのか、少子化のせいなのか、そういうものなのか。

体をどう使えば虫をとるために木登りできる?
気を力強く蹴って、虫を落とせる??

転んだ時に、ちゃんと手が先に出る?
転んで骨折??

現在の遊具は優しいね。
いつ子供たちは何が危ない、どの程度だと危ないとか学ぶの?親たちは教えているのかな。小さなケガはして帰ってくる?アザばっかりじゃないかな、血のにじむ痛さは知っているのかな?

安全は必要なことではあるけれど、危険を知らないで、安全の中で育っている日本の子供たちは、はたしてその環境で育っていって大人になっちゃって平気かな。今の日本レベルの安全は世界レベルになっているのかな。安全を安全って思えるのかな?危険っていう感覚はどうやって学ぶの?

背後から人が追いかけてくる違和感。殺気。

このマシーン、ちょっといつもと違う、音も気のせいか違うなどの違和感、危険な感じ。

災害に巻き込まれたとき、どこなら安全そうであり、どこが危険スポットになるか。

この雲の感じ、湿気、まだ雨が降らないな、そろそろ降りそうなどの空気を読む力。

自然や環境を見て判断することになる。


いつもの外にある普段の自然にどれだけふれ合えているなかな。蝶々や虫をみていて儚いなぁ・・・なんて感動すること、心がドキドキすることってあるのかな。

勉強は出来ることに越したことはないけれど、これから人工知能が補ってくれるものでもあるんだよね。人工知能にそもそも負けているよね。それならその人工知能が日常にある世界や環境で、私は人が人としてっていうのが大切だって、やっぱり思うんだよね。

『自然を読む』というか人間の野生としての感覚。温かさ。なんで人間の皮膚はその柔らかさがあるの?かたかったらどうなっていた?柔らかすぎてすぐやぶけちゃうようなものだったらどうか?

人間の皮膚は進化の中で、とっても合理的な柔らかさがあると思う。手当てっていう言葉があるように、人の手で痛かった部分へあてることで、痛さが和らぐことだってある。熱をだしている額に冷たい手が当たるとなんともいえない安心感さえ生まれる。

人間として、自