沢山記事が出てて全部かどうか分からないけど、インタビューのまとめ



ジェジュンがデビュー20周年を迎え、東方神起、そしてJYJとして活動した当時を振り返った。ソウル麻浦(マポ)区に位置するiNKODEの社屋では25日、デビュー20周年を迎えたジェジュンのインタビューが行われた。

彼は本日(26日)、各種音楽配信サイトを通じて4thフルアルバム「FLOWER GARDEN」をリリースする。韓国でフルアルバムをリリースするのは、2022年9月に発売された「BORN GENE」以降約2年ぶりだ。

「FLOWER GARDEN」には全14曲を収録。ジェジュンはデビュー史上最多の収録曲数となったこのアルバムで、20周年を熱く盛り上げる。ほとんどの楽曲の作詞を自ら手がけ、一層豊かになった音楽カラーをファンに届ける予定だ。

今回のアルバムについてジェジュンは、「20周年記念アルバムだなんて、まだ信じられません。若い頃から漠然と20年後の自分の姿を想像してはいましたが、今の自分のような姿は考えられませんでした。(デビュー当時と)大きな変化なく20周年アルバムをリリースすることができて、ただただこの現実に感謝します」と語った。

過去に描いた20年後の自分については、「大人の最高峰になっていると思っていました」と語る。彼は「結婚もして家族もできているのではないかと思っていましたが、まだ遠い未来のようです」と笑顔を見せた。


タイトル曲「Glorious Day」については「ファンは僕を愛してくれていて、僕もまたファンに愛を届けています。僕たちが一緒に過ごす日々こそが栄光の時間だ、というメッセージを込めました」と説明したジェジュン。作詞家として、ファンに対する真心を込めたという。

楽曲については、「聴いた瞬間にぴったりハマるような感じがありました。20周年ということもあって、ファンに伝えたいメッセージを込められる曲だと思ったんです」と感想を伝えた。

ジェジュンはさらに、これまで過ごした20年を振り返りながら「以前から、誰かに『20年の中で全盛期はいつだった?』『栄光の日々はいつだった?』と問われるたびにグループ活動をしていた時、と堂々と答えています」と一言。「あの日々は、僕の暗黒期や最も疲弊していた時期でもありましたが、確実に栄光と言えます」と付け加え、深い思い入れを表した。

「Glorious Day」のミュージックビデオは、一凛の花に始まり、一面の花畑、空に浮かぶ巨大な花など、多彩に描かれた花が目を引く。彼はこれについて「僕自身が持つファンのイメージを込めました。一凛であっても大輪であっても、ファンの方々、観客の1人ひとりが僕にとってとても大切な存在です」と前置きし、「いろんなファンの方と出会って同じ時間を共にしたからこそ、栄光の日々は1人では実現できないのだ、と気づけたんです。歌詞と雄大なメロディーが本当によく調和した、タイトル曲に相応しいトラックになったと思います」と満足げな様子を見せた。

2004年にSMエンターテインメントからデビューし、東方神起のメンバーとして活躍したジェジュン。「Hug」「The Way U Are」「Rising Sun」「“O”-正・反・合」「呪文 -MIROTIC-」といったヒット曲は第2世代韓流ブームを代表するほどの熱い旋風を巻き起こし、現在も多くのファンに愛されている。

2009年には、所属事務所との対立も世間を驚かせた。同じく東方神起のメンバーであったジュンス、ユチョンと共にSMエンターテインメントを相手に専属契約効力停止仮処分申請を提起し、法的紛争に発展した。その後仮処分申請が受理され、3人は2010年にJYJを結成。C-JeSエンターテインメントから再デビューした。

2012年11月には、双方の合意が成立。裁判所は当時、13年の契約期間が長期の従属型専属契約にあたると判断し、すべての関連訴訟を取り下げると共に「相互の活動に干渉しない」という内容の合意書を締結したと明らかにした。これにより韓国で問題視されていた不公正な契約関係を見直すきっかけとなり、以降公正取引委員会が契約関係を是正する目的の標準専属契約書を設けることとなった。


グループの音楽活動はもちろん、ドラマの主題歌や役者活動など、メンバーそれぞれの活躍も目立ったJYJ。日本でも東京ドームで開催された単独公演が全席完売となるなど、まさに第2の全盛期を迎えたといっても過言ではなかった。しかし、2019年にユチョンの薬物使用に関するニュースが世間を騒がせた。

その後も地道なソロ活動を続けたジェジュンは昨年、芸能事務所iNKODEを設立して新たなターニングポイントを迎えた。

取材陣から20年間で最も危機を感じた瞬間を問われた彼は、「みなさんは、いつだったと思いますか?」と一言。「危機は本当に多かった……多すぎました。考えただけでも冷汗が出そうです」と打ち明けた。

さらに、「誰がミスをしようと、そのミスが危機にならないのであればいいんです。だけど、ほとんどが(そのミスによって)結果的に危機を迎えることになるのが現状です」と前置きし、「ミスと危機をどのように耐えて乗り越えるか。これがカギだと思うんです。先ほどいつだったかとおっしゃられましたが、言うなれば僕は常に危機です。完璧な安全地帯で活動していると思ったことはありません」と慎重な姿勢も見せた。

現在の状況については「自立して動ける現状がとてもありがたいんです」とし、こう語っている。

「もちろん当時は所属事務所(SMエンターテインメント)と(東方神起の)メンバーがいるという点が長所でしたが、初期の5人体制でなくなってからかなりの時間が経っていますし……次の活動(JYJ)も事実上ソロ活動に依存していた部分があったので、完璧な安全地帯ではありませんでした。自分自身の地位をかためなければいけないという不安がありました。周りの人や環境に依存して、何かに頼りながら生きてきたんだと、自分が弱い人間なのだと思わされました。だから今の状況はとてもありがたいんです」


そんなジェジュンが20年の活動の中で“レジェンド”だと感じる時期は、デビュー当時だという。

彼は、「『Hug』の爆発的な人気は、間違いなくレジェンド級の成果でした。実は、東方神起がデビューする前にSMエンターテインメントが構造の調整を行ったんです」と告白。「練習生の半分が強制的にクビになって、残ったメンバーたちは全員デビューしました。SUPER JUNIOR、少女時代、東方神起。(『Hug』は)ひとつの会社を生かすことができるほどの成果を記録したレジェンド級のアルバムでした」とし、「日本市場を開拓するために長いあいだ日本で活動しましたが、韓国に戻ってきてからリリースした『呪文-MIROTIC』もすごい成果でした」と語った。

さらに、ジェジュンの口からは東方神起のメンバーに対する愛情も語られた。

「メンバーたちの近況を目にすると、本当に元気に暮らしていることがとても嬉しいです。1人(ユチョン)はそうではないけど……」と切り出した彼は、「チャンミンは過程を築いて、ほかのメンバーも自分の幸せを掴んでいて、自分の価値をちゃんと作っているのだと思います。とても元気に暮らしているようで、『僕も見習って一生懸命努力して生きなければ』と思わされます」と明らかにした。

パク・ユチョンについては、こう語っている。

「僕もどれほどたくさんのため息をついたのかわかりません。しかし、ユチョンの立場からすれば、逆に一生懸命生きなきゃとも思います。どんな人間でも我が子は可愛いというように、僕にとっては今でも大切な人です。(事件以降)これといって連絡を取ることはありません。今はどこで何をしているのかもわからない状況です」

高校時代からの縁だと言うジュンスとは、現在も当時と変わらぬ交流が続いている。最近はジュンスがジェジュンによるウェブバラエティ「ジェジュンの友達」に出演し、2人の軽快なトークが多くのファンを楽しませた。

同番組では、ジュンスがジェジュンに対して「ジェジュンは僕に唯一残った自負心。兄さんに恥ずかしくない弟でありたい」と語る姿も。視聴者の印象に強く残ったであろうこの一言には、ジェジュンも考えさせられたようだ。


「自負心……僕も同じ気持ちです」と切り出したジェジュンは、「(ジュンスという存在が)僕にとって唯一自慢できることというか……お互いをとても大きな存在だと感じています。(初期メンバーの中では)ある意味ジュンスと僕だけが個人事務所を設立しています。細かい目的は違えど、夢を実現するために会社を設立して努力する、という状況を褒めてあげたいです。お互いに」と明らかにした。

さらに、ジュンスとの関係については「お互いに和解が必要な関係性ですらない、という部分でとても居心地がいいです」と語り、「家族同士でも喧嘩することはありますが、仲直りという段階にもならない距離感が僕は大好きです。近いけれど、一定の距離がある。歌も上手だから心配しなくていい。うまくやっていることは十分に知っていますしね」と愛情を示した。

ジュンスは2021年にPALMTREE ISLANDを設立している。これに対してジェジュンは「経営者の立場で会えば、ため息が出る場面がたくさんあります(笑)。僕の会社はIP制作もやっているけれど、ジュンスはそうでないので……ある程度は仕方ないと思っています」と打ち明けた。


彼はさらに、「ジュンスの会社はコンテンツビジネスを目指すこともできそうだな、と思います。一方で、僕の会社はIPのスタートがそもそもの始まりになります。話をする過程で何かを一緒にやってみよう! となった時にジュンスは企画から入ります」と明らかに。「売り上げを考えずにギャラを考えるのがジュンス、売り上げを頭に入れて立ち回りを考えるのが僕、というふうに少しスタンスが異なります」と説明した。

実際に、3月には韓国で「ジェジュンとジュンスが20周年を記念して合同コンサートを行う」と報じられ、注目を集めた。

これに対してジェジュンは「会場を借りたことで記事が出たみたいですが、だからと言って無条件に公演をやりますよ、というわけではありません。やるにしろやらないにしろ、会場はかなり前におさえておかなければならないので……」と強調した。

さらに、「ジュンスと何かをするにしても、今から準備をするとなればアルバムを出すとかは難しいと思います。やるとしたら公演なので、それはやってみる価値があると思っています。構成についてはたくさん話をしていますし、会議もたくさんしています」と明らかにした。

7月20日と21日には、単独コンサート「FLOWER GARDEN in SEOUL」の開催も予定しているジェジュン。ソウルを皮切りにアジアツアーをスタートさせ、韓国にとどまらないファンと共にデビュー20周年を盛り上げる予定だ。彼は「観客と一緒に歌える時間を増やす予定です。おそらく公演時間が長くなると思います」と話して期待を高めた。


彼は、準備していたニューアルバムをやむを得ず廃棄することになった事情も明かした。アルバムの作業過程についてジェジュンは「今回は作曲した曲がないので、作詞にたくさん参加しました。視覚的に楽しく、耳も心も楽しくさせることができるアルバムを作らなければならないと思ったんです」と話した。

続いて「僕が歌詞を書き、メッセージを込めたということをファンの皆さんも知っているので、歌詞を見ながら聴いてくれると思うのですが、歌詞カードにミスがあったんです。しかも僕が書いた歌詞でした」と明かした。

歌詞の誤字をステッカーで隠すという方法もあったが、苦心の末に、アルバムの廃棄を決めた。彼は「“本当に最高のアルバムを作ろう”と皆が同じ気持ちで作ってきたアルバムだったのですが、昨日(24日)歌詞カードにミスを発見しました。昨日会議をして、8万枚を破棄しました」と率直に告白した。

続いて「深刻なミスではなく、そのままでいってもいいと思うかもしれませんが、最近のアルバムは聞こうと思って買うよりは、ちょっと商業的ではありますが、アーティストに会うためのチケットとしての意味に近いと思います。そのような大切なアルバムなので、ミスを許したくありませんでした。そのため破棄することに決めました。費用はかなりかかりましたが、仕方ないと思っています。アルバムをもう一度制作し、初動物量には支障がないと思います」とつけ加えた。

アルバムの最初のトラック「201208」(CD Only)は、オフラインアルバムを通じてのみ聴ける曲だ。ジェジュンは「H.O.T.先輩の3rdアルバムのテープをよく聴いていた記憶があります。歌ではなくボイスメッセージだったのですが、当時はとても破格的な試みでした」と明かした。

続いて「僕が20周年を記念してその当時を思い返してみると、今回素敵に仕上がった13トラックに、僕を一度着せてみて、入れてみるのはどうかと思ったんです。2012年8月、僕のコンピューターの中にあった、作業してあったトラックでした。実際に家に行って布団の中でレコーディングしたものです。布団ががさっとする音も入っているので、おそらくファンの皆さんも気に入ってくださると思います」と明かした。


ジェジュンは20年にわたって活動を続けられた原動力について「当然ファンのみなさんです」と語る。

彼は「ファンの存在には本当に感謝していますし、僕は70歳まで活動するつもりです。正確には71歳まで。69歳くらいになったら、本格的に準備をしなければなりません」と一言。なぜ70歳ではなく71歳を目標に設定したのかという質問には、「70歳まで活動して、ちょうど70歳になって終わりと考えると悲しくなります。この時代ですから、70歳になっても肉体的な年齢は70歳までいかない気がします。 体感としては50代後半くらいなんじゃないかなと……」と答え、笑いを誘った。

芸能人としてはもちろんだが、最近は1人の人間としても幸せを感じるようになったという。

「僕はずっと、自分のことが好きではない人間だと思っていたんです」と切り出した彼は、「他人に良いものを届けて、その人が幸せになると、僕自身も幸せになる……僕は自分が料理人のような人間だと思っていたんです。だけど、それは違ったようです。ある時、まったく同じ過程……同じ条件で同じだけの時間を割いても、僕に残る結果はまったく同じではないことに気づきました。酸いも甘いも経て、独立してやっていけるぐらいの基本的な経験と知識、常識を学んだようです」と明らかにした。

ジェジュンはさらに「いくら巨万の富でも、失う時は一瞬です。だけど、自分の中に蓄積した経験と知識は簡単にはなくなりません。今の肉体に生まれ変わった、という表現をしてもいいぐらい……今は新しい人生を歩むチャンスをもらったような気分なんです」と付け加えた。


デビュー20周年を迎え、昨今はジェジュンをロールモデルに挙げる後輩アーティストの姿も目立つ。

これについては「大人の時間はとても長いですよね。大人として生きていかなければならない時間はあまりにも長いので、『大人の時間の中でも最も輝かしい時期を、あまり早く卒業しようとは思わないで』と言いたいです」とアドバイスを伝えたジェジュン。「このA4の用紙(アルバム紹介文)に盛り込まれた短い内容のうちのたった1文字が割れただけで、心が痛む時だってあるんです。完璧な文字を書いてゆく時の感動を、諦めないでほしい。最も輝かしい大人の時間は、本当に短すぎるから……」と、長年活動を続けてきたアーティストならではのコメントを残した。

一方で、「だけど僕はこれから新しい何かをやりたい」とも。「現役で活動できる時間は思っているほど短くないので、一緒に長く活動しようと伝えたい」と、前向きな姿勢も見せた。


東方神起としてデビューし、SMエンターテインメントとの法的紛争を経て、JYJとして再始動したジェジュン。2019年以降はソロ歌手としての活動に励み、昨年ついに自身の芸能事務所iNKODEを設立して独立した。設立当時、iNKODEの社屋にはジェジュンの新たな門出を祝う花輪が続々と届けられたが、中にはSMエンターテインメントから贈られたものも。ジェジュンもまたSNSを通じて「私が頑張ります」と当該の花輪に言及し、多くのファンを驚かせた。

ジェジュンは当時を振り返りながら、「応援してくれるという意味で贈られた花なので、純粋に嬉しかったんです。SMは敵ではなくて、共存していかなければならない同業者だと思っています。SMに従事される方々の中にも、僕の知人や友人がたくさんいます」と説明。さらに、「僕を誕生させてくれた大切な会社です。いつも感謝の気持ちを抱いています」と付け加えた。

SMエンターテインメントの創立者、イ・スマン氏とのエピソードも明らかにしたジェジュン。彼は「以前飛行機で、イ・スマン先生にお会いしました。すぐ隣の隣の席だったので、日本に行く途中に手紙を書いて差し上げたんです。後日、僕からの手紙を自慢していたとSMに所属する芸能人から聞きました」と明らかにした。

「手紙には、『あれから長い時間が経って、僕は色々と申し訳ないことをしましたし、葛藤もありました。まだ解消されていないこともあるかもしれませんが、今思えば僕が僕自身を作っていく勇気をくださったのは紛れもなく先生です』と書きました」と打ち明けたジェジュン。「『デビューさせていただいたことに感謝していますし、K-POPの立役者としての影響力を行使なさった方なので、今後も良いアイテムを作り続けてほしい』とも書きました。SMの経営権紛争が始まる前に開催された『SMTOWN』の時期だったから、たぶん一昨年ぐらいのことだと思います」と振り返った。


ジェジュンはiNKODEの設立後、後輩アイドルの制作も準備している。彼は「生きていく中で自分がどんな人なのか遅れて気づいたんです。頭の中でイメージしている僕というキャラクターのように、今のアイドルたちにも自分のキャラクターをしっかり理解できるようにしてあげたいです。例えば、僕がデビューした時のように、『神秘主義のメンバーが歌も歌うんだ』というのではなく、メンバーたちも1人ひとりの可愛らしい人格を持っているので、音楽とステージだけでなく、もっとファンの方々に知ってもらえるように、その子たちをきちんとイメージ化する作業を手伝いたいと思っています」と明らかにした。

続けて「先日、(準備中の事務所所属のグループの)デビュー組に会って、今年が21年目だけど、デビュー1年目の歌手のように活動したいという話をしたことがあります。回り回って20年ぶりに自分を見つけたという話をしたんです。新しくスタートするけれど、“重厚感のあるジェジュン”の初のアルバムだと思って聴いてほしいです」とつけ加えた。

ジェジュンは今年、KBS 2TVバラエティ番組「ピョンストラン」に出演し、15年ぶりに地上波バラエティに出演した。さらに、7年ぶりにドラマにも出演する。韓国で8月に放送がスタートするMBN「悪い記憶の消しゴム」に出演し、歌手だけでなく俳優としてもスペクトルを拡大させていく。

彼は「ただただ一生懸命にやってきたのですが、たまたまその結果がある時期に同時に溢れ出ているような感じがします。アルバムも公演もドラマも、釜山(プサン)映画祭の時の映画もそうですし。準備していたものが次々に出てきてくれてありがたいです。それらがなかったら、僕も自分の中にあるものを消化して、このような場に出られなかったと思います」と笑顔を見せた。

ファンへの感謝の挨拶も忘れなかった。ジェジュンは「長く傍にいてくれた雑草のようなファンの方々から、新しくファンになった新芽のような方々まで、様々な方たちがいらっしゃいます。今回のアルバムは、20周年の20という数字よりも、僕が様々な愛に対する感謝の気持ちの大切さを実感して作った最初のアルバムという点が重要です。このアルバムは僕にとって本当に重みがあります。中身だけでなく、僕の多くの想いが込められているので、皆さんもこのアルバムを大切にしてくれたら嬉しいです。これをきっかけに、僕はまた新たな挑戦をすることができると思います」と真心を表した。


「インタビュー①」ジェジュン、「まだそんなことしているのか」視線拒否…「少しでも長く”今”を見てほしい」

歌手のキム・ジェジュンがデビュー20周年記念アルバムとともにカムバックする感想を伝えた。
デビュー20周年の折り返し点を回って21年目をむかえたジェジュンは最近KBS2「新商品発売~コンビニレストラン」を通じて15年ぶりに地上波バラエティーに復帰するかと思えば、2017年「マンホール~不思議な国のピル」以後7年ぶりにドラマ「悪い記憶消しゴム」を通じて活発な歩みを見せている。 ここにデビュー20周年記念フルアルバム「FLOWER GARDEN」を発表し、本業の音楽でもファンと会うことになった。

今回のアルバムは、韓国内で2年ぶりに発売する4thフルアルバムであり、ジェジュンのデビュー20周年記念という特別な意味が込められている。 何よりも昨年6月、ジェジュンが芸能事務所を設立した後、長い間準備してきたアルバムであり、さらに期待を集めたところだ。 それぞれ異なるジャンルの計14曲が含まれており、ジェジュンはほとんどの曲に作詞家として参加し、ファンへのメッセージなどテーマを多彩に載せた。

この日、ジェジュンは「これまでで最も力を入れたアルバムだ。 20周年を記念して作ったということにフォーカスを合わせるより、20年間やってきた経験とノウハウ、感情をたくさん盛り込んだアルバムだと感じていただければと思う」とニューアルバムを紹介した。 2種のアルバムにはそれぞれジェジュンの過去と現在の姿が盛り込まれているという。

グループ時代の姿を再現した過去バージョンのアルバムを直接披露したジェジュンは「昔の写真を使ったのではなく、昔のコンセプトを体に着せた。最近また流行しているその時の衣装、ファッションだけを真似するのではなく、本当にその時に戻ってみようかと思った」と説明した後、「恥ずかしかった。 長い髪がぎこちなくて恥ずかしかったが、栄光の僕の過去の部分なので、その時を回想するファンの方々に大切な写真になるのではないかと思う」とプレゼントのようなアルバムになることを伝えた。

「また別のアルバムには最近の僕の姿が入っている」とし、彼は「このアルバムに入っている写真は基本的にシャツ、ジャケット、タイ、スーツを利用して少し成熟した姿だ。 対照的ではある」と述べた。 このように2つのコンセプトを行った理由については「『年を取ったからこういう音楽をする』『大人だからこういう大人らしい歌をやってみる』ではなく、今までやってきた多くの感情を入れたかった。 幼い少年の姿、今の姿、どうなりたいのかという姿。過去と現在まですべての感性が入っているアルバム」と明らかにした。

また、未来を表すものとしては収録曲「The Light」と「Concrete Heart」を挙げた。 ジェジュンは「『The Light』は第3者が勧める外部の変化を拒否することを拒否するメッセージ」とし「時間にとらわれず周辺が話す変化に意を介さないという話だ」などと強調した。

ジェジュン本人が世の中で要求された視線に対する負担を溶かしたというこの歌に対して、彼は「最近若い活気があふれる活動を多く見せようと努力しているが、周辺では『まだそうしているのか』という話もたくさん聞く。 こうしたらどうだ」とプロフェッショナルなアイドルマインドを誇った。 また、ジェジュンは「まだ20代になったばかりの方々が欲張りでマッチョなことを無理やりに見せようとし、ひげを生やして体をバルクアップをしたりもするが、純粋だった少年時代の姿をもう少し見せるのも良いのではないか」とし「少しでも元気で若い時に最大限それを長くお見せしたいという願いがある」と付け加え、今後の活動に対する期待をより一層高めた。


「インタビュー②」ジェジュン、「東方神起」問題のその後…「和解の場があることを願う。世の中を変えたいという夢も」

歌手キム・ジェジュンが芸能界で20年間体談した時間を振り返った。
ジェジュンがデビュー20周年を記念して発表する今回のフルアルバムには、彼が歩いて来て、これから歩いていく過去、現在、未来が込められた。彼は「楽しかったし、楽しくなかった時間も多かった。デビューの時からあまりにも順調に大きな成功を味わったが、順調ではなかった時もあった」として「そんな過程も実は感謝した。甘さがあったので苦味も強烈で、苦味があったのである程度の甘さでは快楽を感じることができない状態だった。今は小さなものでも大きいものでも感謝し、良い悪いの区分ができる大人になり、その過程を感謝している」と淡々と話した。

苦しい時間を耐えた原動力はファンだった。ジェジュンは「存在感がぼやけて弱いファンの方々がいらっしゃる。緑の芝生があって、存在感を示すつぼみのようなファンもいるし、穏やかな『フラワーガーデン』というタイトルのように、その背景になってくださる方がいる」として「そんな方々のおかげで、これまでやりきることが出来たと思う。多くの苦難、失敗、事件などのために離れるという理由もあっただろうが、そんな理由や条件に関わらず、存在感を主張しないで、静かに私の傍でひたすら応援してくださる方々がいたので、何かひとつでもやってみようと思いながら過ごしてきた」と感謝の思いを表現した。
ジェジュンは2003年にSMエンターテインメント所属のグループ「東方神起」のメンバーとしてデビューしたが、キム・ジュンスとパク・ユチョンと一緒に2009年に「東方神起」を脱退してグループ「JYJ」を結成して活動した。彼らはSMエンターテイメントとの専属契約内容が不当だと裁判所に専属契約効力停止仮処分申請を提出した。芸能界でも波紋を生んだこの事態で不公正契約問題が話題になり、エンター業界の標準契約書が導入されたりもした。
ジュンスと一緒に「JYJ」に残ったジェジュンは、完全体活動について「することになれば全てを混ぜないと思う。ロック的な要素とジュンスのバラード、あるいはミュージカル的な要素、それではダンス音楽ではないだろうか」としながら「私が膝の手術をした。40代後半で膝だ。私はオープンなので『一緒にダンスはするが、少しだけダンスを調整しよう』とその程度までふたりで話はした。いつかはしたい。一緒に20周年なので、お互いに意味のある記念碑のような場所で一緒に何かをしてみたい」と伝えた。

ただ「東方神起」に対しては「コミュニケーションを直接すればとても良いが、知人を通じてしている」として「和解の場を作れたらいい。『親しくなることを願う』のようなものに発展しないといけない。(YouTube)『ジェジング』にいつか出てくれたら、どれだけ良いか」と可能性について語った。
アイドル活動から演技、バラエティー番組、YouTube、そして自ら設立したエンター社のiNKODEの経営に至るまで、多方面で活躍中のジェジュン。「いったん私自身の活動やチャレンジの方向は今後もずっと同様に範囲を広げていきたい」と話した彼は「会社を設立したので当然経営もそうだし、iNKODEから出る新人アーティストたちが成功して楽しく音楽ができるように先輩としてうまくサポートをしてあげたい」と、この語の希望を語った。

ジェジュンは「やはり、会社を新たに運営してみると、ビジネス関係においても硬い面と数字が証明する冷酷な過程を見なければならない。仕方がない」としながらも「プレーヤーの心をたっぷり盛り込むつもりだ。グループ活動をしてみたので、メンバーたちと具体的で詳細な部分まで共感し、彼らの長所を引き出せるようにしなければならないと思う」と方向性について語った。
フリーになった後、多くの所属事務所からラブコールをもらったが、結局所属社設立の道を選んだ理由にジェジュンは「お金と条件が必要なので行きたくなかった。その方々と私がマインドセットが合うか合わないかを見たかった」として「世の中の一部を作り上げたいという夢がある。過程はあまり愉快ではなかったが、我が国の標準契約書ができたのもエンターにとって大きな貢献をしたと思う。そのうように私の会社を通じて大きな風を起こしたいと思う。その出発点になればいいだろう。多くの方々が投機性ビジネスでたくさんされるようだが、その子供たちの夢もそうだし、お互いに悪い方向に行ってしまうのをたくさん見た」として「エンター業界の悪循環を破って変化をもたらすビジョンがあると抱負と意志を明らかにした。


「インタビュー③」ジェジュン、「人生を放棄しようとまで思わせたストーカー性のファンのおかげでメンタルが強くなった」

歌手キム・ジェジュンがさらに確固とした決意と共に今後の活動を誓った。
25日、ジェジュンはソウル市マポ(麻浦)区にあるiNKODE社屋でフルアルバム「FLOWER GARDEN」の発売記念ラウンドインタビューを行った。
デビュー20周年を記念して発表する今回のアルバムに強い自信を見せたジェジュンは「私のメンタルが強力でどんな評価でも、酷評をされても構わないが、果たしてこのアルバムを酷評することができるか。こんなに真心を注いだのに。20年積み重ねて来たものがあるアルバム」と語った。彼は「私の曲が全体的に全部(音が)高い。女性の方でも大変なキーなのに、私はそんな曲20曲以上を3~4時間ライブで歌っている。ライブができるように作った曲だ。不可能ならそんな録音をしない」と信念を持って語った。

本人の強いメンタルに関しては10番トラック「しないで」で解き放った。ジェジュンは「『電話しないで』『追って来ないで』などの歌詞で構成されている曲」だと説明しながら、サセン(ストーカー性のファン)の被害について語った。彼は「私がほかでもない韓国で最も苦しんだ人として、これは『HOT』の兄さんたちや『EXO』や『BIGBANG』も私にはかなわないと思う。メンバーたちも一番ひどかったというほどだった。この世で彼らから逃げられないなら、別の世界に逃げなければならないかという極端な考えまでするほどだった。実際に経験したら、本当に冗談では言えない。ひとりに対してだけ苦しんでも病気になりそうなほどに、とてもひどかった」と振り返った。
この過程で「メンタルが本当に強くなった」というジェジュンは「私は苦しんでいるが、当時十数年前までは、人々は私が悪かったと言った。嫌がらせは私が受けているのに、なぜ私が悪いと指さすのか。ましてや、そんな方々に傷つけられても私が警察署に行った。罰金も私が払って出て来た」として「ストーキング法制度ができて、それでも良くなったが、それが間違っていると言える状況を作ることが重要だと思う」と明らかにした。

彼は「以前、IUさんがこの話をうまく説明してファンの方を訴えたことがあった。それはファンじゃないと。例えば犯罪行為をしても私を好きなファンなら許されないといけないのか、それは本質的に間違っているだろう。以前は被害者が間違っているという社会だったし、それを初めて変えたのがIUさんだった。『聞いてみるとIUさんが正しい』と認められたのだ」とし「好きでも、あんな行動は代価を払わなければならず、そのおかげで他の芸能人の方も堂々と話せる時代がきた。IUさん、サンキュー」と話した。幸い、現在はずいぶん良くなった状態だという。

20周年を迎えたジェジュンの次の20年はどんな姿なのか。「ひとまずはステージでヘッドバンギングして、振れる頭がある限り続けたい。マスコミに出る時もいつも活動中だった。年をとるほどにそんなに旺盛に活動はできないようだが、会社に損害があったとしてもずっとアルバムを出したい」とジェジュンは明らかにした。
まだやりたいことが多いと情熱を見せた彼は「途中で9年前ぐらいしばらく休息を取って、芸能界を去ろうと思ったが、最後まで希望を失わないように応援してくれたファンの皆さんに感謝する。酷寒期が訪れてもしっかりと崩れないで応援してくれて、一緒に過ごしてくれてとても感謝している」と無限の愛情を見せた。