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なにかひとつはあたらしい

描いたり、書いたり、作ったりしてます。



少し前に習っていた絵の先生に作品に入る前にどんな完成にしたいのか説明を求められた。


具象にしても中傷にしてもコンセプトなり、描きたいことなりを言葉で説明できなければモノにならないといった意味のことを言われた。


言われる度に違和感があった。

じゃあ文盲の人とか吃音の人とかLDの人はかなり不利だなという生理的、身体的なことの他に何かどこか違和感があって。
それでも反論する言葉が見つからなかった。

でもずっとその違和感は育ち続けていた。



以前さらっと見ておしまいにしていた詩人のまどみちおの絵の番組を見てやっと腑に落ちた。


まどみちおは絵は終世アマチュアを貫いていたようだが、言葉のプロだ。

言葉のプロが言葉はせいぜい1万年程度の歴史だがそれ以前なん万年何億年物質も生物も登場していた。
それらを言葉で表すには限界があると思い、絵に気持ちを打ち付けた。


言葉のプロが言葉で説明できないから絵で表現する。
まっとうでシンプル。



件の先生は言葉のプロではないし、言葉のわからない人にはどうする?
絵や彫刻は触れる。

言葉はどうする?
音としてなら波動はつたわるだろうが、説明って何?!




そう思った途端に彼の抽象画が重く感じた。
絵から何かを感じる前に言葉がたちはだかってくる


そうしたらなんだか色褪せて、つまらなくなって先生と呼ぶ気が失せた。



ブルース・リーのあまりにも有名な言葉。

考えるな 感じろ。



思いの丈を煮詰めて抽出して表現して見た人が感じる。




説明でわかるなら感受性なんていらないし。