pray for Japan
普段からブログを読んでいただいているみなさん、
友達、家族、親戚などこのブログを読まれているということは
無事ということで安心しています。
地震当日、私は会社にいてミッドタウンが不気味な音できしみ
長く大きく揺れたことで恐怖のあまりデスクの下に隠れていました。
その後、火事の疑いがあったため一時的に公園に避難。
その後は、なぜか仕事がいつもよりも忙しく
すぐに戻り、余震でグラグラと揺れるビルの14階で会議をして
午前0時すぎまであっという間に過ぎていきました。
途中、大切な家族や大切な人たちの安否確認のためメールや電話をしましたが
思うようにつながらず、仕事に謀殺されて1日が過ぎました。
その後、会社近くのおうちに泊めてもらうことになったものの
「こんな状況の時にこんな遅くまで仕事をしているなんて!」と怒られながら
テレビにうつる嘘のような日本の情景に怖くて思わず泣き出してしまいました。
なんだか、こんなときにきちんと大切な人たちの安否確認を
できないほど仕事している自分も情けなくなり、
家が流されたり、町が一瞬にして津波に飲み込まれていく惨事を見て
何もできない自分に無力さを感じました。
その後も、電車の事情などもあり横浜の実家に帰れず
タワーマンションの高層階でかくまってもらうことになり
慣れない環境でのたびたび続く余震に怯えていました。
テレビをずっと見ていたら、次々と増える死者の数、
被災地の人の不安な姿に、いたたまれない気持ちになってしまい
涙が止まらず、とても心細くなってしまいました。
そんな時に、両親はもちろんのこと、友人、彼など
中国に住んでいる友人まで連絡をくれたり、募金活動をしてくれたり
心から心配をしてくれて、物理的な距離だけでなく
精神的にそばにいてくれたことで大きな支えになりました。
こういう時の人のつながりって、お金では買えない何よりの財産です。
今は、私も含め日本中がこれからどうなってしまうのか、
また大きな地震が来るんじゃないか、
被災地の方は物資などが届かない、家族の安否が確認できない、
家がない、これからの生活がどうしたらいいのかわからないと
私たちの想像を絶するほどの不安やストレスがあることと思います。
個人での物資は逆に被災地の人の迷惑になってしまうことから
送れないようなのですが、
被災地ではない私たちができる「節電」や微力ながら「募金」はもちろんのこと、
私の場合は情報を届けることによって
人々の生活をより便利にするという使命のもと
情報を発信する仕事をしているということを改めて自覚して毎日を大切に、
普段は当たり前に感じていた、
食料があること、電気、水が使えることに感謝しながら
強くしなやかに生きていくこと。
東京の経済活動を止めないことによって日本を元気にすることをしながら
前向きにがんばろうと思うので、一日も早く日本が復旧できるよう頑張りましょう。
私は、高校生まで祖父と暮らしていてよく戦争の話を聞かされていました。
よく祖父が言っていたのは、
祖父が兵役から帰ってきたら日本は焼け野原で何もなかったという話。
そこから祖父たちの世代が、日本を立て直してくれて
今の豊かな日本があることを忘れてはいけないなとよく思います。
だから、大丈夫だと心から信じています。
助かる見込みもないような、津波に飲み込まれた家から助けられた
おじいちゃんも、こんなに前向きにこう言ってます。
「また再建しましょう」
これを見ると、日本を支えてきた世代のおじいちゃんは本当に強いなと思います。
私たち、若い世代が弱気になっていちゃだめですよね。
友達、家族、親戚などこのブログを読まれているということは
無事ということで安心しています。
地震当日、私は会社にいてミッドタウンが不気味な音できしみ
長く大きく揺れたことで恐怖のあまりデスクの下に隠れていました。
その後、火事の疑いがあったため一時的に公園に避難。
その後は、なぜか仕事がいつもよりも忙しく
すぐに戻り、余震でグラグラと揺れるビルの14階で会議をして
午前0時すぎまであっという間に過ぎていきました。
途中、大切な家族や大切な人たちの安否確認のためメールや電話をしましたが
思うようにつながらず、仕事に謀殺されて1日が過ぎました。
その後、会社近くのおうちに泊めてもらうことになったものの
「こんな状況の時にこんな遅くまで仕事をしているなんて!」と怒られながら
テレビにうつる嘘のような日本の情景に怖くて思わず泣き出してしまいました。
なんだか、こんなときにきちんと大切な人たちの安否確認を
できないほど仕事している自分も情けなくなり、
家が流されたり、町が一瞬にして津波に飲み込まれていく惨事を見て
何もできない自分に無力さを感じました。
その後も、電車の事情などもあり横浜の実家に帰れず
タワーマンションの高層階でかくまってもらうことになり
慣れない環境でのたびたび続く余震に怯えていました。
テレビをずっと見ていたら、次々と増える死者の数、
被災地の人の不安な姿に、いたたまれない気持ちになってしまい
涙が止まらず、とても心細くなってしまいました。
そんな時に、両親はもちろんのこと、友人、彼など
中国に住んでいる友人まで連絡をくれたり、募金活動をしてくれたり
心から心配をしてくれて、物理的な距離だけでなく
精神的にそばにいてくれたことで大きな支えになりました。
こういう時の人のつながりって、お金では買えない何よりの財産です。
今は、私も含め日本中がこれからどうなってしまうのか、
また大きな地震が来るんじゃないか、
被災地の方は物資などが届かない、家族の安否が確認できない、
家がない、これからの生活がどうしたらいいのかわからないと
私たちの想像を絶するほどの不安やストレスがあることと思います。
個人での物資は逆に被災地の人の迷惑になってしまうことから
送れないようなのですが、
被災地ではない私たちができる「節電」や微力ながら「募金」はもちろんのこと、
私の場合は情報を届けることによって
人々の生活をより便利にするという使命のもと
情報を発信する仕事をしているということを改めて自覚して毎日を大切に、
普段は当たり前に感じていた、
食料があること、電気、水が使えることに感謝しながら
強くしなやかに生きていくこと。
東京の経済活動を止めないことによって日本を元気にすることをしながら
前向きにがんばろうと思うので、一日も早く日本が復旧できるよう頑張りましょう。
私は、高校生まで祖父と暮らしていてよく戦争の話を聞かされていました。
よく祖父が言っていたのは、
祖父が兵役から帰ってきたら日本は焼け野原で何もなかったという話。
そこから祖父たちの世代が、日本を立て直してくれて
今の豊かな日本があることを忘れてはいけないなとよく思います。
だから、大丈夫だと心から信じています。
助かる見込みもないような、津波に飲み込まれた家から助けられた
おじいちゃんも、こんなに前向きにこう言ってます。
「また再建しましょう」
これを見ると、日本を支えてきた世代のおじいちゃんは本当に強いなと思います。
私たち、若い世代が弱気になっていちゃだめですよね。