足利義昭を奉じて上洛した信長は天下の仕置きに取り掛かります。まずは背後の敵、越前の朝倉氏、朝倉は室町~100年続く名家です。将軍家とも懇意にしており、義昭も一時は朝倉に身を寄せていました。
義昭にしてみれば全く言うことを聞かず、何を言ってもシカトされる信長なんかより朝倉を頼りたいのですが全く動こうとしません。
そんな二人の関係を当然信長は知っています。なのに敢えて書状をだします。その書状は『こんど将軍主催で茶会をするので参加しませんか?』と。
朝倉は将軍義昭に相談します。
『どうしよう?』と。
これに対し義昭は
『そんなもん来んでいい!』と。
信長も来ない事は百も承知です。
朝倉の不参加表明は信長にしてみれば
『したり!』です。
信長は将軍義昭に対し
『上様主催の茶会に参加せぬと言うことは謀反以外のなにものでもござらん!よって成敗しにまいる!』と。義昭は信長に朝倉征伐の大義名分を与えることになったわけです。全ては信長の思い通りです 。
こうして朝倉征伐の大義名分を得た信長は大軍を率い越前に出陣します。京を出る時にわざわざ義昭の居る二条御所の前を嫌味たっぷりに通ります。
以前にも書きましたが、この朝倉征伐で信長は背後を浅井長政に突かれ挟み撃ちに合い、命からがら岐阜に戻ってます。
が、体制を建て直し浅井長政、浅井久政、朝倉義景を討ち取っています。
この時に長政の妻お市様とその娘達茶々、お初、お江は助けだしています。この三人の娘達もこの先の歴史にはなくてはならない人達ですねぇ~。
いずれ書きます。
次回は信長の家臣について。