武田信玄を影で支えた軍師 山本勘助
皆さんは、山本勘助という人物は、どのような人物だと思っていますか?自分は武田信玄を影で支え、戦などでは的確な判断をし、武田家を大きくした優秀な家臣の1人だと思っています。では、山本勘助について詳しく説明していきます^ - ^『甲陽軍鑑』などには三河国宝飯郡牛窪の出と書かれております。江戸時代後期成立の『甲斐国志』によれば、勘助は駿河国富士郡山本の吉野貞幸と安の三男に生まれ、三河国牛窪城主牧野氏の家臣大林勘左衛門の養子に入っています。勘助が26歳の時武者修行の旅に出ます。牢人として四国、中国、九州、関東など十年間遍歴し、行流(京流)の剣術を会得します。また、築城術や戦術なども極めます。のちに武田信玄に仕えた時、中国地方の毛利元就や大内義隆の将才について語ったといわれます。第四次川中島の戦いでは、啄木鳥戦法を考案しましたが、上杉謙信にその戦法を読まれ、勘助は、武田信玄を守るために敵陣に突っ込み討ち死にしました。武田信玄は、城取りや諸国の情勢について山本勘助が話し、その知識深さに関心し深く信頼なさったそうです。戦にて、策をたて的確な判断をする山本勘助はかっこいいですね^ - ^山本勘助を主人公とした大河ドラマ「風林火山」が再放送でBSプレミアムで毎週日曜日の正午からやっています。まだ、始まったばかりなので山本勘助に興味がある人は、見てみてはどうでしょうか?